とでしょう。私の耳はガーンといったまま、暫《しばら》くはなにも聞こえなくなってしまいました
「隧道《トンネル》の爆発だッ」
「入口が崩れたッ」
という人々の立ち騒ぐ物声が、微《かす》かに耳に入ってきました。どうしたというのでしょう。
「うわーッ。逃げてきた逃げてきた」
「警官も鉄道の連中も、要領《ようりょう》がいいぞオ」
そんな声も聞えます。
「あまりに乱暴じゃないですか。東京方面へ列車が出ませんよ」
と抗議しているのはどうやら兄らしいです。
「いや仕方が無い。報告の内容から推《お》して考えると、ああするより外《ほか》に道はないのです。むしろ思い切って決行したところを褒《ほ》めてやって下さい。なにしろ化物は完全に隧道の中に生き埋めだ」
「隧道の向うが開《あ》いているでしょう」
「なに鴨《かも》の宮《みや》の方の入口も、あれと同時に爆発して完全に閉じてしまったのです。化け物は袋《ふくろ》の鼠《ねずみ》です。もうなかなか出られやしません」と白木警部は一人で感心していました。
後で詳《くわ》しく聞いた話ですけれど、二人の怪人の戦慄《せんりつ》すべき暴行について、小田原署の署長さんは一|世《せ》一|代《だい》の智慧をふりしぼって、あの非常手段をやっつけたのでした。その儘《まま》放って置けば、あの怪人や化物は何をするか判らないのです。お終《しま》いには東京の方へ飛んでいって空襲《くうしゅう》よりもなお恐《おそ》ろしい惨禍《さんか》を撒《ま》きちらすかも知れません。そんなことがあっては一大事です。署長さんは、あの怪人の背後に、例の化物団《ばけものだん》が居ると見て、これを釣り出すために機関車隊を編成させ、力較《ちからくら》べをさせたのです。恐さを知らぬ化物団は、勝っているうちはよかったが、力負けがしてくると大焦《おおあせ》りに焦って、大真面目《おおまじめ》に機関車を後へ押し返そうと皆で揃ってワッショイワッショイやっているうちに、いつの間にか隧道の中へ押《お》し籠《こ》められたのです。それに夢中になっている間に、爆破隊が例の入口|封鎖《ふうさ》を見事にやってのけました。むろん機関車にのっていた警官や乗務員連中は爆破の前に車から飛び降りて、安全な場所までひっかえしてきたわけでありました。
こうして正体の解らない化物は封鎖されてしまった形ですが、こんなことで大丈夫でしょうか。化物はもう残っていないのでしょうか。残っていたら、それこそ大変です。それから気にかかるのは、谷村博士と黒田警官の行方《ゆくえ》です。それも今夜は尋《たず》ねようがありません。
警備の人々は帽子を脱《ぬ》いでホッと溜息《ためいき》を洩《も》らしました。そして道傍《みちばた》にゴロリと横になると、積り積った疲労が一時に出て、間もなく皆は泥《どろ》のような熟睡《じゅくすい》に落ちました。
山頂《さんちょう》の怪《かい》
警備の人達の苦労を知《し》らぬ気《げ》に、いくばくもなく東の空が白んできました。生き残った雄鶏が元気なとき[#「とき」に傍点]をつくると、やがて夜はほのぼのと明け放れました。
「やあ」
「やあ」
目醒《めざ》めた警備の人々は、相手の真黒に汚れた顔を見てふきだしたい位でした。瞼《まぶた》は腫《は》れあがり、眼は真赤に充血し、顔の色は土のように色を失い、血か泥かわからぬようなものが、あっちこっちに附着《ふちゃく》していました。しかしそれは自分の顔のよごれ方と同じであったのですが、始めは気がつきませんでした。
「化物《ばけもの》はどうしたな、オイ巡視《じゅんし》だッ」白木警部の呶鳴《どな》る声がしました。
私もその声に、ハッキリと目が醒《さ》めました。ハッと思って傍《そば》を見ると、一緒にいた筈の兄の荘六《そうろく》の姿が見えません。
「兄さん――」
呼んでみても、誰も返事をする者がありません。
「もしもし、兄を知りませんか」
「帆村君かネ」と警部さんも訝《いぶか》しそうにあたりを振りかえってみました。「そこにいたと思ったが、見えないネ」
