密林荘事件
海野十三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)痩《や》せ型《がた》の

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)今時|金縁《きんぶち》眼鏡を
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 密林荘で、熊井青年が自殺したという事件が、例の有名な旗田警部のところへ廻されて来た。
 この事件は、その熊井青年が青酸加里を飲んで死んだという点では明瞭であるが、その青酸加里を用意したのが当人であるか、それとも他の者であるかが明瞭でない。それからもう一つの難点は、その密林荘が密林中の一軒家であって、附近に家もなく、人の通行もあまりないところであるがため、熊井青年の死の前後の状況を証言する者が殆んど居ないことだった。それについて何かを述べ得る者は、今のところその密林荘の持主の息子である柴谷青年ただ一人が有るのみであった。この柴谷青年は、熊井と共にこの山荘に来ていた者である。
 旗田警部からの呼出しで、その柴谷青年は役所へやって来た。彼は痩《や》せ型《がた》の、顔色のどす黒い、そして今時|金縁《きんぶち》眼鏡をかけているという人物だった。
 警部は早速この青年について訊《たず》ねるところがあった。
「甚だお手数ですが、熊井君の自殺状況について、もう一度私に詳しいお話をして頂きたいのですが……。さあどうぞ、煙草をおとり下さい」
 と、警部は自分のシガレット・ケースを青年の前へ差出した。
「は、これはどうもすみません」
 柴谷は大いに喜んで、紙巻煙草を一本取って、警部のライターで火をつけた。柴谷の指先は、やにで染めたように褐色であった。
「これまでに何度もお話したことですが」柴谷は断りながら「熊井とはたいへん親しい間柄でしたが、ここ一ヶ月ばかり彼は非常に躁鬱性《そううつしょう》に陥っていましてね、死ぬんだ死ぬんだと僕に洩《もら》らしていました。僕は心配しましてね、何とかして彼を元気づけたいと思い、それには都会を離れて大自然の懐に入るのがいいと考え、幸いにうちの密林荘が空いていたものですから、そこへ連れていったのです。もちろん山荘ですから、二人で自炊生活するしかなかったのです」
「なるほど。それで密林荘というのは、どんなところですか」
「県境にある森林地帯の奥にあるのです。有名な××湖を傍にひかえていますが、湖岸から奥へ約十町ほど、昼なお暗き曲りくねった小径を入って行くと、突然
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