数の上に立っていることじゃ。数を心得ないで、かん[#「かん」に傍点]ばかりで物事を決めるような非科学的なでたらめな奴は、頼母《たのも》しくない』と、信長公は蘭丸を褒められたのが真相じゃろうと、僕はそう思うんだ」
「なあんだ。係長さんが、そう思うのですか」
「いや、本当は、きっとそうだろうと思うのだ。信長公は、科学的なえらい大将だったからね。つまり、数というものを土台にして、物事を考えるという事が、たいへん大事なことなのさ」
「いや、面白いお話を、ありがとうございました」
と、一郎は、おじぎをして、向うへ行こうとした。
すると係長さんは、大声で、それを停め、
「おいおい、岡部。お前は話の途中で向うへいっては、いけないじゃないか」
「はあ、まだ話のつづきがあるのですか」
「続があるのですかじゃないよ。ほら、あのことはどうした、君の家の防空壕のことは……いや防空壕じゃない、人間地下戦車のことは……」
「ああ、そうでしたね。こいつは、しまった。係長さんのお話が、あまりに面白かったもので、話の本筋を忘れてしまったんです」
「つまり、いいかね、一日で掘った壕の長さを三百六十五倍すると、一年間に、どのくらいの壕が掘れるかという答えが出てくるだろう。さあ、計算してみたまえ」
係長さんは、ちゃんと、話の本筋をおぼえていた。
「さあ、けさ、掘ってきたのは、ほんのわずかです」
「わずかでもいい。これを三百六十五倍するのだ」
「ええと、まだ穴になっていないのですけれど、あの調子で毎朝掘るとして、三日に、一メートル半位ですかね」
「じゃあ、一日につき半メートルだね。その三百六十五倍は?」
「半メートルの三百六十五倍ですから、百八十二メートル半ですね」
「そら、見たまえ、百八十二メートルもの穴といえば、相当長い穴じゃないか」
「そうですね。ちょっと長いですね」
「朝だけ、掘っても、一年には約二百メートルの穴が出来る。これを十人が掘れば、二千メートル。また二百メートルの穴でよいのなら、十人あれば、三十六七日で掘れる。明治三十七八年|戦役《せんえき》のとき、旅順《りょじゅん》の戦《いくさ》において、敵の砲台を爆破するため、こうした坑道《こうどう》を掘ったことがあるそうだ」
「はあ、人間地下戦車は、そんな昔に、あったのですか」
「うむ。いくら、わが軍が、肉弾でもって、わーっと突撃していっても、敵のうち出す機関銃で、すっかりやられてしまって、敵の陣地も砲台も一向に抜けないのだ。仕方がないから、敵の陣地や砲台の下まで坑道を掘った。そして、ちょうどこの真下に、爆薬を仕かけてきて、導火線を長く引張り、そしてどかーんと爆発させたのだ。こいつが、なかなか効《き》き目《め》があって、それからというものは敵の陣地や砲台が、どんどん落ちるようになった。わが工兵隊のお手柄だ」
「はあ、なるほど。昔の兵隊さんは、えらいことをやったものですね」
「あまり効き目があるものだから、敵の方でも、この戦法を利用して、わが軍の方へ穴を掘ってきた。とんかちとんかちと、穴の中でつるはしをふるって土を掘っているのが、お互いに聞えることさえあった。早く気がついた方が、爆薬をしかけて、後方へ下がる、知らない方は土を掘りながら、爆死したものだ」
「ずいぶん、すごい話ですね。係長さん、これもやっぱり、浪花節でおぼえたのですか」
「ばかをいえ。そういつも浪花節ばかり聞いていたわけじゃない。これは、その戦争に出た、僕のお父《とう》さんから聞いた話だ」
井戸掘り地質学
係長さんから、数値の上に立った模範少年の森蘭丸の話を聞いたり、それからまた、旅順攻撃の、坑道掘りの話を聞いて、「未来の地下戦車隊長」を夢みる岡部一郎は、たいへん教えられるところがあった。全く、小田さんは、いい係長さんだ。
一郎は、その日も夕方、家へ帰ると、一時間ばかり、シャベルを持って穴を掘った。その翌日も、朝起きると、シャベルを握った。こうして続けているうちに、穴は段々深くなり、地上から三メートル位も深く掘れた。
或る日の夕方、一郎が、あいかわらず、人間地下戦車となって、汗みどろに土を掘っていると、
「一郎さん、此頃《このごろ》しきりに土地を掘っているようだが、井戸掘《いどほ》りかね」
と、声をかけた者がある。
「ああ、お隣りの御隠居《ごいんきょ》さんですね。井戸ではないのですけれど……」
「じゃあ、防空壕かね。防空壕が出来たら、わしも入れてもらいますよ」
「防空壕でもないんだけれど……」
「じゃあ、何だね」
「さあ、ちょっといえないんですよ」
軍機の秘密だ。母親にさえ、打ちあけてない秘密なのだから……。
「わかっているよ、一郎さん。防空壕だよ。防空壕が出来ても、わしを入《い》れまいとして、そういうんだろう。わかって
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