私は急に不安になりました。
警部さんは巡視隊《じゅんしたい》を編成《へんせい》すると、勇しく先頭に立って歩きはじめました。
「私も連れていって下さい」
「ああ、恐ろしくなければ、ついて来給《きたま》え」
そういって呉《く》れたので、私も隊伍《たいご》のうしろに随《したが》って歩き出しました。
歩いているうちにも、化物の封鎖された隧道《トンネル》のことよりも、兄のことが心配になってたまりません。私はあたりをキョロキョロ眺《なが》めながら歩いてゆくので、幾度となく線路や枕木に蹴つまずいて、倒れそうになりました。
隧道《トンネル》の入口に近づいてみますと、昨夜とはちがって白昼《はくちゅう》だけにその惨状《さんじょう》は眼もあてられません。崩れた岩石の間から、半分ばかり無惨《むざん》な胴体をはみ出している機関車、飛び散っている車輪、根まで露出《ろしゅつ》している大きな松の樹など、その惨状は筆にも紙にもつくせません。しかし幸《さいわ》いにも、一向あとから掘りかえした跡もありません。まず西口《にしぐち》は大丈夫だということがわかりました。
一行はなおも隧道の全体にわたって異状がないかどうかを調べるために、崩れた崖をよじのぼって、隧道の屋根にあたる山の上を綿密《めんみつ》に検《しら》べてゆくことになりました。
「どうやら大丈夫のようだね」
「すると化物は、皆この足の下に閉じこめられているというわけなんだな」
巡視隊の警官も、さすがに気味《きみ》わるがって、足音をしのばせて歩いていました。
「オヤッ」
「オヤ、これはどうだ」
「オヤオヤオヤオヤ」
安心しきっていた一行は、急に壁につきあたりでもしたかのように、立ち止《どま》りました。私も遅《おく》れ馳《ば》せに駈けつけてみましたが、鳴呼《ああ》これは一体どうしたというのでしょう。山の上に、まるで噴火口《ふんかこう》でもあるかのように、ポッカリと大穴が明《あ》いているのです。穴から下を覗《のぞ》いてみますと、底はどこまでも続いているとも知れず、真暗《まっくらで》見透《みとお》しがつきません。
「こんな穴は、以前から有ったろうか」白木警部は不安に閃《ひらめ》く眼を一同の方に向けました。
「いいえ、ありませんです。ここはずッと盆地《ぼんち》のように平《たいら》になっていて、青い草が生えていたばかりですよ」
「ほほう、すると何時《いつ》の間に出来たのだろうか」
「もしや……」
「もしや何だッ」と警部は声をはりあげて聞きかえしました。
「もしや、あの化物が明けたのでは……」
「そんなことかも知れん。天井の壁さえ抜けば、あとは軟《やわらか》い土ばかりだったのかも知れない」
「すると化物は、どッどこに……」
「さあ――」と警部が不図《ふと》傍《かたわ》らの土塊《どかい》に眼をうつしますと、妙なものを発見しました。
「おお、そこに人間の足が見えるではないか」
一行はあまりに近くへ寄りすぎて、穴ばかりに気をとられ、傍らの堆高《うずたか》い土塊に気がつかなかったのです。そこから二本の足がニョッキリと出ています。全く裸の脚です。誰の足でしょう。行方不明になった谷村博士も黒田警官も洋服を着ている筈です。兄は私と同じく和服でありました。するとこの裸の足は、ああ……
私はそう思うと、頭がクラクラとしました。謎を包んだ大きい穴が、急にスーと小さくなって、釦《ボタン》の穴ほどに縮《ちぢ》まったような気がいたしました。それっきりでした。私は大きい衝動《しょうどう》にたえきれないで、恐ろしい現場《げんば》を前に、あらゆる知覚《ちかく》を失ってしまいました。暗い世界に落ちてゆくような気がしたのが最後で、なにもかも解《わか》らなくなったのです。
覚醒《かくせい》のあと
