うみへび》の巣を覗《のぞ》いたときはこうもあろうかというような蠕動《ぜんどう》を始めました。なんという気味のわるい生物でしょう。覗《のぞ》きこんでいる人々の額《ひたい》には、油汗《あぶらあせ》が珠《たま》のように浮かび上ってきました。
「ああ、いやらしい生物だッ」
 誰かがベッと、唾《つば》を吐《は》いて、そう叫びました。それが聞えたのか、ルナ・アミーバーは、草餅《くさもち》をふくらませたように、プーッと膨脹《ぼうちょう》を始め、みるみるうちに、硝子樽《ガラスだる》一ぱいに拡《ひろ》がりました。
「これはッ――」
 と思って、一同が後退《あとずさ》りをしたその瞬間、がちゃーンという一大音響がして、サッと濛々《もうもう》たる白煙《しろけむり》が室内に立ちのぼりました。
「呀《あ》ッ――」
 私達は壁際にペタリと尻餅をついたことにも気が付かない程でした。バラバラとなにか上から落ちてくるので、気がついて天井を見ますと、そこには大きな穴がポッカリ明いていました。
「オヤオヤ。ルナが逃げたッ」
「どうして逃げたんだッ」
「弱っていたと思っていたがな」
「いや、これは私の失敗でした」と博士は別に駭《おどろ》いた顔もせずに、静かに口を切りました。
「どうしたんです」
「いえ、彼奴《あいつ》の入っている容器を真空にしたのがいけなかったんです」
「なぜッ」
「真空は、彼奴の住む月世界《げっせかい》の状態そっくりです。だから弱っている彼奴は、たちまち元気になって、器《うつわ》を破って逃走したのです。ああ、失敗失敗」
 こんなわけで、折角《せっかく》生捕《いけど》ったたった一匹のルナ・アミーバーでありましたが、惜しくも天空《てんくう》に逸《いっ》し去ってしまったのです。
 いやはや、残念なことでありましたが、谷村博士を責《せ》めるのもどうかと思います。ルナが逃げてしまったのですから、「崩れる鬼影」について私の申上げる話の種も、もうなくなりました。



底本:「海野十三全集 第8巻 火星兵団」三一書房
   1989(平成元)年12月31日第1版第1刷発行
初出:「科学の日本」博文館
   1933(昭和8)年7月〜12月号
入力:tatsuki
校正:土屋隆
2005年11月23日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.ao
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