それにしても彼らのいっせいに亡ぶべき時がもう十数日に迫っているぞという私の警告文が、新聞紙上にともかくも掲載せられたのを読んだとき、彼らはむしょうに腹だたしくもなったのだろう。
しかし私は充分これを学理上からも説いたつもりだ。通俗記事にもして十三種の出版物にもした。大学の講堂で立会い演説にもでたのである。だがそこには嘲笑と雑言の声のみ多くしてしんみりと理解をしてくれる者がなかった。ことに遺憾なのは先輩にあたる斯界の大家連中の浅薄な臆断である。その日のことは忘れもしない。かねての自分からの申込みによって首都の××大学の物理学講堂で第一回の『世界崩壊接近論』の講演を行なうこととなった。講演に先立ってかなり猛烈な中止勧告を受けたが、私は期するところがあるために断然とこれをしりぞけて出演した。その日の講演の主点は次のようであった。
*
今日《こんにち》ここに浅学韮才をもかえりみず学界のそれぞれの権威者大家の方々の前に立ちまして『世界崩壊接近論』と題しましてご清聴を願うにいたりましたことは、わたくしのもっとも光栄とするところでございます。
私は本論にはいるに先だちまして第一に『神を怖れよ』ということについてちょっと申し述べたいと存じます。私どもの棲んでいますところの球形世界では私ども人類がもっとも高尚なる生物でありまして、私どもがこの地上にはじめて出現いたしましてからのち約五万年を経過し、その知嚢は欲望を満足せしめています。しかし欲望には際限がないがために、それと同時に欲望がこの頃はあまり容易にえられるようになってきたため、必然的に次に起ってくる欲望には人類として大いに慎まねばならぬものまでが平然と現われてまいります。それは一めん致し方のないことのようにも考えられますが、また一めんから考えるとそれは恐ろしい罠であるようにも思われます。いったい人類は人類としての敬虔さをつねに持っていることが必要であります。
『神を怖れる』ということを忘れ、神を冒涜するようなことはあくまで慎まねばならぬと思います。しかるに現代はこの立派な埓を乱暴にも蹴破って神を怖れぬ仕儀や欲求が平然と行なわれるようになっていると思います。
いまここに一例を申し上げますならば、人類が五万年かかってついに得たる霊薬と称する第九十五番目の原子チロリウムの獲得に対する人類の熱心さとたくら
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