至《ないし》第五十八輯」、曰く「世界|瘋癲病《ふうてんびょう》患者|妄想要旨類聚《もうそうようしるいじゅう》」、曰く「新青年《しんせいねん》――金博士|行蹟記《ぎょうせきき》」、曰く「夢に現れたる奇想集」等々、一々書き切れない。
この奇妙なる文献の山と、彼らのくそ真面目な顔とを見くらべて、もしや彼らが十二月八日をショックとして云いあわせたように気が変になったのではないかと疑念《ぎねん》を抱かせるものがあるのであったが、二三の者に小当りに当ってみた結果によると、変になったわけでもないらしい。そして彼らの整理簿の上には、これまた云いあわせたように、次の如き格言様《かくげんよう》の文句が見やすきところに大書されてあった。すなわち、
“世の中に、真に不可能なるものは有り得ず。ナポレオン”
又曰く、
“不可能なるものこそ最も恐るべく、且つ大警戒すべし。フランキー・ルーズベルト”
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そのフランキー・ルーズベルトであるが、彼は十三月八日(十三月は誤植《ごしょく》にあらず、アメリカでは一九四一年の大惨敗《だいざんぱい》を記念するために従来の如く十二月末日を過ぎても年号を改めることをなさず、その後は一九四一年十三月、一九四一年十四月、エトセトラというが如く同じ年号でつづけていくこととなった。だから十三月というは、欧洲でいう一九四二年一月のことと思えばよろしいのである)――その十三月八日において、彼ルーズベルトは、彼の特使を、かの金博士に面会さすべく遂《つい》に成功したのであった。
「わしはルーズベルトは嫌いだよ。あいつはわしの大嫌いな人間じゃからな」
金博士は、最初の一撃でもって、特使をごつんとやっつけた――つもりであった。しかし最初の一撃には、既に体験ずみのアメリカ人のこととて、かの特使はくらくらとしながらも首をたて直し、
「そのことはまた別の機会にゆっくり弁明することにいたしまして、ねえ金博士、わが大統領は、博士において今回お願いの一件さえお聴届け下されば、次のアメリカ大統領として、金博士を迎えるに吝《やぶさか》ならぬといわれるのです。どうです、すばらしいではありませんか、あの巨大なる弗《ドル》の国の大統領に金博士が就任《しゅうにん》されるというのは……」
「この上海《シャンハイ》では、弗は依然として惨落《さんらく》の一途を辿《たど》っているよ。今日の相場では……」
「ああ、もうし、ちょっとお待ち下さい。この件を御承諾《ごしょうだく》下さいますならば、シカゴの大屠殺場《だいとさつじょう》に、新《あらた》に大燻製工場《だいくんせいこうじょう》をつけて、博士にプレゼントするとも申されて居りますぞ」
「あほらしい。シカゴは既に日本軍の手に落ちて、自治委員会が出来ているというじゃないか。お前さんは、わしを偽瞞《だま》しに来なすったか」
「と、とんでもない。ええとソノ、私の今申しましたシカゴというは、元のシカゴではなくて、今回ユータ州に出来ましたるヌー・シカゴのことです。そのヌー・シカゴの大屠殺場に……」
「これこれ、空虚なる条件をもって、わしをたぶらかそうと思っても駄目じゃ。もう帰って貰いましょう」
「空虚というわけではありませんぞ。わが大統領も、全く以て真剣なんです。その証拠には、ここに持って参りましたる燻製見本を一つ御風味《ごふうみ》ねがいたい。これはわがアメリカ大陸にしか産しないという奇獣《きじゅう》ノクトミカ・レラティビアの燻製でありまして、まあ試みにこの一|片《ぺん》を一つ……」
と、特使は、隠し持ったるフォークとナイフを電光石化《でんこうせっか》と使いわけて、あやしげなる赤味をおびた肉の一片を、ぽいと博士の口に投げ入れるなれば、かねて燻製ものには嗅覚《きゅうかく》味覚《みかく》の鋭敏《えいびん》なる博士のことなれば、うむと呻《うな》って、思わずその一片を口の中でもぐもぐもぐとやってみると、これが意外にも大したしろものであった。燻製|通《つう》の博士がこれまでに味わった百十九種の燻製のそのいずれにも属せず、且《か》つそのいずれもが足許《あしもと》にも及ばないほどの蠱惑的《こわくてき》な味感《みかん》を与えたものであるから、かねて燻製には食《く》い意地《いじ》のはったる博士は、卓子《テーブル》の上に載っている残りのノクトミカ・レラティビアの肉を一片又一片と口の中に投《ほう》り込む。
してやったりと、傍《かたわら》においてにんまり笑ったのは、かの特使であった。このノクトミカ・レラティビアの燻製肉こそは、カナダの国境附近の産になる若鹿《わかしか》の肉にアマゾン河にいる或る毒虫《どくむし》の幼虫《ようちゅう》を煮込《にこ》み、その上にジーイー会社で極超短波《ごくちょうたんぱ》を浴《あび》せかけて、電気燻製とし、空前
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