げんな顔で上の様子をうかがっていると、そのうちに壕の中が俄《にわ》かに明るくなった。
「おやおや、へんだな」
と思っていると、足許《あしもと》が、はっきり見えるではないか。手提電灯《てさげでんとう》の光で見えるのではない。もっと白々《しらじら》と、はっきり見える。そのうちに、壁をつたわって、なにかしら、いやに赤いものが、ちょろちょろと流れおちてきた。
「おや、いやに赤いものが、流れてきたぞ。このあたりは赤土の層だというが、いくら赤土にしても、すこし赤すぎるようだが……」
と、一郎は、ふしぎそうに、自分の足許へ流れて来たその赤いものを見ていると、それが、ぴんぴんと跳《は》ねだしたではないか。
「あれェ、赤土が、跳ねるなどということが、あるだろうか。赤土が、魚になったのかしら……」
と、一郎は、まだ気がつかない。
「ほう、金魚のようだぞ。地下金魚――なんてものが棲《す》んでいるのだろうか」
一郎は、また顔をあげて天井を見たが、そのとき、大きな音がして、天井の土が、どしゃりとくずれた。
「あっ!」
と、一郎が、とびのくのと、天井に、ぽっかりと明るい窓があくのと、ほとんど同時であった。
「これは、へんだ。ひょっとすると……」
と思っているうちに、その天窓《てんまど》が急にくらくなったかと思うと、大きな黒い材木のような怪物が落ちてきた。そして、一郎の足許で猛烈にあばれだしたから、さあ、たいへんであった。一郎の顔も服も、泥水をぶっかけられて、目もあけていられない。跳ねている怪物は、目の下半メートルもあろうという大鯉《おおごい》だった。
天井から、奔流《ほんりゅう》する水は、ものすごく、まるで天竜川《てんりゅうがわ》のようであった。一郎の膝の下は、たちまち水の中につかってしまった。そうなると、もう、逃げだすことも出来なかった。逃げだす路は、天井にあった穴のほかはなかった。
水は、いいあんばいに、腰のところでとまり、それ以上はふえなかったから、一郎は、かろうじて溺死人《できしにん》とならないですんだ。
彼は、シャベルとつるはしとを力にして、ずるずるする斜面を、天窓の方へのぼっていった。そこには、もう一郎の身体のはいるだけの大きな穴があいていた。
「よっこらしょ、よっこらしょ」
一郎は、斜面をのぼっていった。そしてついに、その天窓から、首を出してみた。
「うわッ」
きゃーっという悲鳴が、彼の耳をうった。
「怪物だァーおい、逃げろ」
という声も聞えた。
だが一郎は、あまりに眩《まぶ》しくて、しばらくは何も見えなかった。なんだか、ひろびろとした世界へ出ているらしいことはわかったけれど……。
「こりゃ怪物、そこうごくな。そちに、あいたずねるが、貴公は人間の性《しょう》をもったる者か、それとも、河童《かっぱ》のたぐいであるか。正直に、返答をせよ」
へんな言葉づかいの声が、岡部一郎の耳にきこえてきた。そのとき彼は、もう観念してしまった。ようやく事情が、はっきりしたのであった。地中を掘ってゆくうち、そういうことのないように気をつけていたつもりであったけれど、とうとうお隣りの鬼河原邸《おにがわらてい》の泉水《せんすい》をこわしてしまったのであった。すなわち今彼に向って「やあやあ汝《なんじ》は人間の性《しょう》か河童のたぐいか」とどなっているのは、鬼河原家の三太夫《さんだゆう》氏の声にちがいない。
「えらいことを、やってのけたぞ。三太夫さんがびっくりしているうちに早いところ逃げないとたいへんだ」
一郎は、ふたたび、
「うわーッ」
と、声をあげると、穴からとびだした。
なにごとが起ったかと、泉水の方をこわごわみていたお邸《やしき》の連中は、泉水の中から、いきなり、泥まみれの小僧《こぞう》が、シャベルとつるはしとをもってとびだしたものだから、きもをつぶしてしまった。奥へ逃げこむ者、その場にへたばる者、わめきちらす者のある中を、一郎は、自分の家の庭に生えている大きい欅《けやき》の樹を見当にして、まっしぐらに走りだした。そして、お邸の垣根をこえて、自分の家の庭へ、とびこんだのであった。
