ちかくかかるのであった。一万円などという大金を、一郎がつくれるはずがなかった。だから、ざんねんながら、まにあわせに、模型《もけい》でもつくってみるほかないと思った。
さて、模型をつくるにしても、なかなか費用がかかる。一郎のように、貧乏な家の子供は、お金のかかることなんか、出来ないのであった。といって、このまま指をくわえて引込《ひっこ》んでいるわけには、いかなかった。
一郎は、いろいろと思いなやんだ。ひとつ会社をやめて、もっと儲《もう》かる仕事をはじめようかしら。
彼は、発明王エジソンの少年時代のことを思い起こした。エジソンの家も、たいへん貧しかった。しかし少年エジソンは化学の実験がたいへんすきで、もっともっと、自分の思うように、それをたくさんやってみたくて仕方がなかった。そこでエジソン少年は、まず新聞売子になった。新聞を売って、それで儲《もう》けたお金で、たのしい実験につかう薬品を買うことにしたのであった。エジソンは、新聞を汽車の中や駅で売ったのであった。
そのうち、エジソンは、自分で新聞を発行することを考えた。その方が、たくさん儲かるからであった。彼は、汽車の中の一室を、その新聞の発行所にあてた。彼の新聞は、よく売れた。それで、彼の思うような薬品が買えた。彼は汽車の中で、化学実験をつづけたのであった。くるしいけれども、たのしい日が、エジソンのうえにつづいた。或る日、汽車が揺《ゆ》れた拍子《ひょうし》に車内の薬品棚《やくひんだな》から、燐《りん》の壜がおちてこわれ、たちまち燐は空気中の酸素と化合をはじめ、ぼーっと燃えだした。火事だ。汽車の中に火事がはじまったのである。火事を出したおかげで、彼は新聞を発行することが出来なくなってしまった。――そんなことを、エジソンの伝記でよんだことがあった。
「よし、僕は、やるぞ!」
エジソンのように、彼も自力《じりき》で働こうと思った。そしてもっと、たくさんのお金を儲け、そしてもっとたくさんの時間を、地下戦車の研究につかえるようにしたいと考えた。
小田さんは、一郎の決心をきいて、いろいろと止めたけれど、彼の決心はつよかった。そして彼は、とうとう廃品回収屋さんを始めることとなった。一郎の母親をときふせることは、小田さんにたのんだ。
かがやかしき(一郎にいわせると)新体制への発足《ほっそく》であった。
廃品回収屋さんとい
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