を見て始めて知ったのです。これは恐《おそ》らく、博士夫妻の外《ほか》に知った人間は、兄が最初だったことでしょう。兄は勇躍して、その白毛《しらげ》のようなものをポケットから取り出しました。これは私が曾《かつ》て、壊《こわ》れた窓|硝子《ガラス》の光った縁《ふち》から採取《さいしゅ》したものでした。あの怪物が室内から飛び出すときに、鋭《するど》い硝子の刃状《はじょう》になったところで、切開したものと思います。
 兄は理学士ですから、スペクトル分析はお手のものです。博士の研究室のスペトロスコープを使って、その白毛みたいなものを、真空容器の中で熱し、吸収スペクトルを測定してみました。すると、どうでしょう。その結果が、博士の論文に掲《かか》げられた分子式と、ピッタリ一致したのです。
「ああ、ルナ・アミーバーだッ。ルナ・アミーバーの襲来《しゅうらい》だッ」
 兄は、気が変になったように、その室の中をグルグル廻って歩いたのです。
「どうしたのです、帆村さん」
 と博士夫人が階下から駈けつけられる。説明をしているうちに、夜がほのぼのと明けはなれ、そこへ白木警部一行が、掘り当てた谷村博士と黒田警官とを護《まも》って、急行で引っかえして来たのでありました。
 博士も黒田警官も、殆んど死人のように見えましたが、博士の用意してあった回生薬《かいせいやく》のお蔭で、極《ご》く僅《わず》かの時間に、メキメキと元気を恢復《かいふく》することが出来たのだそうです。
 この不思議な話を聞いて、私はもう寝ているわけにはゆかなくなりました。そして皆《みんな》の停《と》めるのも聞かず、ガバと床の上に、起き直りました。
 室の向うは、博士の研究室です。なんだかモーターがブルンブルンと廻っているような音も聞え、ポスポスという喞筒《ポンプ》らしい音もします。イヤに騒々《そうぞう》しいので、私は眉《まゆ》を顰《ひそ》めました。
「だから無理だよ。もっと寝ていなさい」と兄はやさしく云いました。
「イヤ身体はいいのです。もう大丈夫。――それよりも向うの部屋で、一体なにが始まっているんですか」
「はッはッ、とうとう嗅《か》ぎつけたネ」と兄は笑いながら、「あれはネ、たいへんな実験が始まっているのだ」
「大変て、どんな実験ですか」
「実はルナ・アミーバーを一匹|掴《つかま》えたんだ。そいつは、この門の近くの沼に浮いているのを見付けたんだ。なにしろ沼の水面が、なんにも浸《つか》っていないのに、一部分が抉《えぐ》りとったように穴ぼこになっていたのだ。地球の上ではあり得ない水面の形だ。それで、この所にルナ・アミーバーが浮いているんだなということが判ったんでいま引張りあげ、博士が先頭に立って実験中なんだ」
「私にも見せて下さい――」
 私はもうたまらなくなって、寝台《ベッド》の上から滑《すべ》り下《お》りました。


   ルナ・アミーバーの実験


 なんだか訳のわからない器械が並んだ実験室には、東京からこの珍らしい実験を見ようと駈けつけた学者で、身動きも出来ません。
 真中に立っていた谷村博士は、私の入って来たのに気がついて、こっちを向かれました。
「おお民彌《たみや》君。もう元気になりましたか」
「はい」
「いやア、あなた方ご兄弟のお蔭で、ここにいる一匹のルナ・アミーバーが手に入りましたよ」
 そういって博士は、前に横《よこた》わっている大きい硝子製《ガラスせい》のビール樽《だる》のようなものを指《ゆびさ》しました。しかしその中は透明で、博士の云うものは何も見えません。
「いまはまだ見えますまい」と博士はすぐ私の顔色を見て云いました。「しかし今に見えますよ。偏光作用《へんこうさよう》がうまく行ったらネ」
「偏光作用といいますと」
「この硝子器の中に、ルナ・アミーバーが居るのです。この中をすっかり真空にして、こっちの方から偏光をかけてやると、肉眼でも見えてくるのですよ」
「こいつはどうして捕ったんでしょうネ。大変強い動物でしたのに」
「動物じゃなくて、植物という方がいいかも知れませんよ。――弱っているわけは、あの硝子窓を通るときに、外皮《がいひ》を大分|引裂《ひきさ》いたので、地球の高い温度がこたえるのです。そしてこのルナ・アミーバーは、兄さんを胴締《どうじ》めにしていた奴です。あのとき此奴《こいつ》は、兄さんに苦《くるし》められたのです。兄さんは護身用《ごしんよう》に、携帯感電器《けいたいかんでんき》をもっていらっしゃる。あの強烈な電気に相当《そうとう》参《まい》っているところへ、あの硝子の裂《さ》け目《め》へつっかかったんで、二重の弱《よわ》り目に祟《たた》り目で、沼の中へ落ちこんだまま、匍《は》い上《あが》りも飛び上りも出来なくなったんですよ。つまり荘六君と民彌君とのお二人が、この
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