人間地下戦車事件の終幕だった。
人間地下戦車が、お隣りの鬼河原邸の泉水《せんすい》をこわしてしまったので、岡部一郎は、たいへん叱られた。
そのあげく、とうとうシャベルもつるはしも、一郎から取り上げられてしまったので、彼は、当分おとなしくしなければならなかった。しかし彼は決して、地下戦車をこしらえ地下戦車長になることを断念したわけではなかった。国防のために突進しようと決心した彼であった。誰に叱られようと、退却するようないくじなしの岡部一郎ではなかった。
信越線
さて、それから月日がながれた。そして、冬となった。
会社の主任の小田さんが、急に新潟県へ出張することになった。
それを聞いた一郎は、ぜひ小田さんについて行《ゆ》きたいとねがった。彼は、東京育ちであったから、新潟県というところを、見たくなったのである。
それを聞いて、小田さんは、
「おい岡部、今ごろ新潟県へいっても、すこしも、おもしろいことはないよ。今は、雪ばかり降っているのだ。高田市などは、もう四、五メートルも雪が積っているという話だから、たいへんだよ」
小田さんは、一郎をつれていって、風邪《かぜ》を引かせるといけないと思い、そういった。
「ぜひ僕は、いきたいんです。小田さん、僕は、雪がそんなに降ったところを見たことがないから、ぜひみせてください。それから僕は、もう一つ、ぜひみたいものがあるんです」
「もう一つみたいものって、なにかね」
「それはねえ、ラッセル車です」
「ラッセル車?」
「つまり、鉄道線路に積っている雪をのける機関車のことです。いつだか、雑誌でみたのですよ。雪の中を、そのラッセル車が、まるい大きな盤のようなものをまわして、雪を高くはねとばしていくのです。すばらしい光景が、写真になって出ていた」
「ああ、そうか。それなら、ロータリー式の除雪車《じょせつしゃ》のことだな。そんなものをみて、どうするのかね」
と、主任の小田さんは、また目をくしゃくしゃさせ、そしてしきりに鼻の下をこすった。
「それは、いわなくても、わかっているじゃありませんか。僕、このロータリーとかいうのを見て、地下戦車をこしらえる参考にしたいのです。だから、ぜひつれていってください」
「ははあ、そうか。やっぱり、そうだったのか。よし、そういうわけなら、所長に頼んで、なんとかしてやろう」
小田さんは、わかりの早い人である。そこで所長にうまく話こんでくれた。その結果、岡部一郎は、破格《はかく》の出張を命ぜられることとなった。
生れてはじめての遠い旅行である。小田さんと待ちあわせて、上野駅を夜行でたった。汽車は、たいへん混んでいた。
「岡部、安心して、ねなさい。朝になって、いいときに、私が起してあげるから」
小田さんは、一郎をねるようにすすめた。一郎は一時に気づかれが出て、まもなく、ぐっすりと寝込んだ。
朝は、早く目がさめた。一郎を起してくれるはずの小田さんは、まだぐうぐうねむっていた。一郎は、起きるとすぐ、手帳を出して白い頁《ページ》をひろげた。そして万年筆を握って、何か書き出した。
「未来の地下戦車長、岡部一郎」
筆墨《ひつぼく》はなくても、未来の地下戦車長、岡部一郎と書くことをお休みにすることはできない。
そのうちに、小田さんが、目をさました
「おやおや、もう習字をやっているね。そのうちにやめるかと思ったがなかなかつづくね。全く感心だ」
小田さんは感心をして、未来の地下戦車長のために、朝の弁当を買ってくれた。
除雪車を見たのは、その日のお昼ごろであった。汽車は、雪のため、昨夜来《さくやらい》、やや速力がにぶってきたが、とうとう午前十時ごろには、雪の中に停ってしまった。そして、向うから除雪車が来るのを待つこととなった。
二時間ぐらいたって、
「ああ、来た来た。ロータリーだ」
