に、地下戦車の鼻さきをつっこんでやれ」
 少佐は、ときどきにたりと笑いながら、部下を指揮した。
 なにしろこの地下戦車は、土の中ではどんどん走るのかもしれないが、地上では、進退が甚《はなは》だ自由でない。それというのが、この戦車には、地上を走る車輪さえついていないのであった。
「どえらいことになりましたね」
 少佐のそばに目を丸くして立っていた萱原《かやはら》という古強者《ふるつわもの》の小隊長が、少佐に向っていったことである。


   危険信号


「なにごとも、体験じゃ。とはいうものの、この地下戦車を目的物にあてがってやるまでに、いやに世話がやけるねえ」
「はあ。やっぱり、これは車輪が入用《いりよう》ですなあ」
「岡部伍長は、この次には、車輪をつけるといいだすだろう」
「いや、少佐どの。この次には、岡部は、砲弾みたいに、火薬の力でこの地下戦車を斜面へうちこんでくれなどといい出すのじゃありませんかなあ」
「うむ、いいだしかねないなあ、岡部のことだから……」
 そのうちに、用意が出来た。
 地下戦車の鼻さきが、やわらかい赤土の中にすこしばかり入った。そして牽引車《けんいんしゃ》は、後に退いた。
「では、始めます」
 地下戦車の蓋《ふた》があいて、岡部伍長が顔を出し、信号旗をふった。
 加瀬谷少佐は、それにこたえて、手をふった。
 岡部が中に引込むと、また一つの首が、出てきた。そして手をふった。
「やあ、ご苦労!」
 それは、同乗を命ぜられた工藤上等兵《くどうじょうとうへい》だった。
「萱原准尉《かやはらじゅんい》。工藤は、命令をうけて、別にいやな顔をしなかったか」
「いや、大悦《おおよろこ》びでありました。工藤上等兵と来たら、生命を投げだすようなことは、真先《まっさき》に志願する兵でありまして……」
「ははは、まさか、今日のところは、一命には別条《べつじょう》はあるまい」
「そうですかなあ。私は、心配であります」
 そういっているとき、地下戦車の蓋は、ぱたんと閉った。車体のうしろの排気管《はいきかん》から、白い煙が、濛々《もうもう》と出てきた。
「うむ、いよいよ出るらしい」
 加瀬谷少佐をはじめ、試験部隊の一同は、固唾《かたず》をのんで、問題の地下戦車の上に視線をあつめる。
 そのときであった。
 岡部伍長の乗った地下戦車が、ぶるぶるんと震《ふる》えたようである。ぎりぎりという音がして、戦車の頭部から、土がぱらぱらととびちる。
 円錐形の廻転錐が、いよいよ廻転をはじめて、赤土をけずりだしたのであった。
「ああ、もぐっていくぞ。案外、いいね」
 加瀬谷少佐は、戦車のはねとばす土を、頭からかぶりながら、熱心に、地下戦車の廻転錐のところを注視《ちゅうし》する。
 ぶるぶるん、ぶるぶるん。ぎりぎり、ぎりぎり。
 地下戦車は、すさまじく土をはねとばしながら、すこしずつ、斜面《しゃめん》の土中《どちゅう》につきすすんでいった。
「やるやる、すごいぞ」
 そのうちに、土が、とばなくなってしまった。それは地下戦車が、頭部をすっかり土中に入れてしまったからである。
「おお、これからいよいよ本当の前進じゃ。うまくいくかな」
 少佐は、手に汗を握っている。
 萱原《かやはら》准尉は、自分が運転をしているかのように、額《ひたい》に汗をにじませて少佐と並んで、地下戦車のうしろから覗《のそ》く。
 地下戦車は、それから更に深く土中に入《い》りこんだ。おおよそ、全長の三分の二ばかりが、土中にはいりこんだのであるが、それっきり進まなくなってしまった。
「おや、進まなくなったぞ」
「エンジンは、かかっているのですが……」
「そばへいって、車体を叩《たた》いて、聞いてやれ」
「はい」
 萱原准尉が、とんでいって、いわれたように車体を上からどんどん叩いた。
「おい、岡部伍長、どうした?」
 ところが、それには返事がなかった。
 しかしそのとき、エンジンの響は、さらに一段と大きくなった。全馬力《ぜんばりき》を出しはじめたものらしい。
「おい岡部。どうした!」
 かさねて、萱原准尉が、とんとんと車体を叩いた。
 然《しか》し、応《こた》えはない。
 そのうちに、准尉は、びっくりしたようなこえをあげた。
「おや、これは、へんだぞ」
「どうしたのか、萱原」
「ああ、そうか。車体が廻っているのです。車体が左に廻っております」
「なに、車体が左へ廻っている。それはたいへんだ。それじゃ、宙返《ちゅうがえ》りをやっているのじゃないか。飛行機じゃあるまいし、戦車の宙返りは、感心しないぞ。岡部伍長、なにしとる!」
 そのうちに、戦車の排気管から、赤い煙が濛々《もうもう》と出て来た。そしてエンジンが、ぱたりと停ってしまった。少佐は、それをみて、大きくうなずき、
「ああ、あれは危険信号だ。おい、全隊、土を崩して、地下戦車を急ぎ掘り出せ!」
 珍らしい号令が出た。
 待機していた小隊の全員は、鶴嘴《つるはし》とシャベルとをもって、戦車のそばに駈けつけた。
 そして急いで土を崩して、地下戦車を救いにかかった。どうやら、地下戦車第一号は、失敗の巻《まき》らしい。


