の漁夫は、試運転からかえって前夜と同じ場所にやすんでいる飛行島を見て、それがシンガポールの近くまで航行したなどとは、夢にも気がつかないであろう。
 検閲点呼の号令は、もちろん、飛行島にもっとも近い護衛艦である警備潜水艦隊にも通達された。
 それはリリー、ローズ、パンジー、オブコニカ、シクラメンという、花の名のついた警備第六潜水艦隊における出来ごとだった。
 旗艦リリー号は、後続の僚艦四隻に直々、検閲点呼の号令を無電でしらせた。
 各艦では、そのしらせをうけると、いちはやく水兵を檣《マスト》の上にかけあがらせて、藍色灯をつけさせた。この藍色灯は、検閲点呼の標《しるし》であった。殿《しんがり》艦のシクラメンでは、ジャックという水兵がちょうど当番であったので、命令一下、藍色灯を片手にぶらさげるが早いか、猿《ましら》のように梯子づたいに檣の上へとんとんとかけ上ったものである。
 彼は、なんの苦もなく藍色灯を檣につけた。潜水艦の檣なんて、ほんの申しわけのように低いものであったが、彼はそれを下りようとして、おやといぶかった。
「おや、本艦は殿艦のはずだとおもったが、ちがったかな」


   椿事《ちんじ》また椿事


 彼は、檣《マスト》の上で、たしかにこのシクラメン号の後について来る他の艦艇の気配を感じたのであった。
 他の艦艇の気配!
 いくら闇夜であっても、後続艦があるとないとは、すぐ分かる。後続艦があれば、第一波の騒方がちがう。そいつは耳で聞きわけるのだ。それから、またエンジンの音がかすかに聞えるし、逆風のときは、むっとした熱気さえ感じるのだ。
 水兵ジャックは、今たしかにこれを感じた。殿艦シクラメン号の後に、いつ他の艦艇がついたのであろう。
 彼は檣を下りて艦橋にとびこむと、すぐこの話を班長の兵曹にした。
「班長、おかしいではありませんか。本艦は殿艦であるのに、あとに、もう一つ殿艦がついてきます」
「なんだ、本艦のあとについてくる艦があるというのかい。そんな馬鹿なことがあってたまるかい。貴様、寝ぼけているんだろう」
「まったくですよ。私はちゃんと二つの大きな眼をあいていますし、二つの大きな耳をおったてていますよ。この眼で見、この耳で聞いたのです」
「何をいってやがる。この梟《ふくろう》野郎めが――」
 班長は、てんでうけつけない。
 梟野郎めといわれて、水兵ジャックはむっとした。
「ねえ班長。今まで私がうそをカナリヤの糞ほどもいったことがありましたかい。班長、もし、それがうそだったら、私は班長に――」
「班長に、なんだと」
「ええ、あのう班長に、私がお守にしているビクトリヤ女皇のついている金貨をあげますよ」
「おおあの金貨か。これはうめえ話だ。ようし、班員あつまれ。検閲点呼はあとまわしで、まず金貨の方から片をつける。探照灯を用意。本艦の後方を照らせ。早くやれ!」
 こんなときに、探照灯をうっかりつけていいのかどうかと思った水兵もあったようだが、なにしろ班長の命令なので、それをやらないでぐずぐずしていると、いつ鉄拳がとぶかもしれない。それよりも、なんでもいいからつけてしまえというので、艦橋にあった探照灯函の扉をひらいて、さっそく電気を入れ、ぴちんとスイッチをひねった。
 青白い閃光は、ぱっと波浪の上にながれた。そのとき、彼等は見た、まったく驚くべきものを!
 それは何であったか?
 見たこともない鼠色の艦艇だ。
 そびえ立つその艦橋には、妙な外国文字がついていた。その傍に十三という数字が書きつけてあるのが読めた。
「おお十三!」
 恐怖の叫声がおこった。
「たいへんだ。あれは日本の軍艦だ」
「ええっ、日本の軍艦だって?」
 もう金貨の賭もなんにもなかった。
 班長はびっくりして、司令塔にかけこんだ。
「艦長、本艦のすぐ後に、日本の軍艦がついてまいります」
「なんだと。日本の軍艦?」
「そうです。数字は不吉の十三号です」
「そうか。さては日本の軍艦がもぐりこんでいたのか。これはたいへんだ。おい通信兵、全艦隊へ急報しろ。飛行島へはあとまわしでいい。あの怪軍艦をにがしてはならぬ」
 たちまち全艦隊はひっくりかえるような騒になった。
 非常警報は、ついに高く鳴りひびいた。
 探照灯は、何十条としれず、シクラメン号の後方海面へ集注せられた。
 飛行隊は前進行動を中止して、旋回飛行にうつった。光弾が三つ四つ五つと機上からなげ落された。
 暗黒だった海面一帯は、ものの三分とたたないうちに、まるで真昼のような明るさになった。
 リット少将の驚きはどうであったろう。
 このとき飛行島は、警備隊とのかねての打合せにより、進路を九十度西に転じ、急速力で逃げだした。駆逐艦の一部と潜水艦の全部が、飛行島の周囲をぐるっととりまいて、守をかたくした。
「潜水艦
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