。帆村は別に驚いた顔もしていなかった。
「やっぱり、そうでしたか」
「そうだったとは……。君は何か心当りがあるのかネ」
「イヤさっき向うの飾窓《ショウインドウ》のところに、一人の身体《からだ》の大きな上品な紳士が、一匹のポケット猿を抱いて立ってみていましたがネ。そのうちにどうした機勢《はずみ》かそのポケット猿がヒラリと下に飛び下りて逃げだしたんです。そしてそこにある婦人の屍体の上をチョロチョロと渡ってゆくので警官が驚いて追払《おいはら》おうとすると、そこへ紳士が飛び出していって素早く捕えて鄭重《ていちょう》に詫言《わびごと》をいって猿を連れてゆきました。その紳士が曲者《くせもの》だったんですね」
「ナニ曲者だった?」課長は噛《か》みつくように叫んだ。
「そんならそうと、何故《なぜ》君は云わないんだ。そいつが掏摸《スリ》の名人かなんかで、猿を抱きあげるとみせて、手提《バッグ》から問題の燐寸を掏《す》っていったに違いない――」
「でも大江山さん、沢山《たくさん》の貴方の部下が警戒していなさるのですものネ。私が申したんじゃお気に障《さわ》ることは分っていますからネ」
 大江山は、昔から彼の部下が帆村を目の敵にして怒鳴りつけたことを思い出して、ちょっと顔を赧《あか》くした。
「とにかく怪しい奴を逃がしてしまっては何にもならんじゃないか。気をつけてくれなきゃあ、――」
「ああ、その怪紳士の行方《ゆくえ》なら分りますよ」
「なんだって?」と大江山は唖然《あぜん》として、帆村の顔を穴の明くほど見詰めた。そして、やがて、
「どうも君は意地が悪い。その方を早くいって呉れなくちゃ困るね。一体どこへ逃げたんだネ」
「さあ、私はまだ知らないんですが、間もなくハッキリ分りますよ」
「え、え、え、え?――」
 流石の大江山課長も今度は朱盆《しゅぼん》のように真赤になって、声もなく、ただ苦し気に喘《あえ》ぐばかりだった。


   奇怪なる発狂者


「帆村君、君は本官《ぼく》を揶揄《からか》うつもりか。そこにじっと立っていて、なぜ、あの怪紳士の行方が分るというのだ」
 大江山捜査課長は真剣に色をなして、帆村に詰めよった。さあ一大事……。
「冗談じゃない、本当なのですよ、大江山さん」と、帆村は彼の癖で長くもない頤《あご》の先を指で摘《つ》まみながらいった。「これは雁金検事さんにも聞いていただきた
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