。
「……何を笑うんで……」
「何をって、君……」と、北鳴はまたひとしきり笑い続けたのち、「……梯子の上にある避雷針みたいなものも、松さんの仕事かネ」
「もちろん、儂がつけたんだが……あの雷避《かみなりよ》けの恰好が可笑《おか》しいかネ」
それは背の高い杉の二本柱の天頂《てっぺん》に、まるで水牛の角を真直《まっすぐ》にのばしたような、ひどく長くて不恰好な銅の針がニューッと天に向って伸びているのだった。その銅針の下には、お銚子《ちょうし》の袴のような銅製の円筒がついていて、これが杉の丸太の上に、帽子のように嵌《はま》っていた。
「これは避雷針かい、それとも雷避けのお呪《まじな》いかい」
「もちろん、避雷針だよ。銅《あか》だって、一分もある厚いやつを使ってあるんで……。それにあの針と来たら、少し曲ってはいるが、ああいう風にだんだんと尖端《さき》の方にゆくにつれて細くするには、とても骨を折った。……それを嗤《わら》うというのは、可笑しい」
「うん、見懸けだけは、松さんが云ったとおり立派さ。だがこれでは近いうちに、この梯子の上に、きっと落雷するよ」
「冗談云っちゃいけない。四郎……さんは、そりゃ豪くなったことは豪くなったろうが、この建築にかけては、儂の方が豪いよ」
「梯子は建築だろうが、避雷針は電気の学問だ。それについては、私の方がずっと知っているよ。落雷するといったら、落雷することに間違いはない。夕立がやってきたとき、この梯子に登っている者を見たときは、すぐに降りるように云ってやらにゃいけない」
二人の争論を聞いていた高村町長は、横から口を出して、
「オイ松吉。北鳴さんは、博士にもなろうという方じゃないか。ちと口を慎《つつし》むがいい。それに、お前の仕事のなっとらんことは、この町で知らぬ者はないぞ。わしはこの火の見梯子をお前に請負わせるようになったと聞いて強く反対したのじゃが……」
松吉は、苦《に》がりきって、ひとりでスタスタと歩きだした。
3
翌朝から、北鳴の依頼によって、松吉の請負い仕事が始った。それは比野町の勢町《いきおいまち》というところに、高さ百尺の大櫓を二ヶ所に建てるという大仕事だった。
その工費は全部で六百円。この仕事が済めば松吉の懐中には、少なくも三百円の現金が残るはずだった。その上、北鳴の実験が済んでしまえば、この櫓に使った杉の丸太は、すべて松吉の所有になる約束だったから、なんのことはない、人夫の手間以外は、まる丸儲けの形だった。
「やあ、北鳴の四郎さんじゃありませんか。これはお久しゅう」
といって、工事を指図している北鳴のところへ近づいてきた商人体の老人があった。
「ああ、私は北鳴ですが貴方は誰方《どなた》でしたかナ」
といって、北鳴は藤の洋杖《ステッキ》の頭についたピカピカする黄金の金具を撫でながら、訝《いぶか》しそうに応えた。だがその言葉の語尾は、なんとなく怪しく慄《ふる》えを帯びていた。
「……ああ、お忘れになったも無理はない。私は五年前からひどい腎臓を患うたもので、酒と煙草とを断ち、身体は痩せるし顔色は青黒くなるし、おまけに白髪《しらが》が急に殖えてきて……とにかく姿は変りましたが、稲田仙太郎《いなだせんたろう》ですわい」
「稲田仙太郎?……ああ稲田のお父《と》っさんでしたか」
「稲田のお父っさん?……おお、よく云って下すった。お父さんと今でも呼んで呉れますかい。それでは貴方はこの私を憎んではいなさらぬのだナ。ああ私はどんなにか安心をしましたわい。……北鳴さん、立派になられたなア。こんなに立派になられようとは、遉《さすが》の私も全く思いがけなかった」
「はッはッはッ。なにを仰有《おっしゃ》います。……」
北鳴は身を後へ反らせながら、晴れやかに笑った――つもりだったが、その高らかな声の中に依然たる空虚な響の籠っているのが隠せなかった。
「……聞けば、博士論文を書くため、この町へ帰って来られたそうだが、この高い櫓も、その博士論文の実験に使うとかいう話を聞きました。私の家の二階からは、丁度この二つの櫓が、よく見えるので……どっちも私の家から丁度同じ位の距離ですナ……それで御機嫌伺いかたがたやって来ましたが、仕事のお閑《ひま》には、ぜひ家へ寄って下さい。婆も、貴方に一度お目に懸って、是非《ぜひ》一言お詫びがしたいといっていますわい」
「お詫びなどと、そんな話はよしましょう。……しかしお薦めに従い、近いうちにお邪魔に上りますよ」
そういう話のうちに、さっき西空に投げだしたような黒雲があったと思ったが、それがいつの間にやらグングンと黒い翼を拡げてしまって、誰が見ても相当物凄い夕立の景色になってきた。サッと一陣の涼風が襟首のあたりを撫でてゆくかと思うと、ポツリポツリと大粒の雨が降って来
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