まあ、無事に帰って来られたものだ」
「やってみれば、機会をつかむ運にも出会うわけですね」
 親子は、休むひまもなく自動車を雇って、そこから山越えをして四十五キロ先にある大きな都市へ潜入《せんにゅう》した。汽車の便はあったのであるが、それは避《さ》けた。
 三日ほど身体を休ませたのち、いよいよ親子は東京へ向った。
 これからがたいへんであった。親子の間には、ちゃんと打合わせがついているものの、果してそのとおりうまく行くかどうか分らなかった。もしどこかで尻尾《しっぽ》をおさえられたが最後、えらいさわぎが起るにちがいなかった。ことに隆夫は、むずかしい大芝居を演《えん》じおおせなくてはならないのであった。それもやむを得ない。おそるべき妖力《ようりょく》を持つあの霊魂第十号をうち倒して、隆夫が損傷《そんしょう》なく無事に元の肉体をとり戻すためには、どうしてもやり遂げなくてはならない仕事だった。
 親子は連れ立って、なつかしいわが家にはいった。それは日が暮れて間もなくのことであった。
 隆夫の母は、おどろきとよろこびで、気絶《きぜつ》しそうになったくらいだ。しかしそれは、隆夫を自分のふところへとりもどした喜びではなくて、もはや亡《な》くなったものとあきらめていた夫の治明が、目の前に姿をあらわしたからであった。
「まあ、わたし、夢を見ているのではないかしら……」
「夢ではないよ。ほら、わしはこのとおりぴんぴんしている。苦労を重ねて、やっと戻ってきたよ」
「ほんとですね。あなたは、ほんとに生きていらっしゃる。ああ、なんというありがたいことでしょう。神さまのお護《まも》りです」
「隆夫は、どうしているね」
 治明博士は、かねて考えておいた段取《だんどり》のとおり、ここで重大なる質問を発した。
「ああ、隆夫……隆夫でございますが……」
 と、母親はまっ青になって、よろめいた。治明博士は、すばやく手を貸した。
「しっかりおしなさい。隆夫はどうかしたのですか」
「それが、あなた……」
「まさか隆夫は死にやすまいな」
 治明博士の質問が、うしろの闇の中に立っている隆夫の胸にどきんとひびいた。もし死んでいたら、隆夫は再び自分の肉体を手にいれる機会を、永久に失うわけだ。母親は、どう応えるであろうか。
「死にはいたしませぬ」
 母親の声は悲鳴に似ている。
 しかしそれを聞いて隆夫は、ほっと胸をなでおろした。機会は今後に残されているのだ。それなれば、ミイラのような醜骸《しゅうがい》を借りて日本へ戻って来た甲斐はあるというものだ。
「……死にはいたしませぬが、少々|不始末《ふしまつ》があるのでございます」
「不始末とは」
「ああ、こんなところで立ち話はなりませぬ。さ、うちへおはいりになって……」
「待って下さい。わしにはひとりの連《つ》れがある。その方はわしの恩人です。わしをこうして無事にここまで送って来て下すった大恩人なんだ。その方をうちへお泊め申さねばならない」
 母親はおどろいた。治明博士の呼ぶ声に、隆夫は闇の中から姿をあらわし、なつかしい母親の前に立った。
(ああ、いたわしい)
 母親は、しばらく見ないうちに別人のようにやせ、頭髪には白いものが増していた。
「レザールさんとおっしゃる。日本語はお話しにならない。尊《とうと》い聖者でいらっしゃる。しかしお礼をのべなさい。レザールさんは聖者だから、お前のまごころはお分りになるはずである」
 母親はおそれ入って、その場にいくども頭をさげて、夫の危難を救ってくれたことを感謝した。
 隆夫はよろこびと、おかしさと、もの足りなさの渦巻《うずまき》の中にあって、ぼーッとしてしまった。


   その後の物語


 昔ながらの親子三人水いらずの生活が復活した。だが、それは奇妙な生活だった。これが親子三人水いらずの生活だということは、治明博士と隆夫だけがわきまえていることで、母親ひとりは、その外におかれていた。世間のひとたちも、一畑《いちはた》さんのお家は、ご主人が帰ってこられ、奥さんはおよろこびである。ご主人がインド人みたいなこわい顔のお客さんを引張ってこられて、そのひとが、あれからずっと同居している――と、了解《りょうかい》していた。
 隆夫は、めったに主家《おもや》に顔を出さなかった。それは治明博士が隆夫のために、例の無電小屋を居住宅《すまい》にあてるよう隆夫の母親にいいつけたからである。そこに居るなら、隆夫は寝言《ねごと》を日本語でいってもよかった。なにしろ、事件がうまい結着《けっちゃく》をみせるまでは、母親をもあざむいておく必要があったから、隆夫はなるべく主家へ顔出しをしないのがよかったのである。隆夫には、たいへんつらい試練《しれん》だった。
 もう一人の隆夫は、どうしていたろう。隆夫の肉体を持った霊魂第十号は、
前へ 次へ
全24ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング