とがめ、
「ああ大統領閣下。金博士ごとき東洋人にたぶらかされてはなりませぬ。第一おかしいではありませんか。命中したら必ず艦に穴が明くはず、穴が明けば必ずそこから海水が入って、たちまち轟沈《ごうちん》及至《ないし》撃沈《げきちん》となるはず。ですから、あんなに厳然《げんぜん》としているはずはありませんぞ」
「わっはっはっ」
金博士が、あたり憚《はばか》らぬ大声で笑い出した。
「これ金博士。あなたは司令官を侮辱《ぶじょく》なさるか」
「わっはっはっ、ヤーネル君。さっき君は、たしかに五弾命中と自《みずか》らいったではないか。それにも拘《かかわ》らず、今さら一弾も命中せざるごとくいうのは何事だ。それとも、たった五千メートルの距離から、静止《せいし》せる巨艦を射撃して、二十門の砲手が、悉《ことごと》く中《あた》り外《はず》れたとでも仰有《おっしゃ》るのかね。なんという拙劣な砲手ども揃いじゃろう」
「ああ、うーむ、それは……」
ヤーネルの赤い赭《あか》い顔が、急にカンバスの如く白くなった。
金博士は、それ見ろといわんばかりに、提督の顔を尻目に見て、
「さあ、ルーズベルト君、ぐずぐずしていては、また鋭敏《えいびん》なる日本空軍に発見される虞《おそ》れあり。さあさあ次の砲弾を撃ちこむなり、それとも爆撃でも雷撃でも、何でもさっさと早くやったりやったり」
と、金博士は只《ただ》一人なかなか機嫌がよろしく見えた。
大統領は、眼鏡を掌《て》の中に握り潰《つぶ》すと、居ても立ってもいられないという顔付で、
「こら、航空隊出動せよ。爆撃をやれ、雷撃もやれ。早くせんか」
と呶鳴《どな》りたてた。
さあたいへん。大統領の激怒《げきど》である。ぐずぐずしていては、後の祟《たた》りの程もおそろしと、旗艦《きかん》マサチュセッツから発せられる総爆撃雷撃の命令!
と、忽《たちま》ち近づく飛行機の爆音、来たなと思う間もなく西空《にしぞら》は夥《おびただ》しい爆撃機の翼《よく》が重《かさな》り合って真暗《まっくら》になった。それが驚異軍艦の上まで来ると、袋の底が破れてその穴から黒豆《くろまめ》がぽろぽろ落ちるような工合《ぐあい》に、幾百幾千という爆弾がばら撒《ま》かれた。
と、忽ち起る爆発音と大水柱と大きなうねりとの交響楽《こうきょうがく》! 巨艦《きょかん》の姿は、水柱の蔭に全く見えなくなってしまった。
こんどこそは沈んだらしいと思っていると、間もなく水柱が、ざざーざっと海面に落ちこぼれると、あーら不思議、金博士の驚異軍艦ホノルル号の厳然たる姿が、神のごとくはっきり浮び出たではないか。
「ああっ、ちゃんとしている……」
嘆息《たんそく》と畏敬《いけい》の声が同時に起る。
「三十八弾命中!」
と、空中からの報告が届いたのは、このときであった。
「なんだ、三十八弾命中? しかし、ホノルル号は顛覆《てんぷく》もしないでちゃんと浮いているぞ」
と、大統領の嘆声《たんせい》。そのとき金博士が傍《そば》へ近づいて、ホノルル号からすこし放れた海面において新たにぽかりぽかりと盛り上る大きな泡《あわ》をさして、何やらいって、ふふふふと笑った。大統領は、蒼褪《あおざ》めた長い顔をしきりに縦《たて》にふって肯《うなず》く。
「ふーん、三十八弾、いずれも甲板から艦底に通り抜けたか。しかも穴一つ明かず……。これは驚異じゃ。ハワイ海戦の前に、これを知って居たらなあ。ちえっ、遅かった」
と、大統領は、かぶっていた帽子を手にとって、両手でびりびりと引き破った。
「雷撃機出動です」
ヤーネルが、蚊《か》のような細い声でいった。
しかし大統領は、もう雷撃にはなんの興味をもっていなかった。何百本の空中魚雷をうちこもうと、到底《とうてい》あの驚異軍艦を撃沈することは出来ない。今や彼の灼《や》けつくような好奇心は、かくも不思議な奇蹟を見せる驚異軍艦の構造の謎の只一点に集中されていたのであった。
「見せてくれ、あの驚異軍艦の中を! わしは直《す》ぐ、あれを真似して百|隻《せき》ばかりこしらえるんだ」
大統領は、あえぎながら、金博士の胸倉《むなぐら》をとって哀訴《あいそ》した。
「御覧になれば、なんだこんなものかと思われるですよ。はははは」
と、金博士は謙遜とも皮肉《ひにく》とも分からない笑い方をして、大統領をはじめ、建艦委員たちを案内して、驚異軍艦ホノルル号についていった。
6
艦《ふね》には、ふしぎにも、水兵一人居らなかった。そしてぷんぷんとゴムくさかった。
「一言にしていえば、つまりこの艦は、艦体《かんたい》を厚いゴムで包んだものと思えばよろしい」
と、博士はひどく気のなさそうな声でもって説明を始めた。
「しかし本当は、もっと複雑な構造をもっているんだ。今それをお目にかけよう。さあ、両傍《りょうわき》へ分れてください」
そういうと、金博士は車のついた大きな電気メスをもちだして、甲板《かんぱん》に当てた。すると甲板は火花を散らし、黒い煙をたてながら、まるで庖丁《ほうちょう》でカステラを切るように剪《き》れた。博士はメスを置いて、こんどは高圧ブラストで、甲板の破片を海中へ吹きとばした。すると甲板の大きく切られた断面が人々の目の前に現れた。
