見付からない様子だそうで、このままにして置くと、小田原町は全滅の外《ほか》ありません。直ぐ救援に帰れということです」
「その怪人の服装は?」
「それが一人は警官の帽子を着た老人です。もう一人は白い手術着のような上に剣をつった男で、何だか見たような人間だと云ってます。異様《いよう》な扮装《いでたち》です」
「なに異様な扮装。そして今度は顔もついているのだナ」
「失礼ですが」と兄が口を挟《はさ》みました。「どうやら行方不明の谷村博士と黒田警官の服装に似ているところもありますネ」
「そうです。そうだそうだ」警部は忽《たちま》ち赤くなって叫びました。「じゃ現場へ急行だ。三人の監視員の外《ほか》、皆出発だ。帆村さん、貴方も是非《ぜひ》来て下さい」
ああ、変な二人の怪人は、小田原の町で一体何を始めたのでしょう。例の化物はどこへ行ったでしょう。奇怪なる謎は解けかけたようで、まだ解けません。
重大な手懸《てがか》り
「帆村さん、身体の方は大丈夫ですか」
警官隊の隊長白木警部はそういって私の兄を優しくいたわってくれました。
「ありがとう。だんだんと元気が出てきました。僕も連れてっていただきますから、どうぞ」
「どうぞとはこっちの言うことです。貴方《あなた》がいて下さるので、こんなひどい事件に遭《あ》っても私達は非常に気強くやっていますよ」
そこで私達も白木警部と同じ自動車の一隅《いちぐう》に乗りました。私達の自動車は先頭から二番目です。警笛《けいてき》を音高くあたりの谷間に響《ひび》かせながら、曲り曲った路面の上を、いとももどかしげに、疾走《しっそう》を始めました。
「兄さん」と私は荘六《そうろく》の脇腹《わきばら》をつつきました。
「なんだい、民ちゃん」と兄は久しぶりに私の名を呼んでくれました。
「早く夜が明けるといいね」
「どうしてサ」
「夜が明けると、谷村博士のお邸《やしき》にいた化物どもは、皆どこかへ行ってしまうでしょう」
「さア、そううまくは行かないだろう。あの化物は、あたりまえの化物とは違うからネ」
「あたりまえの化物じゃないというと……」
「あれは本当に生きているのだよ。たしかに生物《せいぶつ》だ。人間によく似た生物だ。陽《ひ》の光なんか、恐《おそ》れはしないだろう」
「すると、生物《いきもの》だというのは、確かに本当なんだネ、兄さん。人間によく似たというとあれは人間じゃないの」
「人間ではない。人間はあんなに身体が透《す》きとおるなんてことがないし、それから身体がクニャクニャで大きくなったり小さくなったり出来るものか。また足を地面につかないで力を出すなんておかしいよ。とにかく地球の上に棲《す》んでいる生物に、あんな不思議なものはいない筈《はず》だ」
「じゃ、もしや火星からやって来た生物じゃないかしら」
「さアそれは今のところ何とも云えない。これぞという証拠《しょうこ》が一つも手に入っていないのだからネ」
そういって兄は首を左右にふりました。そのとき私の頭脳の中に、不図《ふと》浮《うか》び出たものがありました。
「あッ、そうだ。その証拠になるものが一つあるんですよ」
「えッ。何だって?」
「証拠ですよ」と云いながら私は大事にしまってあった手帛《ハンカチ》の包みをとり出しました。「これを見て下さい。兄さんが気を失った室の硝子《ガラス》窓のところで発見したのですよ。硝子の壊《こわ》れた縁《ふち》に引懸《ひっか》かっていたのですよ。ほらほら……」
そういって私は、あの白い毛のようなものを取り出して兄に見せると共に、発見当時の一伍一什《いちぶしじゅう》を手短かに語りました。
「ふふーン」兄は大きい歎息《ためいき》をついて、白木警部のさし出す懐中電灯の下に、その得態《えたい》の知れない白毛《しらげ》に見入りました。
「一体なんです。化物が落していったとすると、化物の何です。頭に生えていた白毛ですか」
