絶後《くうぜんぜつご》の味をつけたものであって、この調理法は学者アインシュタインの導《みちび》き出したものであった。故《ゆえ》にこの燻製肉を一度|喰《くら》えば、あたかも阿片《あへん》において見ると同じ麻痺的症状《まひてきしょうじょう》を来《きた》し、絶対的人間嫌いが軟化《なんか》し、相対的《そうたいてき》人間嫌いと変るという文字通り苦肉《くにく》の策を含んだものであった。果してその効果がありたると見え、金博士は両眼《りょうがん》さえ閉じ呼吸《いき》もつかずに、残余《ざんよ》のノクトミカ・レラティビアをフォークの先につきさして喰うわ喰うわ……。
「そこで金博士。わが大統領のお願い申す一件のことですが、ぜひとも金博士の発明力《はつめいりょく》を煩《わずら》わして、絶対に沈まない軍艦を一|隻《せき》、至急|御建造《ごけんぞう》願いまして、当方へ御下渡《おさげわた》し願いたいのであります。お分りですかな。つまり、いかなる砲弾なりとも、いかなる重爆弾《じゅうばくだん》なりとも、はたまたいかなる空中魚雷《くうちゅうぎょらい》なりとも、その軍艦に雨下命中《うかめいちゅう》するといえども絶対に沈まない軍艦を御建造願いたいのであります。一体そういうものが、博士のお力によりお出来になりましょうか」
 これに対して、博士の返答は、もとより聞かれなかった。しかし特使は、失望することなく、いやむしろ相当の自信ありげに、金博士が怪《あや》しき燻製肉ノクトミカ・レラティビアの見本全部を喰べ終るのをしずかに見まもっているのであった。


     3


 卓上の一切を平《たいら》げ終ったとき、金博士は嵐のような溜息《ためいき》を立てつづけに発したことであった。
 今までに博士が、燻製肉を喰べて、こんな大袈裟《おおげさ》な溜息をついたことは一度もなかった。ということは、恐《おそ》るべき忌《いま》わしき妖毒《ようどく》が、今や金博士の性格を見事に切り崩《くず》したその証左《しょうさ》と見てもさしつかえないであろうと思う。
「うふふん。じ、実に美味《びみ》なるものじゃ。珍中の珍、奇中の奇、あたかもハワイ海戦の如き味じゃ。うふふん」
 と、博士が暫《しばら》くめに、感にたえたようなことばを吐いた。
「そんなにお気に召すなら、見本として、もっと持参してまいりましたものを」
「そうじゃったなあ。君も特使のくせに、気の利かぬことじゃ。尤《もっと》もアメリカの軍人というやつは……」
「おっと、皆まで仰有《おっしゃ》いますな。それよりもさっき申上げた不沈軍艦《ふちんぐんかん》の件ですが、博士のお力で、左様《さよう》なものが出来るでございましょうか。それとも覚束《おぼつか》のうございますかな」
 特使は、わざと博士の気にさわるような言葉を使う。
「つまらんことを訊《き》くものじゃない。この世の中にわしに出来ないものなどは、一つもないわ。不沈軍艦なぞ造ろうと思えばわけはない。十ヶ月の猶予《ゆうよ》期間さえあれば、不沈軍艦一隻、なんの造作《ぞうさ》もなく造って見せるわ」
 と、博士は例によって、至極《しごく》事《こと》もなげに言ってのける。
「えええッ」
 と、仰天《ぎょうてん》し、狂喜《きょうき》したのは、かの特使であった。
「本当でございますか、それは……あのう、十六吋の砲弾、いや十八吋の砲弾、二十|吋《インチ》の砲弾をうちこまれても沈まないのですぞ」
「砲弾をいくらうちこんでも、一つだって穴が明《あ》きはしない」
「えええッ。そいつは豪勢《ごうせい》ですね。いや砲弾ばかりではない。空中からして、日本空軍のまきちらす重爆弾が雨下命中したらば、どうなりますか」
「たとえ幾十発幾百発の重爆弾が落ちてこようとも、あとに一つの穴だって明かない。絶対に大丈夫だ」
「しかし、このとき空中魚雷を抱《いだ》きたる日本の攻撃機数十台が押し寄せ、どどどっと、空中魚雷を命中させ……」
「穴は明きません」
「続いて、果敢《かかん》なる日本潜水艦隊が肉薄《にくはく》して、数十本の魚雷を本艦の横腹《よこばら》目がけて猛然と発射するときは……」
「大丈夫だといったら、大丈夫だ。しかし大統領にこういいなさい。たしかに不沈軍艦一隻――しかも排水量《はいすいりょう》九万九千トンというでかいやつを造ってお渡しする。しかしわしは、これを金銭《きんせん》づくで作ってやろうというのではない……」
「わかっています。燻製肉の一件……」
「いや、燻製肉の代償《だいしょう》を欲しているわけでもない。慾心《よくしん》で、それを造ってあげようというのではない」
「すると全面的に、わがアメリカを援助せられて……」
「自惚《うぬぼ》れてはいかん。とにかくこの代償として、わしはルーズベルト大統領がいつも鼻の上にかけている眼鏡を貰いた
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