に木の枝などをつかって、書くこともあった。
当時、一郎の隊長は、加瀬谷少佐《かせやしょうさ》であった。少佐は、一郎に目をかけて、特にきびしく教育をした。他の兵が、遊んでいるときも、一郎は少佐の前に坐って、いろいろむつかしい数学や技術の教育をうけた。それからまた、ときには、外国の研究などについても、少佐は、知っているだけのことを、話してきかせた。
ある日のこと、加瀬谷少佐は、若き岡部伍長をよんで、いった。
「岡部伍長。今日は、お前に、問題をあたえる。相当困難な問題ではあるが、全力をあげて、やってみろ」
「はい」
「その問題というのは、一、最も実現の可能性ある地下戦車を設計せよ――というのだ」
「はい、わかりました。一、最も実現の可能性ある地下戦車を設計せよ」
「そうだ。一つ、やってみろ。今から一週間の猶予《ゆうよ》をあたえる。その間、加瀬谷部隊本部附勤務を命ずる」
「はい」
一郎は、それをきくと、もう胸の中がうれしさ一ぱいで、ろくに口もきけないほどだった。
「では、引取ってよろしい。明日から、早速《さっそく》はじめるのだぞ」
「はい。自分の全力をかたむけて、問題をやりとげます」
岡部伍長は、厳粛《げんしゅく》な敬礼をして、よき部隊長の前を下がった。
さあ、たいへんである。
これは、今までのように、彼の趣味だけの仕事ではない。軍からの命令であった。国軍のために、実戦に役立つ地下戦車を設計するのだ。たいへんな任務であった。
彼は、早速《さっそく》その夕刻《ゆうこく》、原隊《げんたい》から、所持品一切をもって、隊本部へ移った。
彼のために、一つの部屋があたえられた。それは、やがて倉庫になるらしい木造のガランとした部屋であった。
夕食が済むと、彼は、下士官集会所へも顔を出さず、この新しい部屋へもどってきて、電灯をつけた。
彼は、どこから手をつけようかと考えながら、ひろい部屋の中を、こつこつと靴音をさせながら、あるきまわった。
彼は、ふと、窓のそばによった。凍《こお》りついたつめたい窓硝子《まどガラス》の向こうに、今、真赤な月がのぼりつつあった。
ああ、月がのぼる。
「月を見ると、思い出すなあ」
と、岡部伍長は、ふと、ひとりごとをいった。
「ゴルフ場ともしらず、三十頭のもぐらを放して、もぐらが土を掘るところを研究したあの夜、あの月を見たなあ」
もぐら事件のことを思うと、たのしいやら、おかしいやらであった。
彼は、あのだだっぴろいうつくしい大草原《だいそうげん》が、ゴルフ場だとは、気がつかなかったのであった。ゴルフ場と知ったら、もちろん、もぐらを放《はな》つような、そんならんぼうなことをやらなかったろう。それがゴルフ場だとわかったのは、あの事件が、新聞に出てからのことであった。
その新聞記事というのが、ふるっていた。
“○○ゴルフ場の怪事件、某国《ぼうこく》落下傘隊《らっかさんたい》の仕業か、多数のもぐらを降下さす”
彼には、すっかりわけがわかっていたからこの新聞記事を読んでいるうちに、ふきだしてしまった。
だが……。
あのゴルフ場の番人が、真夜中になって、クラブハウスの窓から、はるか向こうのゴルフ場の一隅に、怪火《かいか》がゆらぎ(これは一郎のもっていた懐中電灯のことだ)それから朝になっていってみると、約百頭のもぐらが、折角《せっかく》手入れしてあったゴルフ場のフェアウェイを、めちゃめちゃに掘りかえしてあったというのだ。
百頭とは、話が多すぎる。
とにかく、このように多数のもぐらが、一時に、ゴルフ場へ匐《は》いこむ筈《はず》がない。だからこれはきっと、空中から落下傘で、もぐらを下《お》ろしたのであろう。
その目的は、どんなことか、さっぱりわからないが、あの怪火は、落下傘隊員がふりまわしたものであろう――と、まことしやかに報じていた。
「あれは、おかしかったなあ。――しかし、それはそれとして、おれはやっぱりもぐらを基本とした地下戦車を設計するぞ」
岡部伍長は、自信あり気に、独言《ひとりごと》した。
方眼紙《ほうがんし》
岡部伍長は、仕事はじめの夜に、窓から見たまんまるい月のことを、いつまでも忘れられなかった。
その夜、彼は午後九時まで、地下戦車の設計に、頭をひねったのであった。その結果、どんなものが出来たであろうか。岡部の机のうえには、大きな方眼紙《ほうがんし》がのべられ、そのそばには、さきをとがらせた製図鉛筆が三本、置かれてあったが、午後九時、彼が寝台《しんだい》へ立つまでに、その方眼紙のうえには、一本の線も引かれはしなかった。
「むずかしい。とても、むずかしい!」
さすがの岡部伍長も、太い溜息《ためいき》とともに、憂鬱《ゆううつ》な顔をした。
ふだん、こんなものが出来た
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