入するなんて、無礼ではないか。な、何用ではいってきたのか」
「いや、その御挨拶は恐れ入りました。宣戦布告はなくとも、わが帝国領土を攻撃せよとの戦闘命令は、ロンドンよりすでに貴下の懐へ届いているはずではありませんか。お分かりにならねば、提督の後に展《ひろ》げてございます海図の上をお調べになりますように」
 超航空母艦飛行島が、日本空爆の目的をもって、刻々わが本土に近づきつつあることを指されて、リット提督は眼を白黒。
「それがどうした。何もお前の指図はうけない」
「そうはまいりません。貴下の生命は、いま私の掌中にあるのですぞ」
 といって、川上機関大尉は、血に染んだ日本刀を前に廻してきっと身構えた。
 リット提督は、それを見ると、ぶるぶると身ぶるいした。日本刀の持つ底しれぬ力が、この提督の荒胆をひしいだのだ。
「斬るか。斬るのは待て。な、なにをわしに要求するのか」
「それなら申し上げます。飛行島の内部は、すっかり見せていただきましたから、私は今、この飛行島をそっくり頂戴したいと思うのです。分かりましたか」
「な、なにをいうのか。そ、そんな馬鹿げたことを」
「いや、すこしも馬鹿げてはいません。貴下を征服している私は、飛行島をこっちへお渡しなさいと命令しても、何もおかしいことはありません。飛行島の進路は、このまま変えなくてもよろしい。しかし今後、すべての命令は私が出します。そこで、まずすぐ無電班長をよび出して、波長四十メートルの短波装置を起動するよう命じてください。その上で私は、本国の艦隊へ、飛行島占領の報告をするつもりです」
「ば、馬鹿な、誰がそんなことを――」
「命令にしたがわねば、私は閣下を斬り、私の使命を果すまでであります。覚悟をなさい」
 すると提督は、なにを考えたか、急に眼をかがやかし、
「待て。命令に従う。では、無電班長を呼びだすから、あとは思うようにやりたまえ」
「うむ、よくいわれた」
 提督は、二、三歩歩いて、卓子《テーブル》の方へ近づいた。
「提督。自由に動いてはいけません」
「いや、電話をかけて、班長を呼びだすのだ」
 提督は、卓子にかがんで、受話器をとりあげた。
「おい、無電班長をよんでくれ」
 そういって提督は、すぐ元のように受話器をかけた。
「カワカミ君。いまにベルが鳴って、無電班長が電話に出る」
「そうじゃありますまい。ほら、そこに見えるのは何ですか。貴下が卓子の下から右手に掴んだものは――」
「えっ」極度の狼狽をみせて、提督は態度を一変した。彼の顔は、興奮に燃えている。その右手には、一挺のピストルがしっかと握られ、狙はものの三メートルとはなれていない川上機関大尉につけられ、どどどどーんとつづけざまに数発の銃声!


