リット少将は椅子から立ちあがった。
この巨弾は、少将の思ったとおり、ハバノフ氏の好奇心をたいへんうごかした。
「ああ、昨日貴官の前から逃げだした杉田とかいう日本の水兵が、また捕まったのですか。それは一つ、ぜひ見せていただきたい」
ハバノフ氏は無礼にも、まるで見世物を見るような口のききかたをした。
杉田二等水兵といえば、川上機関大尉に助けられて倉庫の中に身をひそめていたはずだった。彼は探し出されてまた捕らえられたらしいが、なぜまたおめおめと敵の手に落ちてしまったものだろうか。
「さあ、私について、こっちへいらっしゃい」
リット少将はハバノフ氏をうながして、客間から奥に通ずる扉《ドア》を押して入ってゆく。
悩ましき捕虜
杉田二等水兵は、飛行島の最上甲板にある「鋼鉄の宮殿」の一室の豪華な寝台の上に寝かされていた。
そこはリット少将の居室からへだたることわずか六部屋目の近さにあった。
彼はすっかり体を清められ、そしてスミス中尉のピストルに撃たれた胸部は、白い繃帯でもって一面にぐるぐる捲きつけられていた。
枕許には、英人のドクトルが容態をみまもり、そのほか二人の英国生れの金髪の看護婦がつきそっていた。
またその広い部屋の隅には、やはり白い長上衣を着たもう一人の白人の男がいた。彼にはこの白い長上衣が一向似合っていなかった。それも道理、この白人の男こそは、この飛行島の無頼漢ヨコハマ・ジャックなのだ。ジャックがこんなところに詰めているわけは、読者諸君もすでにお気づきのとおり、日本語しかわからない杉田二等水兵の通訳をするためだった。ジャックは永いこと横浜に暮していて、べらんめえ調の歯切のいい日本語――というよりも東京弁というかハマ言葉というかを上手にしゃべった。
だがこの新米の通訳先生は、手もちぶさたの態で、ぼんやりと杉田水兵の枕許にある美しい花の活けてある瓶をみたり、そしてまた若い看護婦の顔を穴のあくほどじろじろ見たりしていた。それも道理、彼の用事は一向出てこないのだ。というのは、寝台の上に横たわっている杉田二等水兵が、まるで黙ったきりで、何を話しかけてもうんともすんともいわないからである。
ジャックは、さっきから怪しい手つきばかりを繰返している。彼は右手をポケットへ持っていっては、そこから何かを引張りだそうとしては、急に気がついたようにはっと手を元へかえすのである。そのポケットの中には、煙草の箱が入っていた。煙草を吸いたくて手がひとりでにポケットにゆくが、この病室では煙草を吸ってはいけないというきついお達しを急に思いだしては手を戻すのであった。
「ああ辛い。とんだ貧乏籤をひいたものだ。あの日本の小猿め、早くくたばっちまえばいいものを。そうすれば俺はこの部屋から出ていっていいことになるからなあ」
などと小さい声でつぶやいては、ちぇっと舌打ちをする。
寝台の上では、杉田二等水兵が相変らず黙りこくっている。
看護婦がスプーンで強壮剤をすくって口のところへ持っていってやると、杉田は切なそうにぎろりと眼玉をうごかしては、仕方がないというような顔でもって口を開ける。そこを見はからって、看護婦はその黄色い液体を杉田の口の中に流しこむ。
杉田は、眼をとじたまま、それを苦そうにのむ。
「どうも変な日本人ね。このお薬ときたら、とても甘いのにねえ」
「ほんとだわね。日本人たら、甘い時にはあんな風に顔をしかめる習慣かしらと思ったけれど、そんなことないわねえ」
傷ついた体を敵の手にゆだねていなければならぬ杉田の胸中がわからないのか、看護婦たちは勝手なことばかりしゃべっている。――杉田のとじた二つの瞼の間から、どっと涙が湧いてきて、頬の上をころころと走りだした。
彼は、はりさけるような思いをじっとこらえた。が、あふれ出る口惜し涙はどうすることも出来なかった。
彼は、生きて恥ずかしめを受けるより、舌を噛んで死んでしまいたかったのだ。
しかし彼は死ぬわけにゆかなかった。彼は川上機関大尉から別れ際にいい渡された言葉にそむくことが出来なかった。
(決して死んじゃならぬ。お前が捕まっても、きっと救いにいってやる。死ぬではないぞ)
杉田は、その命令をかたく守って、我慢しているのだった。その苦しさは、また格別だ。死ぬことの方が、生きるよりはるかに楽なことを、杉田はつくづくと感じた。
そこへ扉《ドア》があいて、リット少将がハバノフ氏をしたがえて入ってきた。
ドクトルをはじめ、室内にいた一同はすっくと立って、うやうやしく敬礼をした。
「どうじゃね。日本の水兵は、連《つれ》のことを白状したか」
「いえ、何にも返事をしませぬ。医者には、こういう訊問は得意でありません」
とドクトルは頭《かぶり》をふった。
すると隅にいたヨコハマ・
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