「これ御覧。すてきに厚い最良質《さいりょうしつ》のゴムの蒲団《ふとん》みたいなものじゃ。爆弾が上から落ちる。するとゴムの蒲団にもぐる。その間に爆弾の方向が鋼鉄《こうてつ》の艦体に平行に曲る。そしてそのまま走るから、鋼鉄の艦体の外側をぐるっと廻って艦底に出て、そこでゴム底を突き破って、爆弾は水中へどぼんと通り抜ける。な、分るでしょうがな」
金博士は、大統領の顔を見る。大統領は大きく肯《うなず》き、傍にいる建艦《けんかん》委員の誰かの腕をつかんでゆすぶり、
「おい、君たちにも分るだろうな。よく覚えておくんだぞ。後でこのとおり作るのだから……」
「はい、大統領閣下」
「そこでこの爆弾の通過時間の長さじゃが、もちろん時限以内のすこぶる短時間で艦外へ抜け出るようになっていること、それからこのゴムは爆弾で初めに穴は明《あ》くが、爆弾が通り抜けると直ちに収縮《しゅうしゅく》して穴をふさぐから水を吸い込む余裕のないこと、この二点についてわしはちょっと苦心をしたよ」
博士は、かすかに溜息《ためいき》をついた。大統領閣下は、嵐のような長大息《ちょうたいそく》をした。
「舷側《げんそく》を狙う砲弾や魚雷も、同じことに、ゴム蒲団の中でぐるっと方向をかえて、鋼鉄の艦体の外をぐるっと廻って、艦底から海底へ落ちる。今舷側を切って見せてやるよ」
おどろいた構造の軍艦である。瞠目《どうもく》するアメリカ人を尻目に、博士は、こんどは電気メスをとって、舷側をぴちぴちごしごしと切り始めた。
舷側は、張板《はりいた》が二つに割れるように見事に切れた。しかし、あまり切れすぎて、吃水《きっすい》以下まで裂《さ》けてしまったものだから、待っていましたとばかり海水がどんどん艦内へ突入してくる有様だった。
「いや、そんなものに愕かなくてもよろしい。これ、わしの大事な説明を聞くんだ、ルーズベルト君」
「そうだ。ここが重要な個所だ。建艦委員、よく見、よく聞け」
「これがすなわち、さっき話をしたように……」
と、博士の説明が始まったが、轟々《ごうごう》たる浸水《しんすい》の音がとかく邪魔をしていけない。博士はそれにお構いなく喋《しゃべ》りつづける。
一応の説明がすんだ。
大統領はもちろん、幕僚も建艦委員も共に金博士の智力《ちりょく》の下に慴伏《しょうふく》した感があった。
「うむ、大したものだ。これを真似《まね》て、早速百隻の不沈軍艦をつくれば、日本海軍に太刀打《たちうち》出来ないこともあるまい」
「どうだ、気に入ったかね、ルーズ君」
「いや、大気《おおき》に入りだ。余《よ》は金博士を今日只今、名誉大統領に推薦することを全世界に宣言する」
「大きなことをいうな」
「そして金博士に贈るに、ナイアガラ瀑布一帯の……いや、瀑布のように水が入ってくるわい。おや、艦《ふね》がひどく傾いて沈下《ちんか》してきたが、まさかこの不沈軍艦が沈むのではあるまいな」
「この見本軍艦の用もすんだから、わしはもうこの辺で沈めて置こうと思うのじゃ。さあルーズベルト君。ぐずぐずしていると、艦《ふね》もろとも沈んでしまうよ。いそいで本艦を退去したまえ」
「え、それはたいへん。おい急ぎ引揚げろ。して、金博士、君は」
「わしのことは心配するな。艦載機《かんさいき》にのって引揚げる。すっかり自動式のこのホノルル号に、水兵一人乗っていないから、わしが引揚げさえすれば、それでよいのじゃ。さらば、さらば」
7
大統領は命からがら沈みつつある不沈軍艦ホノルル号を退艦《たいかん》した。
後がワシントンに帰ってきたときは、出かけるときとはちがって、大した上機嫌《じょうきげん》であった。
「さあ、余は百隻の不沈軍艦を、これから一年間のうちに所有することになるぞ。早速《さっそく》建艦命令|教書《きょうしょ》を書くことにしよう。おおヤーネルか、すばらしいじゃないか。再生のわが不沈艦隊は……」
「しかし……」とヤーネルは、不審《ふしん》の様子で、大統領のよろこぶ顔を見上げていう。
「不沈軍艦建造案は、たいへんよろしいですが、大統領閣下、それに使うゴムはどこから手に入れるのでございましょうか」
「なにゴム? ゴムは蘭印《らんいん》マレイから……いや失敗《しま》った」
とたんに大統領は、蒼白《そうはく》になって、椅子の上にのびてしまった。一体どうしたというのであろう。壁間《へきかん》には、塗りかえられた旧蘭印《きゅうらんいん》、旧マレイの地図が、夕陽《ゆうひ》を浴びて赤く輝いていた。
底本:「海野十三全集 第10巻 宇宙戦隊」三一書房
1991(平成3)年5月31日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
1942(昭和17)年2月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年10月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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