   怪無電


「卑怯者!」
 と叫んだのは、川上機関大尉だった。
 大喝一声、とびくる銃弾をものともせず、彼はぱっと身をひるがえして、提督の手もとにおどりこんだ。
 近距離の射撃が、一向、効を奏さなかったのは、提督があまりに気をあせっていたためであった。
「しまった」
 と思ったときは、もうすでに遅かった。ピストルを握っていた提督の右手首は、硬いもので強くたたかれた。
(斬られた?)
 と思ったが、違っていた。提督はピストルをぽろりと床に落した。右手はまだちゃんとついていた。だが切れて落ちそうに痛む。左手でそれをおさえて、提督はへたへたと絨毯のうえに膝をついた。
 川上機関大尉は、刀の背で峰打をくわせたのだった。
 提督は、その次の瞬間、川上のために真向から日本刀でざくりと斬りさげられるだろうと覚悟をして、両眼を閉じた。
 だが一向に、太刀風が聞えてこない。提督は不思議に思って、眼を細目にひらいてみた。川上は刀をさげて、じっと立っている。斬りつける構《かまえ》ではない。
「川上機関大尉。貴下はなぜ余を斬らないのか」
 川上は叱りつけるように、
「日本人は勝って情を知る。貴下はもう完全に敗けたのだ。ピストルには手が届かない。貴下は無力だ」
「なぜ斬らないのか、余には分からぬ」
「分からないでもよろしい。飛行島は私がもらいました。だが、貴下が呼びだしたはずの無電班長が出てこないのはどうしたわけか」
 そういっているとき、扉がどんどんと、破れんばかりに叩かれた。扉の向こうには、大勢の声が喚いている。
「提督、スミス中尉です。今助けますから、頑張ってください」
 スミス中尉が、急を知って引返してきたのであった。
 そのとき、電話のベルが鳴りだした。
「提督、電話に出て下さい。そしてその電話を、無電機につなぐように命ずるのです」
 提督は、川上機関大尉の命令と、今にも破壊しそうな扉の両方に気をとられて、まごまごしている。しかしついに電話に出て、川上のいいつけにより命令を発した。電話は無電機につながれたらしく、提督は絶望の色をうかべた。
 扉は、もう一息で破壊されるであろう。しかし川上機関大尉は、電話機を提督の手からひったくった。
「ああ、大日本帝国海軍、艦隊本部へ報告。只今、川上機関大尉と杉田二等水兵とは、英国海軍の大航空母艦飛行島を占領せり――」
 ああなんという奇抜な報告だろう。飛行島から発せられたこの日本語の電話は、かならずや日本人の何人かに聞きとられたに相違ない。
 その瞬間、重い扉はどーんと叩きやぶられた。大勢の士官と水兵との食いつきそうな顔が見えた。あっ、危い。次の瞬間、弾丸の雨、銃剣の垣だ!
 しかし川上機関大尉は、まだ電話機を離さなかった。生死を超えた毅然たる勇姿だ。
「――大日本帝国、ばんざーい」
 その声が終るが早いか、電話機は紐線《ちゅうせん》もろともぷつりとひきちぎられた。川上が力まかせにひきちぎったのだ。彼の腕がぶーんと鳴った。
 がちゃーんと烈しい音がして、提督室の天井に点いていた電灯が笠もろとも、粉々に壊れ散った。川上機関大尉が、電話機をなげつけたのだ。狙はあやまたなかった。室内は一瞬にして真暗になった。
「カワカミを逃がすな。撃て!」
 逆上したか、スミス中尉が叫んだ。
 銃声がつづいた。暗中に、銃口から吐きだされる錆色の焔。
 うわーっと、奥の方でうめいた者がある。そして床の上に転がったらしい物音。
 川上機関大尉がやられたのか?
 いや、彼は飛鳥のように身をかわして、出入口にすりよると、警備隊と入れかわって、さっと外にとびだした。
 甲板は冷たい雨と風とにたたかれていた。しかし夜明が近くなったとみえ、空がぼんやり白んでいた。
 甲板を昇降口の方へ一散に走りながら、川上機関大尉は組立鉄骨の間に残してきた杉田二等水兵のことを心配した。もう夜が明けるとすると、早く彼をどこか別のところへ隠さなければならない。あのままでは、きっと見つかってしまうであろうと思った。
 太い鋼索をたよりに、昇降階段をすべるように駈けおりていたとき、とつぜん彼の鼻先にどーんと大きな音がして、空中に赤と青との星がばらばらと散った。花火だ。
「あっ、花火信号だ。非常警報だぞ。全戦隊に呼びかけたものらしいが、はて何ごとが起ったのかしら」
 と、いぶかる折しも、下の飛行甲板から叩きつけるような爆音が起り、一台の飛行機がぶーんと滑走路を走りだした。そして飛行島を飛びだした。
「おお、飛行機の出動だ。いまごろ何事が起ったというのか」
 川上機関大尉は、つぎつぎに起る不審な出来事に、小首をかしげたが、そのとき後にあたって、わーっという喊声《かんせい》が聞え、それと同時に、ぴゅーんと一発の弾丸が頭の上をかすめてすぎた。
「見つかったらしい。よし、こんなところで撃たれてはならぬ。もう一息だ」
 川上機関大尉は、残りの階段を一気にかけおりた。また一台の飛行機が、爆音高く飛行甲板の上を走り去るのが聞えた。
 このとき川上機関大尉の頭の中にすばらしい考えが、電光のように閃いた。


