未来の地下戦車長
海野十三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)岡部《おかべ》一郎

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|昨日《さくじつ》も、

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)かん[#「かん」に傍点]だけで
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   かわった手習《てなら》い


 岡部《おかべ》一郎という少年があった。
 彼は、今年十六歳であった。
 彼の家は、あまりゆたかな生活をしていなかった。それで彼は、或《ある》電灯会社につとめて、もっぱら電灯などの故障の修理を、仕事としている。なかなか一生けんめいに働く一郎であった。
 彼は、中学校へもあがれなかったが、技術は大好きであった。そのうち、電気工事人の試験をうけて、一人前の電気工になろうと思い会社の係長さんに、いつも勉強をみてもらっている。
 ところが、その一郎が、近頃、なにに感じたものか、毎朝起きると机に向って墨《すみ》をする。
 墨がすれると、こんどは、古い新聞紙を机の上にのべて、筆に、たっぷり墨の汁《しる》をふくませる。それから、筆を右手にもって、肘《ひじ》をうんと張り、新聞紙の面にぶっつける。
“未来の地下戦車長、岡部一郎”
 これだけで十二文字になる。
 この十二文字を、彼は、古新聞の両面が、まっくろになるまで、手習《てなら》いをするのである。
 一|昨日《さくじつ》も、やった。昨日もやった。今日もやった。だから、明日も、やるであろう。
 書く文字は、いつも同じである。
“未来の地下戦車長、岡部一郎”
 毎朝、この文字を三十二へんぐらいも、習うのである。
 字が上手になるためのお習字かと思うと、そうばかりではない。いや、はっきりと一郎の気持をいうと、字のうまくなることは、第一の目的ではなく、第二以下の目的だ。第一の目的は、なにかというのに、それはもちろん、本当に、未来において地下戦車長になることだった。
 地下戦車長!
 地下戦車――なんて、そんなものが有るのであろうか。
 地下戦車とは、地面の下をもぐって走る戦車のことである。そんな戦車がある話を、だれも、きいたことがない。だが、一郎は、いうのである。
「そうでしょう。どこにもない戦車でしょう。だから僕は、地下戦車を作って、その戦車長になりたいんだ。ああ、地下戦車! そんなものがあれば、どんなにいいだろう。日本の国防力が、うんと強くなるにちがいない。だから僕は、きっと作りあげるのだ。地下戦車を!」
 岡部一郎は、そんな風に、いうのであった。
 それは、正《まさ》しく一郎のいうとおりであった。地下戦車とは、じつにすばらしい思いつきである。地下戦車が出来たら、そいつは、どんどん、地面の下を掘っていって、敵陣の真下に出るのであろう。そして、爆薬をそこに仕掛けるとか、或いは、めりめりと、敵の要塞《ようさい》のかべを破って、侵入する。さぞや敵は、胆《きも》をつぶすことであろう。たしかに、そいつは強力な兵器である。
 一郎の思いつきは、じつに、すばらしいのであるが、はたして、そんなものが出来るであろうか。こいつは、なかなかむつかしい問題である。
「そんなもの、出来やしないよ。だって、水の中や空気の中じゃないんだもの。地面を掘ってみても、すぐわかるけれど、土というものは、案外かたいものだよ」
 と、一郎の仲良しの松木亮二《まつきりょうじ》が、いったことである。
「そんなに、かんたんに、出来やしないよ。しかし、工夫すれば、きっと出来ると思うんだ。それに、地下戦車が日本にあれば、すてきじゃないか。どこの国にだって、負けないよ。僕は、なんとかして、地下戦車を作るんだ」
「だめだよ。そんなむずかしいものは……」
「いや、作るよ。作ってみせる。きっと作って、亮二君を、びっくりさせるよ。いいかい」
「だめだめ。出来やしないよ。そんな夢みたいなこと」
 亮二は、一郎のいうことを、とりあわなかった。
 いや、亮二でなくとも、大人でも、一郎のいうことを、とりあわなかったであろう。
「日本のため、僕は、どんなことがあっても、地下戦車を作ってみせるぞ」
 電灯会社の修理工の一郎は、だんぜん地下戦車を作りあげるつもりである。さればこそ、毎朝、“未来の地下戦車長、岡部一郎”と、大きな文字を書いて、自分をはげましているのであった。
 はたして、地下戦車は、一郎の手によって、出来上るだろうか。今のところ、少年修理工岡部一郎と地下戦車との間には、あまりに大きなへだたりがあるように見える。


   痛い瘤《こぶ》


 一郎は、それから後も、ずっと、“未来の地下戦車長”の手習《てなら》いをつづけていた。
 或日、彼は、会社の机に向って、そこに有り合わせた修理|引受書《ひきうけしょ》用紙を裏がえしにして、ペンで“
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