体の蔭でやっているのである。顔を動かすこともいまは慎《つつし》まねばならないときだと思ったので、乃公は鏡に映っているその手を見た。そしてシガレット・ケースを見た。
(おや?)
乃公はちょっと吃驚《びっくり》した。わが手の中にあるのは、シガレット・ケースではなかったから……。
(……ピストル!)
乃公の握りしめているのは、一挺のブローニングの四角なピストルだったではないか。乃公はふらふらと眩暈《めまい》を感じた。
すると、そのときだった。鏡の中の乃公はそのピストルを持つ手を静かに腹の方から胸へ上げてゆくのであった。そんな筈ではなかったのだが、乃公の意志に反してじりじりと上ってゆくのであった。奇怪なことにも、鏡の中の乃公の手は、乃公の本当の手よりも先にじりじり上へ上ってゆくのだった。ずいぶん気味のわるい話であるが、鏡の中の自分の方が、お先へ運動を起してゆくのだった。乃公はじっとしているのがとても恐ろしくなった。鏡の前に立っている自分が、この儘《まま》じっとしているなら、乃公は発狂するかもしれない。鏡の中の自分が動いて、その前に立っている筈の自分が動かないということは、とりもなおさず、
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