   科学する心


 せっかく骨を折って設計した地下戦車第一号が、ものの見事に、失敗の作となってしまったので、岡部一郎の落胆《らくたん》は、非常に大きかった。
 彼は、掘りだされた醜態《しゅうたい》の地下戦車の中から瓦斯《ガス》にふかれたまっくろな顔を外へ出したとき、その両眼は、無念の涙で一ぱいだった。
 彼は、戦車からはいだすと今にもぶったおれそうな身体を、両脚で支《ささ》えて、加瀬谷少佐の前に出た。
「部隊長どの、自分は……」
 とまではいったが、あとはのどにつかえて、声が出なくなった。彼は、歯をくいしばって、われとわが横面《よこつら》を、がーんとなぐりつけた。そして、はっとしたところで、彼は、懸命の声をふりしぼって、
「……自分は、すまないことをいたしました。用意が足りんで、まことに、すまないであります」
 岡部一郎は、それだけいうと、もうたまらなくなって、思わず戦車服の袖《そで》で、両眼をおさえた。ぽたぽたと、大粒の涙が、戦車帽の袖から、下に落ちて、土にしみこんだ。
 加瀬谷少佐は、じっと岡部伍長のこの様子を見ていたが、そのとき、形を改《あらた》め、
「岡部伍長、今日の地下戦車の試験は、ついに失敗におわった、お前の設計は、まだ充分でない。そのことは、部隊長として、叱《しか》り置く」
 と、きめつければ、岡部伍長は、涙にぬれた顔をあげ、厳然《げんぜん》と不動の姿勢をとって、
「はい」と、こたえた。
「だが、この失敗のためにお前に命じた地下戦車研究の志《こころざし》がもしすこしでも鈍《にぶ》るようなことがあれば、わしはお前をさらに叱りつけねばならん」
 加瀬谷少佐は、一段と声をはげましていった。
「はい」
「もし、ここでお前の志がくじけることあらば、わしは、お前の御奉公《ごほうこう》の精神をうたがう。つまり、お前は、自分一個の慾心《よくしん》で、これまで地下戦車の研究をつづけていたのだと思い、わしはお前を新《あらた》に叱るぞ」
「は」
「地下戦車の研究は、お前一個の慾望を充たすために、命ぜられているものではない。おそれおおくも、皇軍の高度機械化を一日も速《すみや》かに達成するため、特に地下戦車の設計製作の重責《じゅうせき》をお前が担《にな》っているのである。お前は、それを忘れてはならぬ。一日も速かに地下戦車が欲しいこの時局に、多大の物資を使って、而《しか》もついに失敗したということは、もちろん感心できないことである。しかしながら、失敗を失敗として、そのまま終らせてはならぬ。失敗はすなわち、かがやかしい成功への一種の発条《はつじょう》であると思い、このたびの失敗に奮起して、次回には、更にりっぱな地下戦車を作り出せ。そのときこそ、今日の不面目《ふめんぼく》がつぐなわれ、それと同時に、皇軍の機械化兵力が大きな飛躍をするのだ。泣いているときじゃない。失敗を発条として、つよくはねかえせ。どうだ、わしのいうことがわかるか」
 加瀬谷少佐のことばには、無限の慈愛《じあい》が言外《げんがい》にあふれていた。
「は、はい」
 岡部伍長は、感激のあまり、腸《はらわた》が千切《ちぎ》れそうであった。
 感激は、岡部伍長一人のものではなかった。彼と一緒に、その地下戦車にのりこんでいた工藤上等兵も、伍長の横に直立したまま、唇をぶるぶるふるわせていた。部隊長の傍《かたわら》に並いる萱原准尉その他の隊員たちも、ひとしく尊《とうと》い感激のうちにおののいていた。
 ああ歴史的なその大感激の場面よ。その場にいあわせた者は、誰一人として、その日のことを永遠に忘れえないであろう。
「……岡部伍長は、只今より、あらためて粉骨砕身《ふんこつさいしん》、生命にかけて、皇軍のため、優秀なる地下戦車を作ることを誓います」
「よろしい。その意気だ。しかし、機械化兵器の設計にあたって、いたずらに気ばかり、はやってはいかん。機械化には、あくまで、冷静透徹《れいせいとうてつ》、用意周到、綿密にやらんけりゃいかんぞ。新戦車をもって敵に向ったときに、あっけなく敵のためにひっくりかえされるようじゃ、役に立たん。おもちゃをこしらえるのでない。あくまで実戦に偉力《いりょく》を発揮するものを作り出すのだ」
「はい。わかりました」
「よろしい。では、本日の試験は、これで終了した。――おい、岡部伍長と工藤上等兵は、大分疲労しておるようじゃから、皆で、よくいたわってやれ」
 加瀬谷少佐は、慈父《じふ》のような温いことばをそこに残して、立ち去った。感激に、また涙を落としている二人の兵のまわりを、萱原准尉その他が取り巻いて、やさしく肩を叩いてやるのが見える。


