《む》いていました。私はそこにあったスタンドを取上げてどんな細かいことも見遁《みのが》すまいと、眼を皿のようにして観察してゆきました。
 しかし別に手懸《てがか》りになるようなものも見えません。台をして上の方もよく見ました。だんだんと反対の側を下の方へ見て行きましたが、
「オヤ」
 と思わず私は叫びました。
「これは何だろう?」
 硝子の切《き》り削《そ》いだような縁《ふち》に、白い毛のようなものが二三本|引懸《ひっかか》っているではありませんか。ぼんやりして居れば見遁《みのが》してしまうほどの細いものです。余り何も得るところがなかったので、それでこんな小さなものに気がついたわけでした。
 これを若《も》し見落していたならば、この怪事件の真相は、或いはいまだに解けていなかったかも知れません。それは後《のち》の話です。
 私はハンカチーフを出して、その白い毛のようなものを硝子の縁から取りはなしました。そしてそのまま折《お》り畳《たた》んで、ポケットに仕舞いこんだのでした。
 丁度《ちょうど》そのときです。
 戸外《こがい》に、やかましいサイレンの音が鳴り出しました。
 ブーウ、ウ、ウ。ブーウ、ウ、ウ。
 まるで怪獣のような呻《うな》り声です。
 破れた窓から外に首を出してみますと、どうでしょう、遥《はる》か下の街道《かいどう》をこっちへ突進して来る自動車のヘッドライトが一《ひ》イ、二《ふ》ウ、三《み》イ、ときどきパッと眩《まぶ》しい眼玉をこっちへ向けます。いよいよ警察隊がやって来たのです。頭からポッポッと湯気《ゆげ》を出して怒っている警官の顔が見えるようでした。
 ふりかえってみると、兄は依然として絨氈《じゅうたん》の上に長くなったまま、苦しそうな呼吸をしていました。
 私は階段をトントンと下って、老婦人の室《へや》の扉《ドア》を叩《たた》きました。
「おばさん。いよいよ警官が来ましたよ。もう大丈夫ですよ」
 そう云いながら、私は扉を開いて室内へ一歩踏み入れました。
「や、や、やッ――」
 私の心臓はパッタリ停ったように感じました。私は一体そこで、何を見たでしょうか?


   妖怪屋敷《ようかいやしき》


 この室の扉《ドア》を開くまでは、私は老婦人ひとりが、静かに寝台《ベッド》の上に睡《ねむ》っていることと思っていました。ところがどうでしょう。いま扉を押して見て駭《おどろ》きました。なんでもそのときの気配《けはい》では、婦人の外に十人近くの人間がウヨウヨと蠢《うごめ》いているのを直感しました。
「オヤッ」
 一体この大勢の人間は何処から入ってきたのでしょう? ここの主人の谷村博士とこの老婦人以外には、せいぜい一人二人のお手伝いさんぐらいしか居ないだろうと思った屋敷に、いつの間にか十人近くの人間が現れたのです。しかも大して広くもない此《こ》の婦人の室に、ウヨウヨと集っていたのですから、私は胆《きも》を潰《つぶ》してしまいました。
 ですけれど、私の駭きはそれだけでお仕舞《しま》いにはなりませんでした。おお、何という恐《おそ》ろしい其《そ》の場の光景でしょうか。その十人近くの人間と見えたのは、実は人聞だかどうだか解りかねる奇怪《きかい》なる生物《いきもの》でした。そうです。生物には違いないと思います、こうウヨウヨと蠢いているのですから。
 彼等は変な服装《なり》をしていました。時代のついた古い洋服――それもフロックがあるかと思えば背広があり、そうかと思うと中年の婦人のつけるスカートをモーニングの下に履《は》いています。しかしそのチグハグな服装はまだいいとして、この人達の顔が一向にハッキリしないのは変です。
 私は眼をパチパチとしばたたいて幾度も見直しました。ああ、これは一体どうしたというのでしょう。彼等の顔のハッキリしないのも道理《どうり》です。全《まった》くは、顔というものが無いのです。頭のない生物です。頭のない生物が、まるで檻の中に犇《ひしめ》きあう大蜥蜴《おおとかげ》の群《むれ》のように押し合いへし合いしているのです。
「ばッ、ばけもの屋敷だ!」
 私はそう叫ぶと、室内《しつない》に死んだようになって横たわっている老婦人を助ける元気などは忽《たちま》ち失《う》せて、室外に飛び出しました。うわーッと怪物たちが、背後《うしろ》から襲《おそ》いかかってくる有様が見えるような気がしました。
「助けてくれーッ」
 私はもう恐ろしさのために、大事な兄のことも忘れ、一秒でも早くこの妖怪屋敷から脱出したい願いで一杯で、サッと外へ飛び出しました。
「たッ助けてくれーッ」
 ああ、眩《まぶ》しい自動車のヘッド・ライトは、二百メートルも間近《まぢか》に迫《せま》っています。警察隊が来てくれたのです。あすこへ身を擲《な》げこめば助かる! 私はも
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