と、人々がさわぎ出したので、一郎はまだぐうぐうねむっている小田さんをゆすぶり起して、外へ出た。線路の横の雪山のうえにのぼると、除雪車が黒煙《こくえん》をあげつつ、近づくのが見えた。ロータリーだ。ロータリーに当って、雪は、まるで爆布《ばくふ》[#「爆布」はママ]のようにうつくしく横へはねとばされる。壮観《そうかん》とは、このことであろう。中空《ちゅうくう》にかかる雪の爆布[#「爆布」はママ]は、だんだんと近づいてきた。こっちからは、車体はすこしも見えない。見えるのは、ただ雪と煙りとだけであった。
除雪車が、そばまで来て停ったので一郎は、はじめて、除雪車の構造をよく見ることが出来た。ロータリーの歯車は、ぴかぴか光っていた。雪をはじめにかきこむ鋤《すき》は、ものすごく大きくて、前へ廂《ひさし》のように出ていた。一郎は、時間のたつのも忘れて、じっと見つめていた。
掘出した扇風機
新潟県から帰ってきて、一郎はすっかり考えこんでしまった。除雪車が、あんなに壮観なものとは考えていなかった。そして、つよい蒸気の力を借りて、たくさんの雪が、みるみる跳《は》ねとばされていくところなどをみていると、地下戦車も、かならず出来なければならないと感じた。
「地中を、あのロータリー除雪車のもっとしっかりしたようなもので、どんどん掘っていったら、きっとうまくいくかもしれない」
一郎は、なんとかして、そういう機械をつくってみたくて仕方がなかった。
しかし機械をつくるには、たくさんのお金が入用《いりよう》であった。機関車一台でも、一万円ちかくかかるのであった。一万円などという大金を、一郎がつくれるはずがなかった。だから、ざんねんながら、まにあわせに、模型《もけい》でもつくってみるほかないと思った。
さて、模型をつくるにしても、なかなか費用がかかる。一郎のように、貧乏な家の子供は、お金のかかることなんか、出来ないのであった。といって、このまま指をくわえて引込《ひっこ》んでいるわけには、いかなかった。
一郎は、いろいろと思いなやんだ。ひとつ会社をやめて、もっと儲《もう》かる仕事をはじめようかしら。
彼は、発明王エジソンの少年時代のことを思い起こした。エジソンの家も、たいへん貧しかった。しかし少年エジソンは化学の実験がたいへんすきで、もっともっと、自分の思うように、それをたくさんやってみたくて仕方がなかった。そこでエジソン少年は、まず新聞売子になった。新聞を売って、それで儲《もう》けたお金で、たのしい実験につかう薬品を買うことにしたのであった。エジソンは、新聞を汽車の中や駅で売ったのであった。
そのうち、エジソンは、自分で新聞を発行することを考えた。その方が、たくさん儲かるからであった。彼は、汽車の中の一室を、その新聞の発行所にあてた。彼の新聞は、よく売れた。それで、彼の思うような薬品が買えた。彼は汽車の中で、化学実験をつづけたのであった。くるしいけれども、たのしい日が、エジソンのうえにつづいた。或る日、汽車が揺《ゆ》れた拍子《ひょうし》に車内の薬品棚《やくひんだな》から、燐《りん》の壜がおちてこわれ、たちまち燐は空気中の酸素と化合をはじめ、ぼーっと燃えだした。火事だ。汽車の中に火事がはじまったのである。火事を出したおかげで、彼は新聞を発行することが出来なくなってしまった。――そんなことを、エジソンの伝記でよんだことがあった。
「よし、僕は、やるぞ!」
エジソンのように、彼も自力《じりき》で働こうと思った。そしてもっと、たくさんのお金を儲け、そしてもっとたくさんの時間を、地下戦車の研究につかえるようにしたいと考えた。
小田さんは、一郎の決心をきいて、いろいろと止めたけれど、彼の決心はつよかった。そして彼は、とうとう廃品回収屋さんを始めることとなった。一郎の母親をときふせることは、小田さんにたのんだ。
かがやかしき(一郎にいわせると)新体制への発足《ほっそく》であった。
廃品回収屋さんとい
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