博士ただひとり……いやもう一人の人物がいた。
「君は」
 と、治明博士は、横に立っていた褐色《かっしょく》の皮膚を持った痩《や》せた男へおどろきの目を向けた。どこかで見た顔ではあるが……。
「お父さん、ぼくですよ。隆夫ですよ。ぼくは、さっきから、このとおりロザレの肉体を貸してもらっているのです。これで元気になりましたから、早く戻ることにしようよ」
 と、そのミイラの如き人物は、博士に向ってなつかしげに話しかけたのであった。


   帰国《きこく》


 親子は、その後、バリ港を船で離れることができた。その船はノールウェイの汽船で、インドへ行くものだった。
 コロンボで、船を下りなくてはならなかった。そしてそこで、更に東へ向う便船を探しあてることが必要だった。親子は、慣《な》れない土地で、新しい苦労を重ねた。
 この二人を、ほんとの親子だと気のつく者はなかった。そうであろう、治明博士《はるあきはかせ》の方は誰が見でも中年の東洋人《とうようじん》であるのに対し、ロザレの肉体を借用している隆夫の方は、青い目玉がひどく落ちこみ、鼻は高くて山の背のように見え、その下にすぐ唇があって、やせひからびた近東人《きんとうじん》だ。頭巾《ずきん》の下からは、鳶色《とびいろ》の縮《ちぢ》れ毛がもじゃもじゃとはみ出している。パンツの下からはみ出ている脛《すね》の細いことといったら、今にもぽきんと折れそうだった。
 しかし結局、隆夫のおかげで、治明博士はインドシナへ向う貨物船に便乗《びんじょう》することができた。それはロザレの隆夫を聖者に仕立て、すこしもものをいわせないことにし――しゃべれば隆夫は日本語しか話せなかった――治明博士はその忠実《ちゅうじつ》なる下僕《しもべ》として仕えているように見せかけ、そのキラマン号の下級船員の信用を得て、乗船が出来たのであった。もっとも密航するのだから、親子は船艙《せんそう》の隅《すみ》っこに窮屈《きゅうくつ》な恰好をしていなければならなかった。
 キラマン号をハノイで下りた。
 それからフランスの飛行機に乗って上海《シャンハイ》へ飛んだ。そのとき親子は、小ざっぱりとした背広に身を包《つつ》んでいた。
 上海から或る島を経由《けいゆ》してひそかに九州の港についた。いよいよ日本へ帰りついたのである。バリ港を親子が離れてから八十二日目のことであった。
「よく
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