「イヤそんなものじゃありません。――これはいいものが手に入りました。御覧なさい。これは毛のようで毛ではありません。むしろセルロイドに似ています。しかしセルロイドと違って、こんなによく撓《たわ》みます。しかも非常に硬《かた》い。こんなに硬くて、こんなによく撓むということは面白いことです。覚えていらっしゃるでしょうネ。あの化物の身体は、自由に伸《の》び縮《ちぢ》みをするということ、そして透明だということ、――これがあの化物の皮膚の一部なのです」
「皮膚の一部ですって!」
「そうです。化物が硝子《ガラス》窓を破って外へ飛びだしたときに、剃刀《かみそり》よりも鋭い角のついた硝子《ガラス》の破片《はへん》でわれとわが皮膚を傷つけたのです。そして剥《む》けた皮膚の一部がこの白毛《しらげ》みたいなものなのです。いやこれは中々面白いことになってきましたよ」
兄はひとりで悦《えつ》に浸《ひた》っていました。
化物追跡戦《ばけものついせきせん》
「とにかく此《こ》の白毛みたいなものを早速《さっそく》東京へ送って分析して貰うことにしましょう。分析して貰えば、これが地球上に既に発見されているものか、それとも他のものか、きっと見分けがつくと思いますよ」
「なるほど、なるほど。いいですね」と白木警部は大きく肯《うなず》きました。
そのとき先頭に駆《はし》っている自動車から、ポポーッ、ポポーッと警笛《けいてき》が鳴りひびきました。
「なんだ」
「イヤ警部どの、もう小田原へ入りましたが、ちょっと外を御覧下さい」
「うむ――」
警部さんにつづいて私達も外を覗《のぞ》いてみました。両側の家は、停電でもしているかのように真暗《まっくら》です。しかしヘッド・ライトに照らされて街並《まちなみ》がやっと見えます。ああ、何たる惨状《さんじょう》でしょうか。
「うむ、これはひどい!」
「まるで大地震《おおじしん》の跡のようだッ」
「おお、向うに火が見えるぞ」
近づいてみると、それは町の辻《つじ》に設《もう》けられた篝火《かがりび》です。青年団員やボーイスカウトの勇しい姿も見えます。――警官の一隊がバラバラと駈けて来ました。
「どッどうした」白木警部は手をあげて怒鳴《どな》るように云いました。
「やあ、警部どの」と頤髯《あごひげ》の生《は》えた警官が青ざめた顔を近づけました。「やっと下火《したび》になりました。その代り、小田原の町は御覧のとおり滅茶滅茶《めちゃめちゃ》です」
「二人の怪人というのはどうした」
「決死隊が追跡中です。小田原駅の上に飛びあがり、暗い鉄道線路の上を東の方へ逃げてゆきました」
「そうか、じゃ私達も行ってみよう」
自動車は更《さら》にエンジンをかけて、スピードを早めました。自動車に仕掛けてあるサイレンの呻《うな》りが、情景を一層|物凄《ものすご》くしました。どんどん飛ばしてゆくほどに、とうとう小田原の町を外《はず》れて、線路と並行になりました。生《なま》ぐさい草の香《か》が鼻をうちます。
「どうだ、見えないか」と警部は大童《おおわらわ》です。
「さアまだ見えませんが……呀《あ》ッ呀《あ》ッ、居ました、居ましたッ」
「どこだ、どこだッ」
「いま探照灯《たんしょうとう》をそっちへ廻しますから……」
運転台のやや高いところに取りつけてあった探照灯がピカリと首を動かすと、なるほど線路上にフワフワと跟《よろ》めきながら東の方へ走っている二つの白い人影がクッキリ浮かび出ました。一人の方は剣を吊っているらしく、ときどきピカピカと鞘《さや》らしいものが閃《ひらめ》きます。
「居た、居た、あれだッ」と兄が叫びました。
「追跡隊はどうしたのだ。――うん、あすこの線路下に跼《うずくま》っている一隊に尋《たず》ねてみよう」
警部さんは汗《あせ》みどろになっての指揮《しき》です。
「オーイ、どうして追駆《おいか》けないのだ。元気を出せ、元気を――」
「いま最後の一戦をやるところです。見ていて下さい。駅の方から機関車隊が出動しますから……」
「ナニ、機関車隊だって……」
