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 いまは瀬下英三に嫁入った娘お里の、曾《かつ》ての情人北鳴四郎を、稲田老人夫妻は二階へ招じあげて、露骨ながらも、最大級の歓待を始めたのだった。
 そこには、酒の膳が出た。近所で獲れる川魚が、手早く、洗いや塩焼になって、膳の上を賑わしていた。
「折角ですが、酒はいただきませぬ」
「まあ、そう仰有《おっしゃ》らずに、昔の四郎さんになってお一つ如何《いかが》」
 と老婆は執拗にすすめる。
「いや、博士論文が通るまでは、酒盃を手にしないと誓ったので、まあ遠慮しますよ」
「へえ、四郎さんが、博士になりなさるか。……」
 と、老婆は稲田老人と目を見合わせて、深い悔恨の心もちだった。お里の今の婿の英三は、一向に栄《は》えない田舎医者。老人の腎臓を直したのが、関の山、毎日自転車で真黒になって往診に走りあるいているが、宝の山を掘りあてたという話も聞かなければ、博士はおろか、学士さまになることも出来ないらしい。いずれ親譲りがある筈だった財産というのも、近頃親の年齢甲斐《としがい》もない道楽で、陽向《ひなた》に出した氷のようにズンズン融けてゆくという話である。その当て外れした心細さに引き
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