或るときは、月光の下に、得体《えたい》の知れぬ鬼影《おにかげ》を映しだす怪物、また或るときは、変な衣裳《いしょう》を着て闊歩《かっぽ》する怪物、その怪物を、うまく隧道《トンネル》の中に閉《と》じこめたつもりであった警官隊でありましたが、隧道の上に、なんとしたことか、大きい穴が明いていたのです。もしやこれが、怪物の逃げ出した穴ではないかしらと、白木警部はじめ一同が、その穴の縁《ふち》に近づいたとき、傍《かたわ》らの盛土《もりつち》の中から、二本の足がニョッキリ出ているのを発見して大騒《おおさわ》ぎになり、私は、その足の主が、きっと兄の帆村荘六だろうと考え、なんという浅ましい光景を見るものかなと思ったとき、気を失ってしまいました。――と、そこまではお話しましたっけネ。
それから、どのくらい経《た》ったのか、私には時間の推移《すいい》がサッパリ解りませんでした。フッと気がついたときには、あの凄惨《せいさん》な小田原の隧道の上かと思いの外、身はフワリと軟《やわらか》いベッドの上に、長々と横になっているのでありました。
「ああーッ」
私は思わず、声を放《はな》ちました。(ああ、気がついたようだ)(もう大丈夫)などという囁《ささや》きがボソボソと聞えます。ハッと気がついて周囲《まわり》をキョロキョロと見廻すと、これはどうしたというのでしょう。傍《かたわ》らに立って、こちらへ優しく笑額を向けているのは、あの悲歎《ひたん》の主《ぬし》、谷村博士の老夫人だったのです。いや駭《おどろ》きと意外とは、そればかりではありません。いまのいままで、惨死《ざんし》したとばかり思っていた兄の荘六までが、警官や手術衣《しゅじゅつぎ》の人達の肩越しに、私の方を向いてニコニコ笑っているではありませんか。ああ私は何か夢を見ていたのでしょうか。
「に、にいさん――」
「おお、気がついたナ、民《たみ》ちゃん」
兄は私の手を握ると、顔を寄せました。
「どうしたんです。兄さん。――博士夫人も笑っていらっしゃるじゃありませんか」
「はッはッ。では夫人に訳を伺《うかが》ってごらん」
「イエあたくしからお話申しましょうネ。早く申せば、私のつれあい――つまり谷村が無事で帰って来たのです。兄さんたちのお骨折りの結果です」
「どうして無事だったんです。誰か死んでいましたよ、隧道《トンネル》の上で……」
「あれなら大丈夫。あれは僕だったんですよ」
と、そういって脇《わき》から逞《たくま》しい男が出て来ました。見れば、どこかで見たような顔です。
「僕――黒田巡査です」
「ああ、黒田さん」
「僕が土に埋《う》められたところを、皆さんで掘り出して下すったのです。僕だけではなく、博士も助かったんです。これは怪物が隧道から飛び出すときに、私達を土と一緒に跳ねとばして埋めてしまったんです」
「ああ、すると怪物はやはり隧道から逃げてしまったのですネ」
「そうです、逃げてしまったのです――但し一匹を除いてはネ」
「一匹ですって?」私は思わず大声に訊《き》きかえしました。「一匹は逃げなかったんですか」
「そうなんだよ、民ちゃん」と今度は兄が横から引取って云いました。「一匹だけ、僕等の手に捕《とら》えることができたんだよ。それも、お前の手柄から来ているんだ」
「手柄ですって? なんだか、なにもかも判らない尽《づく》しだナ」
「そうだろう。いや、夜が明けると、何も彼《か》もが、まるで様子が違っちまったのだからネ」
そういって、やがて兄が顛末《てんまつ》を話してくれました。それはまったく思いもかけなかったような新事実でありました。
谷村博士の研究録
兄は、私から渡された例の白毛《しらげ》のことを思い出し、それの正体《しょうたい》を一刻《いっこく》も早く知りたい気持で一ぱいで、小田原の警備隊の中からひとり脱け出でると、この谷村博士邸へ帰ってきたのだそうです。私はいま、博士|邸《てい》に来ているのだそうですから、驚きますネ。
兄はこの怪物について、きっと博士の研究があるものだと考え、博士夫人の力を借りて研究室をいろいろ探したのです。すると果して書類函
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