うな文鎮《ぶんちん》を買って持っていたことなど、不審と言えば不審である。けれどもそれは全くの不審にすぎないことで、証拠として残されたものは一つもないのであるから、まことに根拠は薄弱で、断罪《だんざい》の日には「証拠不十分」として裁判官から一蹴《いっしゅう》されるべき性質のものだった。
この個條書を、くりかえし眺めていた彼は突然、
「こりゃ、可笑《おか》しいぞ」
と呟いた。
(五)の個條のところで、園部が文鎮《ぶんちん》を買ったことを指摘しているが、若しこれは園部が星尾を帰宅の途中で殺害するつもりで用意したものとすると、一体園部はどんなきっかけから星尾を殺す決心を急に起したのであるか。そんな下手な殺し方をすれば彼のしたことは直ぐ判明する筈であった。それが判らぬ彼ではないのに、敢《あ》えてそうしたのは、急に何か星尾に握られたものがあったのではあるまいか。刑事が行き合わなかったら、星尾はすでに此《こ》の世《よ》の人でなかったかも知れないのである。
そう考えると、彼は星尾に会って問《と》い訊《ただ》したいと思った。仕度をすると、直ぐに留置場へ行き星尾に、何か陳《の》べわすれているものはないか、特に電車の中あたりで何か無かったかと尋ねてみた。
星尾は別に大したことはなかったようだ。言いわすれたのは、電車の中で自分が不用意にも下に落した脱脂綿を遽《あわ》てて拾いあげるところを園部にみられた位のことだと言った。
念のために、川丘みどりを引出して、云い忘れたことはないかと尋ねたところ、彼女は前よりもすこし落付きを見せて答えた。
「わたし、ちょっとしたことを忘れていましたのよ。それは倶楽部《クラブ》で麻雀をうっているとき、不図《ふと》足の下を見ますと、アノ脱脂綿が落ちていましたもんで、まア恥《はずか》しいことだと思いソッと拾いあげたんです。それは、もうやめるすこし前のことでした。たしかに拾いあげて袂《たもと》に入れた筈の脱脂綿が、あとで気がつくとなかったんです」
それは明らかに、第一の綿を星尾に盗まれた後の出来事に違いなかった。その綿には例の毒薬がついていたのだ。これは後に星尾の手に入ったものである。そこで彼は思いついて尋ねた。
「あなたは、電車の中で、どこに坐っていましたか」
「そうですね、あの時はあまり蒸し暑くて苦しかったものですから、となりの電車の箱との通路になって
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