卒倒《そっとう》しそうになった。というのは、客席から夢遊病者のようにふらふらと舞台へあがって来た青年こそ、隆夫にそっくりの人物だったからだ。
「これはことによると、えらいさわぎをひき起すことになるぞ」
 治明博士は青くなって、舞台を見入った。
 隆夫に似た青年は、ついに聖者の前に棒立《ぼうだ》ちになった。
 すると聖者はやおら椅子から立上った。そして両手をしずかに肩のところまであげたかと思うと、両眼《りょうがん》をかッと見開いて、自分の前の青年をはったとにらみつけ、
「けけッけッけ」
 と、鳥の啼声《なきごえ》のような声をたてた。
 そのとき来会者たちは、聖壇の上に、無声《むせい》の火花のようなものがとんだように思ったということだ。が、それはそれとして、聖者ににらみつけられた青年は、大風《おおかぜ》に吹きとばされたようにうしろへよろめいた。そしてやっと踏み止《とどま》ったかと思うと、これまた奇妙な声をたて、そしてその場にぱったりと倒れてしまった。
 奇蹟はまだつづいた。このとき聖者の身体から、絢爛《けんらん》たる着衣がするすると下に落ちた。と、聖者の肉体がむき出しに出た。が、それは黄いろく乾からびた貧弱《ひんじゃく》きわまる身体であった。聖者の顔も一変して、猿の骸骨《がいこつ》のようになっていた。聖者の身体はすーッと宙に浮いた。と見る間に、聖者の身体は瞬間《しゅんかん》金色に輝いた。が、その直後、聖者の身体は煙のように消え失せてしまった。


   聖者《せいじゃ》の声


 この奇怪なる出来事の間、場内は墓場《はかば》のようにしずまりかえっていた。
 また、治明博士は、この間、目は見え、耳は聞えるが、ふしぎに声が出ず、五体は金しばりになったように、舞台の上の肘かけ椅子の上に密着していて、動くとができなかった。ただ、その間に、博士は天の一角《いっかく》からふしぎな声を聞いた。
「……汝の願いは、今やとげられた。汝の子の肉体から、呪《のろ》われたる霊魂は追放《ついほう》せられ、汝の子の霊魂がそれにかわって入り、すべて元のとおりになった。これで汝は満足したはずである。さらば……」
 その声! その声こそ、聖者アクチニオ四十五世の声にちがいなかった。
「ははあ。かたじけなし」
 と治明博士は心の中に感謝を爆発させて、アクチニオ四十五世の名をたたえた。そのときに、高き空間を
前へ 次へ
全48ページ中43ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング