びだした。二人は非常に人目を忍ぶ事情にあるというのが、これが鳥渡《ちょっと》でも、旦那どのの耳に入れば、二人とも殺されてしまうに、きまってる。そこで誰にも知られぬ秘密の逢《あ》い場所というのが必要だったが、それは、たった一つあった。どこだと云うと、若い男の勤《つと》めている工場の、クレーンの上だった。若い男は、クレーンの運転手なんだ。工場が引けてしまうと、あの広い内部が、がらん胴《どう》だ。幸い女も、工場の案内を知っていた。というのが、その女も工場に働いていたのだ。女は恋しい男に逢いたいばっかりに、真暗《まっくら》な工場に忍び入り、非常に高い鉄|梯子《ばしご》を女の力で昇ったり、降りたりしたのだ。さて堕胎手術も、勿論《もちろん》その高いクレーンの上で、やることになった。若い男は教わって来たとおり、道具を女の身体に、挿《さ》し入れて、或る薬液を注入した。それは或る時間の後になって、成功したことが始めて判った。しかし女は、暫くの間、工場を休み、病臥《びょうが》しなければならなかった。だが折角《せっかく》の二人の苦心も水の泡だった。というのが、旦那どのが、女の様子から、疑惑を生じたためだった。その男は非常に嫉妬《しっと》深い奴《やつ》だったが、人一倍、利口な男なので、それと色には出さず、さまざまの苦心をして、情婦《おんな》をめぐる疑雲《ぎうん》について、発見につとめた。鬼神《きじん》のような其《そ》の男は、なにもかも知ってしまった。二人の身辺《しんぺん》から、歴然たる証拠も掴《つか》んだのだった。それより、ずっと前、旦那どのは、大体の輪廓《りんかく》を知ったので、憎むべき二人に対して、どんな復讐《ふくしゅう》をしようかと、画策《かくさく》した。その結果、考え出したのは、世にも恐ろしい二人の自滅《じめつ》計画だった。彼は、二人が堕胎を計った第九工場というのに、(夜泣《よな》き鉄骨《てっこつ》)という怪談を植《う》えつけた。その実、彼がコッソリ、夜中になると、工場へ忍びこみ、自分で、クレーンをキィキィ云わせたのだ。最後に、彼自身が、化物探険隊の先登《せんとう》に立って、真偽《しんぎ》を確《たしか》めたが、上と下とのスウィッチが、どっちも開《あ》いているのに、クレーンが、轟々《ごうごう》と動いたというので、これはいよいよ、怨霊《おんりょう》の仕業《しわざ》ということに極《き》まった。その実、その旦那先生が、先に立って、一々スウィッチを外《はず》して置いたのだ。怨霊の仕業ということになると、一番|戦慄《せんりつ》を感じたのは、若い男と、例の女だ。二人とも大いに思い当るところがある。というのは、自分達が手を下して闇から闇へ送ってしまった胎児《たいじ》の怨霊のせいに違いないと思いこんでしまう。さァ、こうなると、旦那どのの計画は、いよいよ思う壺《つぼ》に嵌《はま》っていったというわけだ。探険の結果、これは怨霊の外《ほか》に、理由がつかないと決定した夜のこと、旦那どのは、夜業《やぎょう》をしている情婦《おんな》のところへ行って、遂に引導《いんどう》の言葉を渡してきた。それは、のっぴきならぬ証拠を手に入れたので、明日になったら、警察へ告発するぞと脅《おど》したのだ。情婦は、思い余《あま》って、自殺の意を決し、自分の働いている工場の熔融炉《キューポラ》に飛びこんで、ドロドロに熔《と》けた鉛《なまり》の湯の中に跡方《あとかた》もなく死んでしまった。こんどは、若い男の番だった。旦那どのは、探険隊の中に、その男を入れることを忘れなかった。若い男を、ジリジリと苦しめてゆくのが、たまらなく快感を唆《そそ》ったのだった。若い男は、クレーンが独《ひと》りで動き出す大恐怖《だいきょうふ》の前に、永い間、ひき据《す》えられていた。更《さら》に、戦慄《せんりつ》を禁《きん》じ得《え》ないクレーンの上へ、引張り上げられたり、又降ろされたりした。そこへ、突如として、女の自殺を聞いた。それには旦那どのも遽《あわ》てた位だ。若い男は、女の飛込んだ熔融炉目懸けて、駈け出して行った。彼も女の跡を追って、この炉の中で死のうと決心した。そう思うと、彼は脱兎《だっと》のように熔融炉の鉄梯子を、かけ上ったのだ。友人の一人が助けようとして、後から上ろうとすると、そこへ旦那どのが、飛び出して、彼をつきとばした。そして、旦那どのは、恨《うら》み重なる男のあとにつづいて梯子を上って行ったのだ。これを見ていた人々は喝采《かっさい》した。それもそうだろう。いやたった一人を除いてはネ。そいつは、工場の隅《すみ》から、コッソリこの場の光景を眺めていた俺によく似た男さ、はッはッはッ。だが、その男にも、旦那どのの復讐が、どのように行われるのか、見当がつかなかった。ひょっとすると、旦那どのは、わざと梯子昇りの速力
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