がある。お前さんばかりを頼ってきたのだ」
「おお、そうか。では、ゆっくり話を聞くとしよう」といって、俄《にわ》かに傍の連れに心づき、その風体のよくない男を脇に呼ぶと、北鳴には憚《はばか》るような低い声で、なにかボソボソ囁いた。対手《あいて》の男はどうしたわけか不服そうであったが、やがて松吉が、やや声を荒らげ、
「ヤイ化助《ばけすけ》。これだけ云って分らなきゃ、どうなりと手前の勝手にしろ」
 と肩を聳《そびや》かせた。すると化助といわれた男は、ギロりと白い眼を剥《む》いたまま、道の真中に転がっていた竹竿を拾いあげ、それを肩に担《かつ》ぐと、もう一度松吉の方をジロリと睨《にら》んで、それからクルッと廻れ右をして、元来た道へトボトボと帰っていった。
「松さん。お前さんたち、今夜なにか用事があったんだろう」
「イヤなに、大した用事でもないんだ……」
 そういった松吉は、気持が悪いほど、いやに朗かな面持をしていた。


     2


 翌日から、比野町では、大評判が立った。
 一つは、七年前に町を出ていった北鳴少年が、ものすごい出世をして紳士になって帰郷してきたこと。もう一つは、村での物嗤《ものわら》いの道楽者松屋松吉が、北鳴四郎の取巻きとなって、どこから金を手に入れたか、おんぼろの衣裳を何処《どこ》かへやり、法被姿《はっぴすがた》ながら上から下まで垢ぬけのしたサッパリした仕事着に生れ代ったようになったことだった。
 町の人は、寄ると触《さわ》ると、二人の噂をしあった。
「おう、あの北鳴四郎は、すごい財産を作ってなア、そしていま博士論文を書いているということだア」
「どうも豪《えら》いことだのう。あいつは内気だったが、どこか悧巧《りこう》なところがあると思ったよ。それにしても、四郎はあの爪弾《つまはじ》きの松吉を莫迦に信用しているらしいが、今に松吉の悪心に引懸って、財産も何も滅茶滅茶《めっちゃめっちゃ》にされちまうぞ」
「瀬下《せした》の嫁ッ子は、どう考えているかなア」
「ああ、お里《さと》のことかネ。……お里坊も考えるだろうな。四郎があんなに立身出世をするなら、英三《えいぞう》のところへなんか嫁にゆくのでなかったと……」
「フフン、そんなことはお里の親の方が考えて、今になって失敗《しま》ったと思ってるよ。こうと知ったらお里を四郎から引放さんで置くんじゃったとナ」
「もう後の祭だ。あの慾深親父も、今更《いまさら》どうしようたって仕方がないだろう」
「いや、あの親父も相当なもので、町長の高村さんに頼みこんで、四郎との仲をこの際どうにか取持ってくれと泣きついているそうだ」
「町長は、どういっとる?」
「どういっとるも、こういっとるもない。高村町長はお里と英三の婚礼の媒酌人じゃ。四郎の前に出るには、ひょっとこ[#「ひょっとこ」に傍点]のお面でも被ってでなければ出られまい」
 そのひょっとこ[#「ひょっとこ」に傍点]の面が入用だといわれた高村町長が、向うからお面もつけずに畦道をやって来たものだから、水田に草むしりをしていた人たちは吃驚《びっくり》した。しかもその後には、凱旋将軍の北鳴四郎と、松屋松吉とが従っていたから、その驚きは二重三重になった。
 町長は白い麻の絣《かすり》に、同じく麻の鼠色した袴をはき、ニコニコした笑顔を、うしろにふりむけつつ、
「……この町から博士が出るなんて、考えても見なかった名誉なことじゃ。わしはなんなりと四郎……君のために便宜《べんぎ》を図るを厭《いと》わぬつもりじゃ。遠慮なく、申出て下され」
「いや私が珍しく帰って来たからといって、そんなに歓待して頂こうとは期待していません。ただ今申したとおり、この夏中数ヶ所に撮影用の櫓《やぐら》を建てて廻る地所を貸して頂くことだけには、特に便宜を与えて下さい」
「それくらいのことは何でもない、もっともっと、用を云いつけて下され。何しろ町の名誉にもなることじゃから……」
 と、町長は手を取らんばかりに、北鳴四郎に厚意を寄せるのだった。すべては昨夜、町長のところに贈った思いがけなく莫大な土産品《みやげひん》のなせる業《わざ》だった。
 北鳴は、町長の言葉が信じられないという風に、わざと黙っていた。
 そのとき松吉は、傍にある真新しい半鐘|梯子《はしご》を指して、北鳴に云った。
「これを御覧なすって。これがこの一年間、儂にさせて貰った只一つの仕事なんで……。こういう具合に、町の奴等は、儂に仕事を呉れねえで、虐待しやすで……」
 と、町長の方をグッと睨んだ。すると町長は、俄かに笑顔を引込め、松吉のいったことが聞えぬげに空嘯《うそぶ》いた。
「おお、これが松さんの仕事かネ」と北鳴は、梯子を下の方から上の方へ、ずっと眼を移していったが、そのとき何《ど》う思ったものか、カラカラと笑いだした
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