雷
海野十三
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)山岳重畳《さんがくちょうじょう》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)近頃|頓《とみ》に
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ひどくおんぼろ[#「おんぼろ」に傍点]な
−−
1
山岳重畳《さんがくちょうじょう》という文字どおりに、山また山の甲斐《かい》の国を、甲州街道にとって東へ東へと出てゆくと、やがて上野原《うえのはら》、与瀬《よせ》あたりから海抜の高度が落ちてきて、遂に東京府に入って浅川あたりで山が切れ、代り合って武蔵野《むさしの》平野が開ける。八王子市は、その平野の入口にある繁華な町である。
――待って下さい、その八王子を、まだ少し東京の方へゆくのである。そう、六キロメートルも行けばいいが、それに大して賑《にぎや》かではないけれど、近頃|頓《とみ》に戸口《ここう》が殖えてきた比野町《ひのまち》という土地がある。
それは梅雨《つゆ》もカラリと上った七月の中旬のこと、日も既に暮れてこの比野の家々には燭力《しょくりょく》の弱い電灯がつき、開かれた戸口からは、昔ながらの蚊遣《かや》りの煙が濛々《もうもう》とふきだしていた。
丁度その頃、一人の見慣れない紳士が、この町に入ってきた。その風体は、およそこの田舎町に似合わしからぬ立派なもので、パナマ帽を目深に被り、右手には太い藤《とう》の洋杖《ステッキ》をつき、左手には半ば開いた白扇を持ち、その扇面を顔のあたりに翳《かざ》して歩いていた。彼はなんとなく拘《かかわ》りのある足どりをして道の両側に立ち並ぶ家々の様子に、深い警戒を怠らないように見えた。
町は狭かった。だから彼は間もなく町外れに出てしまった。
闇の中に水田《みずた》は、白く光っていた。そしてそこら中から、仰々しい殿様蛙の鳴き声があがっていた。彼《か》の紳士は、ホッと溜息を漏らすと、帽子を脱いだ。稲田の上を渡ってくる涼しい夜風が紳士の熱した額を快く冷した。
「……思ったとおりだ。……今に見て居れ」
紳士は、町の方をふりかえると、低い声で独り言を云った。
彼は、恐ろしい殺人計画を、自分だけの胸中に秘めて、この比野の町へ入りこんできたのだった。紳士と殺人計画! 一体彼は何者なのであろうか?
折から、同じ道を、向うの方から
次へ
全22ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング