不沈軍艦の見本
――金博士シリーズ・10――
海野十三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)米英《べいえい》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)日本対|米英《べいえい》
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     1


 さても日本対|米英《べいえい》開戦以来、わが金博士《きんはかせ》は従来《じゅうらい》にもまして、浮世《うきよ》をうるさがっている様子であった。
「ねえ、そうでしょう。白状なさい」
 と、その客は金博士の寝衣《ねまき》の裾《すそ》をおさえて話しかけるのであった。金博士が暁の寒冷《かんれい》にはち切れそうなる下腹《したばら》をおさえて化粧室にとびこんだとたん、扉の蔭に隠忍待《いんにんま》ちに待っていたその客は、鬼の首をとったような顔で、金博士の裾をおさえて放さないというわけである。
「これこれ、そこを放せ。早く放さんか。一大爆発が起るわ。この人殺しめ」
 博士は、身ぶるいしながら、鍋《なべ》のお尻のように張り切ったる下腹《したばら》をおさえる。客は、そんなことには駭《おどろ》く様子もなく、
「大爆発大いに結構。その前に一言でもいいから博士|直々《じきじき》の談《はなし》を伺《うかが》いたいのです。すばらしい探訪《たんぽう》ニュースに、やっと取りついたのですからな。さあ白状なさい」
「なにを白状しろというのか、困った新聞記者じゃ」
「いや私は、録音器持参の放送局員です。博士から一言うかがえばよろしい。あの赫々《かっかく》たる日本海軍のハワイ海戦と、それからあのマレイ沖海戦のことなんです」
「そんなことをわしに聞いて何になる。日本へいって聞いて来い。おお、ええ加減に離せ。わしは死にそうじゃ」
「死ぬ前に、一言《ひとこと》にして白状せられよ。つまり金博士よ。あの未曾有《みぞう》の超々大戦果《ちょうちょうだいせんか》こそ、金博士が日本軍に対し、博士の発明になる驚異《きょうい》兵器を融通《ゆうずう》されたる結果であろうという巷間《こうかん》の評判ですが、どうですそれに違いないと一言いってください」
「と、とんでもない」
 と金博士は、珍らしく首筋まで赧《あか》くして首を振った。
「と、とんでもないことじゃ。あの大戦果は、わしには全然無関係じゃ。わしが力を貸した覚えはない」
「金博士、そんなにお隠《かく》しにならんでも……」
「莫迦《ばか》。わしは正直者じゃ。やったことはやったというが、いくら訊《き》いても、やらんことはやらぬわい。これ、もう我慢《がまん》が出来ぬぞ、この殺人訪問者め!」
 大喝一声《だいかついっせい》、金博士は相手の頤《あご》をぐわーンと一撃やっつけた。とたんにあたりは大洪水《だいこうずい》となったという暁の珍事《ちんじ》であった。
 というようなわけで、あれ以来博士は、あられもない濡衣《ぬれぎぬ》をきせられて、しきりにくすぐったがっている。かの十二月八日の博士の日記には、いつもの大記載《だいきさい》とは異《ことな》り、わずかに次の一行が赤インキで書き綴《つづ》られているだけであった。もって博士の驚愕《きょうがく》を知るべし。
“流石儂亦顔負也矣! 九排日本軍将兵先生哉!”
 とにかく愕《おどろ》いたのは金博士ばかりではない。全世界の全人間が愕いた。殊に最もひどい感動をうけたものは、各国参謀軍人であった。あの超電撃的地球儀的|広汎《こうはん》大作戦が、真実《しんじつ》に日本軍の手によって行われたその恐るべき大現実に、爆風的圧倒を憶《おぼ》えない者は一人もなかった。
(いや、今までの自分たちの頭脳は、あのような現実が存在し得ることを感受するの能力がなかったのだ。今にしてはっきり知る、自分たちの頭脳は揃いも揃って発育不全であったことを! ああ情けなや)
 と、彼らの多くは、それ以来すっかり気力を失って、右向け右の号令一つ、満足にかけられないという始末《しまつ》であった。
 その後一ヶ月を経《へ》て、彼らはようやく正気《しょうき》らしいものに立ち帰ったようである。その証拠には、あれから一ヶ月程してから、彼らはしきりに忙《いそが》しそうに仕事を始めたことを以て窺《うかが》うことが出来る。
 但しその仕事というのが、ちと奇抜すぎはしないかと思われる種類のものであった。彼らは、どこから手に入れたか、机上《きじょう》に夥《おびただ》しい文献を積み上げて、一々それを熱心に読み且《か》つ研究を始めたのであった。
 その文献なるものを、ちょいと覗《のぞ》いてみると、曰《いわ》く「世界お伽噺《とぎばなし》、法螺《ほら》博士物語」、曰く「カミ先生|奇譚集《きたんしゅう》」、曰く「特許局|編纂《へんさん》――永久運動発明記録全」、曰く「ジーメンス研究所|誇大妄想班《こだいもうそうはん》報告書第一|輯《しゅう》乃至《ないし》第五十八輯」、曰く「世界|瘋癲病《ふうてんびょう》患者|妄想要旨類聚《もうそうようしるいじゅう》」、曰く「新青年《しんせいねん》――金博士|行蹟記《ぎょうせきき》」、曰く「夢に現れたる奇想集」等々、一々書き切れない。
 この奇妙なる文献の山と、彼らのくそ真面目な顔とを見くらべて、もしや彼らが十二月八日をショックとして云いあわせたように気が変になったのではないかと疑念《ぎねん》を抱かせるものがあるのであったが、二三の者に小当りに当ってみた結果によると、変になったわけでもないらしい。そして彼らの整理簿の上には、これまた云いあわせたように、次の如き格言様《かくげんよう》の文句が見やすきところに大書されてあった。すなわち、
“世の中に、真に不可能なるものは有り得ず。ナポレオン”
 又曰く、
“不可能なるものこそ最も恐るべく、且つ大警戒すべし。フランキー・ルーズベルト”


     2


 そのフランキー・ルーズベルトであるが、彼は十三月八日(十三月は誤植《ごしょく》にあらず、アメリカでは一九四一年の大惨敗《だいざんぱい》を記念するために従来の如く十二月末日を過ぎても年号を改めることをなさず、その後は一九四一年十三月、一九四一年十四月、エトセトラというが如く同じ年号でつづけていくこととなった。だから十三月というは、欧洲でいう一九四二年一月のことと思えばよろしいのである)――その十三月八日において、彼ルーズベルトは、彼の特使を、かの金博士に面会さすべく遂《つい》に成功したのであった。
「わしはルーズベルトは嫌いだよ。あいつはわしの大嫌いな人間じゃからな」
 金博士は、最初の一撃でもって、特使をごつんとやっつけた――つもりであった。しかし最初の一撃には、既に体験ずみのアメリカ人のこととて、かの特使はくらくらとしながらも首をたて直し、
「そのことはまた別の機会にゆっくり弁明することにいたしまして、ねえ金博士、わが大統領は、博士において今回お願いの一件さえお聴届け下されば、次のアメリカ大統領として、金博士を迎えるに吝《やぶさか》ならぬといわれるのです。どうです、すばらしいではありませんか、あの巨大なる弗《ドル》の国の大統領に金博士が就任《しゅうにん》されるというのは……」
「この上海《シャンハイ》では、弗は依然として惨落《さんらく》の一途を辿《たど》っているよ。今日の相場では……」
「ああ、もうし、ちょっとお待ち下さい。この件を御承諾《ごしょうだく》下さいますならば、シカゴの大屠殺場《だいとさつじょう》に、新《あらた》に大燻製工場《だいくんせいこうじょう》をつけて、博士にプレゼントするとも申されて居りますぞ」
「あほらしい。シカゴは既に日本軍の手に落ちて、自治委員会が出来ているというじゃないか。お前さんは、わしを偽瞞《だま》しに来なすったか」
「と、とんでもない。ええとソノ、私の今申しましたシカゴというは、元のシカゴではなくて、今回ユータ州に出来ましたるヌー・シカゴのことです。そのヌー・シカゴの大屠殺場に……」
「これこれ、空虚なる条件をもって、わしをたぶらかそうと思っても駄目じゃ。もう帰って貰いましょう」
「空虚というわけではありませんぞ。わが大統領も、全く以て真剣なんです。その証拠には、ここに持って参りましたる燻製見本を一つ御風味《ごふうみ》ねがいたい。これはわがアメリカ大陸にしか産しないという奇獣《きじゅう》ノクトミカ・レラティビアの燻製でありまして、まあ試みにこの一|片《ぺん》を一つ……」
 と、特使は、隠し持ったるフォークとナイフを電光石化《でんこうせっか》と使いわけて、あやしげなる赤味をおびた肉の一片を、ぽいと博士の口に投げ入れるなれば、かねて燻製ものには嗅覚《きゅうかく》味覚《みかく》の鋭敏《えいびん》なる博士のことなれば、うむと呻《うな》って、思わずその一片を口の中でもぐもぐもぐとやってみると、これが意外にも大したしろものであった。燻製|通《つう》の博士がこれまでに味わった百十九種の燻製のそのいずれにも属せず、且《か》つそのいずれもが足許《あしもと》にも及ばないほどの蠱惑的《こわくてき》な味感《みかん》を与えたものであるから、かねて燻製には食《く》い意地《いじ》のはったる博士は、卓子《テーブル》の上に載っている残りのノクトミカ・レラティビアの肉を一片又一片と口の中に投《ほう》り込む。