その言葉が終るか終らぬ裡《うち》に、ピピーッという警笛《けいてき》が駅の方から聞えました。オヤと思う間もなく、こっちに驀進《ばくしん》してきた一台の電気機関車、――と思ったが一台ではないのでした。二ツ、三ツ、四ツ。機関車が四つも接《つな》がって驀進してゆきます。
なにをするのかと見ていると、上《のぼ》り線と下《くだ》り線との両道を機関車は二列に並んで、二人の怪人に迫ってゆくのでした。いまにも二人の怪人は車輪の下にむごたらしく轢《ひ》き殺《ころ》されてしまいそうな様子に見えました。
「あッ」
と私はあまりの惨虐《ざんぎゃく》な光景に目を閉じました。
隧道合戦《トンネルかっせん》
しかしながら恐《こわ》いもの見たさという譬《たと》えのとおり、私はこわごわそッと目を開《あ》いてみました。すると、ああ、なんという不思議なことでしょう。猛然《もうぜん》と突進《とっしん》していった筈《はず》の機関車が、急に速力も衰《おとろ》え、やがて反対にジリジリと後へ下ってくるのでありました。見ると、驚いたことに例の二人の怪人が、機関車の前に立って後へ押しかえしているのです。なんという恐ろしい力でしょう。それは到底《とうてい》人間業《にんげんわざ》とは思われません。機関車はあえぎつつ、ジリジリと下ってくる一方です。
そのときピピーッと汽笛が鳴ると、こんどは機関車の方が優勢になったものか、逆に向うへジリジリと押しかえしてゆきます。怪人は機関車の前に噛《かじ》りついたまま押しかえされてゆきます。まるで怪人と機関車の力較《ちからくら》べです。しかし私はそのとき、変な事を発見しました。それは怪人の足が地上についていないということです。地上に足がつかないでいて、どうしてあのような力が出せるのでしょう。これは一向《いっこう》腑《ふ》に落《お》ちません。
「もしや……」
とそのとき気のついた私は、探照灯の光の下に、尚も怪人の身体を仔細《しさい》に注意して見ました。
「おお、思ったとおりだッ」
私は思わず大きい声を立てました。怪人の身体は機関車にピタリと密着していないのです。怪人の身体と機関車との間には、三十センチほどの間隙《かんげき》があきらかに認められました。前に兄が谷村博士邸で、天井に逆《さかさ》にぶら下っていたとき、私は下から洋書を投げつけたことがあります。あのとき、どうしたものか、投げた洋書は兄の身体に当らずして、いつも三十センチほど手前でパッと跳《は》ねかえるのでした。何か兄の身体の上に三十センチほどの厚さのものが蔽《おお》っている――としか考えられない有様《ありさま》でした。あとから兄に聞いたところによれば、あのとき兄は化物に胴中《どうなか》をギュッと締められているように感じたという話でした。
では、この場合、あの機関車を後へ押しているのは、あの怪人だけではなく、あの怪人に纏《まと》いついている化物の仕業《しわざ》ではありますまいか。イヤそうに違いありません。やっぱりあの化物です。しかし化物がどうして怪人と力を合わせているのでしょうか。
「何が思ったとおりだ」と兄が尋《たず》ねました。
「やっぱりあの化物が機関車を前から押しかえしているのですよ」
「ほう、お前にそれが解るか」
私はそのわけをこれこれですと、手短《てみじ》かに兄に話をしてきかせました。
ジリジリと機関車は尚《なお》も怪人を押しかえしてゆきました。そして機関車はとうとう、隧道《トンネル》の入口にさしかかりました。それでも機関車はグングン押してゆきます。怪人の姿は全く見えなくなりました。隧道の中に隠れてしまったのです。
そうこうしているうちに、突如《とつじょ》として耳を破るような轟然《ごうぜん》たる大音響《だいおんきょう》がしました。同時に隧道の入口からサッと大きな火の塊《かたまり》が抛《ほう》りだされたように感じました。
グォーッ。ガラガラガラガラ。
天地も崩れるような物音とはあのときのこ
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