が塵一本も残されずに永久に失われてしまおうとすることだ。これがどうして黙っていられようか。それを考えると私ははげしい眩暈を感ずる。いつもは物理学壇上にいささか誇りを持っていた頭脳も打ちしびれてしまいそうになる。いやもう九分の命だ。私はすでに気が変になっているのじゃないかとさえ思う。私は死を賭してこの呪われた遺言を放送しなければならぬ。それにだ! それに私をかくのごとく死の努力を続けさせる大きなわけがあるのである。それは私の棲んでいる球形の世界の数億人にのぼる人類のうち、この九分間後に迫れる世界の最後を信じているのはたった私自身一個であることだ。多くの人々――私一人をのぞいたあらゆる人たちは目捷裡《もくしょうり》に迫れる彼らの運命の呪いを知らない。しかも彼らがおのずからの無知によってこれを感じることができないのなら私は彼らに穏やかな同情をそそぐことができるであろう。ところが私にはそんなスマートな同情を持つことすらもはやできないのだ。
一言にしてこれを蔽えば、彼らの無自覚は、不愉快きわまる強制と悲しむべき理性の失明に起因しているのである。もっとこれをあからさまに言うならば、先に述べたような私の世界崩壊説に反対意見を持っている学者たちの無反省な卑怯な行動により、元来が無自覚な享楽児たる民衆が自己催眠術もが手伝ってすっかり欺瞞されおわったのである。そして彼らは大酒に酔いつぶれたように自制を失ってしまい、反対派の学者のふりかざす邪剣のもとに集まり、大河が氾濫して小さな藁屋に襲いかかるがごとく押し寄せてきて、私の名誉を傷つけ、幸福をうばい、あまつさえ彼らの利害には何の関係もないはずの私の片腕を折り、左眼をつぶしてしまったのである。あらゆる新聞紙は「人類の賊」とか、「平和の攪乱者」とか書きたてた。なかには「即刻、彼を絞首台に送れ!」という初号活字の号外さえ発行したところもある。治安警察は私に精神病病院の収容自動車を送り、私刑を行なわんとてひしめく群衆を制するために、その沿道に二個師団の兵士と三千人の警官とを集中したのであった。私が古なじみの雑仕婦の欲心と弱き女性の同情をねらうことを知らなかったなら、穴倉ながら今のようにこうして自由に振舞えるような境遇にはならなかったことだろう。何が彼らをいらだたせたか。もちろんそれは反対派の学者たちの処方箋どおりの筋書が効を奏したのにすぎない。
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