ぞ!」
「誰か、助けてえ――」
わし[#「わし」に傍点]は、身体を動かした。邪魔になる人を押しのけて、熔融炉《キューポラ》の梯子の下まで来たときに、一足早く、雲的の奴が、梯子《はしご》に手をかけていた。
「うぬッ」
わし[#「わし」に傍点]は、雲的を、つきとばした。
「わし[#「わし」に傍点]が助ける」
鉄梯子に掴《つかま》って、上を見ると、政は、気息奄々《きそくえんえん》たる形であるが、早くも半分ばかりの高さまで登っていた。わし[#「わし」に傍点]は、ウン[#「ウン」に傍点]と、腰骨に力を入れると、トントンと、手拍子と足拍子と合わせて、梯子をスルスルと攀《のぼ》っていった。見る見る政とわし[#「わし」に傍点]との距離は、短縮されて行った。もう一息で、政の身体に手が届くというところで、わし[#「わし」に傍点]はツルリと、左足を滑らせた。ワッという溜息《ためいき》が、下の方から、聞えてきた。もう余すところは、五六尺しかない。ワンワン、ガヤガヤと、焦燥《もどかし》そうな群衆の声が聞える。わし[#「わし」に傍点]は、速力《スピード》をグッと速めた。
気が気じゃなく、上を見ると、政はすでに熔融炉《キューポラ》の縁《ふち》から上へ、上半身を出している。機会《チャンス》は、今を措《お》いて、絶対に無い。しかしわし[#「わし」に傍点]の手は、まだ三尺下にしか届かない。
ワンワン、ガヤガヤの声も、耳に入らなくなった。
政は身体を、くの字なりに、ぐっと曲げていよいよ飛びこむ用意をした。
「やッ!」
懸声諸共《かけごえもろとも》、わし[#「わし」に傍点]は、身体を宙に浮かせて、左手《ゆんで》をウンと、さしのべると、ここぞと思う空間を、グッと掴んだ。――
手応えはあった。
工場の屋根が、吹きとぶほど大きな歓声が、ドッと下の方から湧きあがった。
だが、こっちは、右手一本で、熔融炉の鉄梯子を握りしめ、全身を宙に跳ねあげたもんだから、左手《ゆんで》に政の足首を握った儘《まま》、どどッと、下へ墜《お》ちていった。右手を放しては、こっちが、たまらない。ガンと、横腹《よこばら》を、鉄梯子《てつばしご》に打ちつけたがそのとき、幸運にも右脚が、ヒョイと梯子に引懸った。
(しめたッ)
と思った瞬間、頭の上からバッサリ、熱くて重いものが、わし[#「わし」に傍点]を、突き墜《おと》すように、落ちてきた。そして、呀《あ》ッという間に、ヌラヌラと、顔や腕を撫でて、下へ墜落していった。それは、政の身体だった。辛うじてわし[#「わし」に傍点]が掴んだ政の身体だった。(これを離しては……)と私は懸命に怺《こら》えたが、その恐ろしい重力に勝つことが出来ず、遂《つい》にツルリと、わし[#「わし」に傍点]の指の間から脱けて、あいつ[#「あいつ」に傍点]の身体は、ヒラヒラと風呂敷のように、コンクリートの床を目懸けて、落ちていった。いや、全《まった》く、政の身体は風呂敷のように、舞いながら、墜ちて行ったのだった。わし[#「わし」に傍点]は、どうしたものか、急に笑いたくなって、クッ、クッ、ウフウフと、鉄梯子に、しがみついた儘《まま》、暫くは、動くことが出来ない程だった。
6
「これは横瀬さん。珍らしいね。さァ、こっちへ入ったり、入ったり」
わし[#「わし」に傍点]は、珍客の来訪にあって、だだっ広い、合宿の舎監《しゃかん》居間の一室へ招《しょう》じ入れた。
「今日は、何の御用かな」わし[#「わし」に傍点]は尋《たず》ねた。
「実は一つ聴いていただきたいことがあるのでして……」横瀬は、例のモジャモジャ頭髪《かみ》に五本の指を突込むと、ゴシゴシと掻《か》いた。
「どんな話かしらぬが、言ってごらんなせえな」わし[#「わし」に傍点]はチラリと、置時計の方を見たが、もう午後十時に近かった。
「じゃ、聴いて貰いますか」そう云って横瀬は、莨《たばこ》を一本、口に銜《くわ》えた。「これは、俺《おれ》の知っている、或る男の、素晴らしい計画なんだ。ねえ、その男は、自分の情婦《おんな》を、若い男に失敬されちまったんだ。いや、おまけに、情婦というのが、若い男の胤《たね》を宿しちまった。いいですか。これが普通の場合だったら、旦那どの胤だと、胡魔化《ごまか》せるんだが、生憎《あいにく》と、その旦那どのというのは、女に子を産ませる力がないことが医学的に判っているのだ。それで、胎《はら》の子を、胡魔化しようもないので、若い二人は秘《ひそ》かに会って泣きながら相談した。いい智恵も見付からぬ裡《うち》に、女の身体はだんだんと隠せない程、変ってくる。とうとう仕方なしに、胎の子には罪なことだが、堕胎《だたい》をすることに決心をした。若い男は、堕胎道具と、薬品を、さるところで手に入れて、女を呼
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