 してやったりと、傍《かたわら》においてにんまり笑ったのは、かの特使であった。このノクトミカ・レラティビアの燻製肉こそは、カナダの国境附近の産になる若鹿《わかしか》の肉にアマゾン河にいる或る毒虫《どくむし》の幼虫《ようちゅう》を煮込《にこ》み、その上にジーイー会社で極超短波《ごくちょうたんぱ》を浴《あび》せかけて、電気燻製とし、空前絶後《くうぜんぜつご》の味をつけたものであって、この調理法は学者アインシュタインの導《みちび》き出したものであった。故《ゆえ》にこの燻製肉を一度|喰《くら》えば、あたかも阿片《あへん》において見ると同じ麻痺的症状《まひてきしょうじょう》を来《きた》し、絶対的人間嫌いが軟化《なんか》し、相対的《そうたいてき》人間嫌いと変るという文字通り苦肉《くにく》の策を含んだものであった。果してその効果がありたると見え、金博士は両眼《りょうがん》さえ閉じ呼吸《いき》もつかずに、残余《ざんよ》のノクトミカ・レラティビアをフォークの先につきさして喰うわ喰うわ……。
「そこで金博士。わが大統領のお願い申す一件のことですが、ぜひとも金博士の発明力《はつめいりょく》を煩《わずら》わして、絶対に沈まない軍艦を一|隻《せき》、至急|御建造《ごけんぞう》願いまして、当方へ御下渡《おさげわた》し願いたいのであります。お分りですかな。つまり、いかなる砲弾なりとも、いかなる重爆弾《じゅうばくだん》なりとも、はたまたいかなる空中魚雷《くうちゅうぎょらい》なりとも、その軍艦に雨下命中《うかめいちゅう》するといえども絶対に沈まない軍艦を御建造願いたいのであります。一体そういうものが、博士のお力によりお出来になりましょうか」
 これに対して、博士の返答は、もとより聞かれなかった。しかし特使は、失望することなく、いやむしろ相当の自信ありげに、金博士が怪《あや》しき燻製肉ノクトミカ・レラティビアの見本全部を喰べ終るのをしずかに見まもっているのであった。


     3


 卓上の一切を平《たいら》げ終ったとき、金博士は嵐のような溜息《ためいき》を立てつづけに発したことであった。
 今までに博士が、燻製肉を喰べて、こんな大袈裟《おおげさ》な溜息をついたことは一度もなかった。ということは、恐《おそ》るべき忌《いま》わしき妖毒《ようどく》が、今や金博士の性格を見事に切り崩《くず》したその証左《しょうさ》と見てもさしつかえないであろうと思う。
「うふふん。じ、実に美味《びみ》なるものじゃ。珍中の珍、奇中の奇、あたかもハワイ海戦の如き味じゃ。うふふん」
 と、博士が暫《しばら》くめに、感にたえたようなことばを吐いた。
「そんなにお気に召すなら、見本として、もっと持参してまいりましたものを」
「そうじゃったなあ。君も特使の
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