   改良型第二号


 そのことあってのち、岡部伍長は、また一段と、地下戦車の研究に、ふるいたったようであった。
 彼はまた、例の倉庫の中の研究室にこもって、計算尺をうごかし、紙のうえに、鉛筆を走らせ、一分の時間もおしいという風に見えた。
 第一号戦車の失敗以来、一緒に戦車にのりこんだ工藤上等兵が、あらたに彼の助手として、その部屋に机をならべることになった。これは、一つには当人の希望でもあったし、また一つには、加瀬谷部隊長のおもいやりもあって、それが許されたのであった。
 だが、岡部伍長は、別に工藤上等兵の手をかりるほどの用はなかったのである。むしろ、工藤が邪魔になって仕方がないくらいであったが、それに反して、工藤はとても大悦《おおよろこ》びであった。
「伍長どの。こんどの設計は、すばらしいようですね。こいつはきっと、大成功ですよ」
 工藤は、岡部の前へ来て、方眼紙にかいた設計図を、熱心にのぞきこむのであった。
「おい工藤。そう、お前の頭を前に出してくれるな。そして、しばらくだまっていてくれ」
「は。邪魔をして、わるかったでありますね」
「いや、邪魔というのではないが、お前がこえを出すと、とたんに、そこまで出かかったいい考えが、ひっこんでしまうのだ」
「そうでありますか。では、だまっております」
 工藤は、ちょっとさびしそうな顔になって、自分の机の上に、本をひろげる。
 そんなことがくりかえされているうちに、何時《いつ》からはじまったか、岡部もよくおぼえていないが、工藤上等兵が、この部屋の出入に、きまってボール紙の函《はこ》を携帯しているのに気がつくようになった。
「工藤。お前がいつも手に持っているその函には、何がはいっているのか。ばかに、大事にしているじゃないか。中には、菓子でもしのばせてあるのではないか」
「ちがいますよ。伍長どの。自分は、御存知《ごぞんじ》のように、酒はすきですが、甘いものは、きらいであります」
「じゃあ、中には何がはいっているのか」
「は、この中には、ソノ、ええと、自分の身のまわりの品がはいっているのであります。あやしいものではありません」
「そうか。それならいいが……」
 工藤は、ほっとしたよう
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