で、見よう見真似で、足踏みでもしているのだろうと思っていたところ、突然ガックリと頭を垂れた。
「これァいけない!」
と驚いて帆村が叫んだのがキッカケのように、かの洋装の麗人は呀《あ》っという間もなく崩れるように地面に膝を折り、そして中心を失ってドタリと鋪道の上に倒れてしまった。
「脳貧血かしら……」
帆村は息せききって、彼女の倒れている場所へ駈けつけた。近くにいた人たち五、六人が駈けつけたが、ワアワア騒ぐばかりだった。帆村はその人たちを押しのけて前へ出た。そして誰よりも先に、倒れている婦人の脈搏《みゃくはく》を検《しら》べた。――指先には脈が全然触れない。つづいて、眼瞼《まぶた》を開いてみたが……もう絶望だった。
「おお……死んでいる!」
「たいへんだ。若い女が倒れた」
「自殺したんだそうだ。桃色の享楽《きょうらく》が過ぎて、とうとう思い出の古戦場でやっつけたんだ」
「イヤそうじゃない。誰かに殺されたんだ。恐ろしい復讐なんだ!」
なにがさて、物見高い銀座の、しかも白昼の出来ごとだから、たちまち黒山のような人だかりとなった。もし帆村探偵が死にものぐるいになって喚《わめ》きながら群衆を整理しなかったとしたら、屍体《したい》は群衆の土足に懸《かか》って絶命当時の姿勢を失い、取調べの係官の眉を顰《ひそ》めさせたろうと思う。いやそれも、もうすこし警官隊の駈けつけ方が遅かったら、屍体はもちろん、帆村自身も群衆のために揉《も》みくちゃになったことだろう。丁度いい塩梅《あんばい》に、帆村が向うの喫茶ギボンの女給に頼んだ電話によって、強力《ごうりき》犯係の一行が現場に到着したので危く難をのがれることができた。
「オヤオヤ、これは帆村君」と、顔馴染《かおなじみ》の大江山《おおえやま》捜査課長が赭《あか》い顔を現した。「お招きによってどんな面白い流血事件でもあるのかと思って来たが、これは尖端嬢が目を廻しただけのことじゃないのかネ」
「いや、もう死んでいますよ」
「なに、こいつが死んでいるって」と大江山課長は頤《あご》で屍体を指した。「ふふーン」
課長は鋪道に膝をついて、さっき帆村がやったと同じことをして検べた。そして間もなく、手をポンポンと払って立ち上がった。
「死んでいることは確かだネ、だがこれは尖端嬢の頓死《とんし》事件じゃないのかネ。普段心臓が弱かったとかなんとかいう……。要するに、見たところ、何の外傷もないし――」
そのとき鑑識課員が現場撮影をする準備ができたので、課長たちに屍体から離れてくれるように声をかけた。
「大江山さん、これは疑いもなく、他殺ですよ――」
と帆村は飾窓《ショウインドウ》の外へ立ちながら云った。
「他殺? どうして? 解《げ》せんね」
「なァに、何でもないことですよ。あの女の靴下に大きな継布《つぎ》の当っているのを見ましたか。もし自殺する気なら、あのモダンさでは靴下ぐらい新しいのを買って履きますよ。なぜならあの女は手提《バッグ》の中に五十何円もお小遣いを持っているのですからネ」
「つまり自殺でないから、他殺だというんだネ。いや、そうはいえない。頓死かも知れない――さっき僕が指摘したように」
「もちろん頓死じゃありませんよ」と帆村は首を振って、「ごらんにならなかったでしょうか、あの婦人の口腔《こうくう》の中の変色した舌や粘膜《ねんまく》を。それから変な臭いのすることを。――あれだけのことがあれば、頓死とはいえませんよ」
「それは見ないでもなかったが」と課長はすこし顔を赭らめていった。「じゃあ、中毒死だというんだろうが、それは頓死としても起り得ることじゃないかネ」
「課長《あなた》の頓死といわれるのは図《はか》らずして自分だけで偶然の死を招いたという意味でしょうが、しかしそれに死ぬような原因を他《よそ》から与えた者があれば、それはやはり他殺なんですからネ」
「すると君は、まだ何か知っているというんだネ」
「もう一つだけですが、知っていますよ。それはあの手提《バッグ》の中にある一つの燐寸《マッチ》です。それは時計印のごく普通のものですがネ。たいへん似あわしからぬことがあるんです」
「なに、燐寸が……」
課長はツカツカと屍体の傍により、傍に落ちていた手提をもって来た。そして中を開けると、なるほど時計印の燐寸箱が入っていた。
「これは至極《しごく》普通の燐寸だネ。なにも変ったところが認められん」
「そうでしょうかしら」と帆村は首を振って「私はたいへん不思議です。第一このような不恰好な燐寸箱が、そのようなスマートな手提に入っていることが不思議であり、第二には燐寸の赤燐《せきりん》の表面は新しくて一度も擦《す》った痕《あと》がないのに、その中身を見ると燐寸の数は半分ぐらいになっているのです。どうです、不思議じゃありませ
前へ
次へ
全20ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング