紳士はギクリと身体を顫《ふる》わせた。「もう忘れてしまったかネ、こんな顔の男を。……」
そういいながら、紳士はポケットから紙巻煙草を一本抜きだして口に銜《くわ》えると、シュッと燐寸《マッチ》を擦って火を点けた。
赤い燐寸の火に照らしだされた不思議な紳士の顔を穴のあくほど見詰めていた松吉は、やがて大きく眼を見張り、息をグッと嚥《の》むようにして叫んだ。
「ホウ、立派になってはいるが、お前さんはたしかに北鳴四郎《きたなりしろう》……。もう、七年になるからナ。お前さんがこの町を出てから。……」
北鳴と呼ばれた紳士は、感激深げに、しきりと肯《うなず》いた。
「そうだ、七年になる。あのとき僕はちょうど二十歳《はたち》だったからネ」
「……しかし、よくまアそんなに立派に出世をして、帰って来られて、お目出たい。……それに引きかえ、儂のこのひどい恰好を見て下さい。穴に入りたいくらいだ。お前さんをうちの二階に置いてあげてた頃は、自分の貸家も十軒ほどあって……」と、中年をすぎたこのうらぶれた棟梁《とうりょう》は、手の甲で洟水《はなみず》をグッと抑えた。
「もういい、それよりも松さんに、ちと頼みたい事
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