ケント兵曹は、あきれ顔で大尉の顔を見上げた。
「――で、でも、そんなことがあろうはずがありません。機関部は上を下への大騒動でありました。上官にその報告が行っていないなんて……」
 フランク大尉は、それを聞くと、何を思い出したか、
「そうだ。ふむ、あれかもしれぬ」
「えっ、なんとおっしゃいます」
「うむ。実は今から三十分ほど前、リット少将の副官から電話がかかってきて、『飛行島の三十六基のエンジンのうち、調子の合わないものが二三あるらしく、司令塔のメートルをみていると、あるところへ来ると、変な乱調子が起る。だから、貴官はすぐさま、三十六基のエンジンの仕様書と試験表とを各班からあつめて、すぐこっちへ持ってこい』という命令だ。そこで俺は、あとをゼリー中尉にたのんで、さっそく仕様書と試験表をあつめに出かけたのだ」
「おや、そんなことがありましたか。そのゼリー中尉が、真先にぶっ倒れたのですが、御存じでしょうな」
「いや、知らない。その報告も受けていない」と、フランク大尉はつよくかぶりをふった。
「俺は、試験部へ行って、リット少将閣下が命令せられたものを集めるのに夢中になっていた。ところがその仕様書はすぐ集ったが、試験表の方がなかなか揃わない。それに手間どって、試験部の責任者を呶鳴りつけたりしているうちに、時間はどんどん廻って、二三十分かかってしまった」
「では、大尉は、ずっと試験部におられたのですね」
 ケント兵曹は、やっと話がのみこめたという風だった。
「そうだ。試験部の、机の引出をみな引き出して、やっと試験表を三十通までみつけたが、あとの六通が見あたらない。あまり遅れてもと思って、足りないままで、副官の前へ持って出たがとたんに大恥をかいた?」
「大恥とは何です?」
「うむ。副官はそんな電話をかけてそんな命令を出した覚がないといわれるのだ」
「そりゃ、変ですね」
「変だ。まったく変だ。とにかく副官に笑われて、ここへかえってきたのだ。重大な試運転の真最中に、誰か副官の声色をつかって、俺を一ぱいくわせたのかとむかっ腹をたててここへ帰ってくると、ほら、そこにいる怪しい東洋人が眼にうつったではないか」
「あ、なーるほど。それでよく分かりました」
 ケント兵曹は、そういってから、はじめて、東洋人がこの機関部へきたわけを次のように話した。
「この男は、第六班から、応援によこした機関部員ですよ。フイリッピン人で、カラモという男です。なかなかよく働きます。三人分ぐらいの持場を、彼一人でひきうけていますが、少しもまちがわないです。こういう事故が起った際にはあつらえ向の男です」
 フランク大尉は、うなずきながら聞いていたが、眼をぎょろりと光らせたかと思うと急に声を落して、
「だが、怪しい奴じゃないか。おいケント兵曹。殊によると、あいつは例の日本将校カワカミじゃないかねえ」


   ピストルの監視下に


「カワカミですって?」
 と、ケント兵曹はあきれ顔をしてといかえした。
「フランク大尉。監視隊は七名ものカワカミを捕らえ、リット少将の命令でみな殺してしまったそうですよ。いや、これは上官の方がよく御存じのはずですが」
「それはそうだったが、でもケント兵曹。あの横顔を見ろ、どっかカワカミに似ているじゃないか」
 フランク大尉はしばし思案顔であったが、何事か決心したものとみえ、
「うむ、やっぱりカワカミに違いない。万一違っていた時は俺が責任をとればよいのだ」
 といいざま、一旦しまったピストルを、ふたたびサックの中からだして、さっと川上の頭を狙った。
「あっ、なにをせられます」
「ケント兵曹。退け、俺は飛行島の秘密をまもらねばならぬ」
 ふたたび怒れる獅子のようになったフランク大尉は、ピストルをつきつけたまま、
「おいカワカミ。仮面をぬげ」と叫んだ。
「分隊長。待ってください」
 ケント兵曹も必死だった。
「飛行島は只今、試運転中であることをお忘れないように。もしこの東洋人を傷つけたら、この大切な第四エンジンの持場はどうなります。いや、重大な飛行島の航進はどうなります。あとに、代りの部員をもってこようとしても、どこの班でも、人員が足りないで困っている際ですぞ。分隊長」
 これには、フランク大尉も、一言もなかった。
「――はい、只今、三十ノット出ました。エンジンはいずれも快調。油量速度五五・六。乱調子の傾向はみとめられません」
 フイリッピン人カラモ――ではないわが川上機関大尉は、傍に立つフランク大尉とケント兵曹とを全然気にしていないものの如く、相変らずエンジンの操作に当っていた。
 機関大尉の明鏡のような頭には、事の成行ははじめからわかっていたのだ。その悠々たるおちつきぶりを見よ。赤銅色の頬には不敵にも、誇らかな勝利の微笑さえ浮かんだではないか。
 速力三十
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