   天の与《あたえ》


「そうだ。千載一遇の機会が向こうからやってきたのだ。これも神様の助であろう」
 川上機関大尉は、ちょっと眼を閉じて、黙祷した。そして次の瞬間には、大尉ははや日本刀を片手にさげ、飛行甲板を匐《は》うように駈けだした。
 彼の眼は、飛行機の出発点にそそがれている。そこには、微かな灯火が光っていた。下からエレベーターが飛行機をのせて上ってくる。四五台の飛行機が翼をすれすれに、ごたごたしているのが見える。大勢の整備員が、その間を入りみだれて走っている。エンジンをかけている者もあれば、別なところに設けられた爆弾庫の口から爆弾をかついで、廊下づたいに甲板へ出て、飛行機に積んでいる者もある。爆弾庫の口は、鋼鉄宮殿の一角に隠れて設けられてあり、爆弾ははるか下の艦底にある爆弾庫から、エレベーターにのって入れかわり立ちかわりするすると上ってくるのであった。
 川上機関大尉が眼をつけたのは、いま飛行機に積もうとしている爆弾であった。
 爆弾は、爆弾庫|口《ぐち》から水兵の手によって甲板に運ばれ、ひとまず飛行機エレベーター脇の甲板の隅に積みかさねられた。すると飛行機づきの整備兵が、その爆弾の山から一個ずつとって、飛行機の胴につりさげるのであった。川上機関大尉は、なにくわぬ顔をして、爆弾の山に近づいた。
「さあ、今だ」
 彼は、大胆にも、無造作に一個の二キロ投下破甲爆弾をむずと小脇に抱えとるや、なに食わぬ顔をして、すたすたと歩きだした。
 誰も、これを怪しむ者がなかったのは、天佑というべきであった。誰も忙しく立ち働いていたので、気がつかなかったのだ。
 彼は悠々せまらぬ態度で、鋼鉄宮殿の中にはいった。中から一人の水兵が出合いがしらに、川上機関大尉にぶつかった。はっと思う瞬間だったが、水兵はおどろいてとびのくなり、挙手の敬礼をして走りさった。
 だが、油断は大敵であった。
 細心の注意をもって、川上機関大尉は、うす暗い廊下を奥へ進んでゆく。彼の目的は、一たいどこにあるのであろうか。
 いうまでもなく、爆弾庫を狙っているのである。小脇に抱えている投下爆弾を、爆弾庫になげこんで、一挙にして飛行島を破壊し海底に沈めてしまおうというのであった。
 なんという破天荒の計画であろう。またなんという大胆な行動であろう。
 爆弾庫の口が、やっと見えた。
 川上機関大尉は、さあもう一息だとばかり、爆弾を小脇にしっかり抱えて、つつーっと小足早に駈けだした。
「待て!」
 いきなり後から、川上機関大尉の肩をつかんだ者がある。
 ふりはなして、走ろうとすると、また肩をつかまれた。
「待て! 怪しい奴だ」
 大力でもって、川上はずるずるとひきよせられた。
 誰? ふりかえると、フランク大尉であった。
「あ、貴様、まだ生きていたのか。そんな恰好をしていても俺はだまされないぞ」
「えい、放せ」
「放してたまるか。そこに抱いているのは爆弾ではないか。おい、それをどうする気か」
「なにを!」
 フランク大尉は、鉄拳を固めて川上機関大尉の頤を狙ってつきだした。二人の組打となった。爆弾はどんと下に落ちて、ごろごろと壁の方へころがった。
 川上機関大尉も懸命だが、フランク大尉の強いことといったら、話にならぬ。
 組打が長びいて、フランク大尉の加勢が五人十人とふえて来ては面倒だ。機関大尉は気が気ではなかった。
(残念だ! もう一歩というところで――)川上の腸《はらわた》はちぎれるようであった。
 そのとき何者か、川上機関大尉の落した爆弾に駈けよって、ひょいと肩にかついだ者があった。


   輝く二勇士


「おお、その爆弾に手をふれる奴は、うち殺すぞ」
 川上機関大尉は、必死で呶鳴った。
「上官、もうすっかれ敵に囲まれました。爆弾は上官に代り、私が持って投げこみます」
「おお杉田か。貴様はどうしてここへ」
「どうして私ばかりがじっとしていられましょう。私は縛られた紐をといて下甲板に上り爆弾庫を狙って来たのです。が、今ここで会うのは、天の引合せです。――や、機関銃隊が出てきました。もう猶余はなりません。では上官、お別れです」
「おう杉田。では頼むぞ。爆弾の安全弁
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