た。
 それにしても、いつもここにいる部員たち、殊に、彼が最も信頼しているケント兵曹は、今どこへ行って、何をしているのか。
 彼は、飛行島にとって最も恐るべきことが、目前に起っていることを感じると、最早ためらうべき時でないと、ずっしりと重いピストルを握りなおして、東洋人の頭にぴたりと銃口を向けた。
「こら」その声はふるえを帯びていた。
「貴様は何者だ。命が惜しかったら、いまから十かぞえる間に姓名を名のれ。その間に名のらなかったら、おれは機関部第二分隊長の実力をもって、貴様を射殺する」
 ピストルを握ったフランク分隊長の右手は、わなわなとふるえていた。
 いうまでもなく、この東洋人こそ、われらの大勇士、川上機関大尉の変装姿であったのだ。


   川上機関大尉現る!


 おお川上機関大尉!
 どこにどうしていたのか、川上機関大尉は、再び、われらの前に現れたのだ。
 そもそも飛行島の秘密を探る命令が川上大尉にくだったのは、もちろん彼が、飛行島を動かすエンジンなどの諸機械にくわしいところを見こまれたからであるが、しかし理由はただそれだけではない。彼の鋭い頭の働きと、底知れぬ大胆さと、そしていかなる死地にあっても、くそおちつきにおちついて物事を考える。そして、よしとなったらどんなことでもやり通さずにはおかない恐るべき実行力を見こまれたからであった。
 一たい人間というものは、その相手から思いきった大胆なことをやられると、却って気をのまれてしまって、なにも手だしができないものである。これが死地にあって敵と闘うときの最上の極意である。わが川上機関大尉は、この尊い極意をちゃんと心得ていたのだ。
 フランク大尉はピストルの引金に手をかけた。
「覚悟はよいか。一から十まで数えおわれば、この引金をひくのだぞ。さあ数えるぞ、一《ひ》イ、二《ふ》ウ、三《み》イ、……」
 数え出したフランク大尉の緊張にひきつってゆく真青な顔。
 だが見よ、どうしたというのだ。川上機関大尉は、死が数秒の後に迫っているというのに、エンジンの前のハンドルを懸命にあやつり、メートルの指針をいちいち直してゆく操作ぶりのあざやかさ! まるで目前の仕事に身も魂も打ちこんでいる真剣そのものの姿ではないか。フランク大尉は、その凄じい気魄にたじたじとなったが、必死にこらえて、
「――五《い》ツ、六《む》ウ、……」
 のこるはわずか、あと四つの数だ!
 ピルトルの引金を握りしめた右手から油汗がにじみ出した。
 轟々たるエンジンの唸は、室内をゆりうごかして、一段とものすごい。
「――七《なな》、八《や》ア、九《こ》ノ……」
 あっ、のこりの数は、もうあと一つ!
 そのとき突然、高声器が大きな声を発した。
「二十五ノットに、スピードを上げい!」
 司令塔からの号令だ。
「はい、二十五ノットに上げまあす」
 川上機関大尉は、一秒のおくれもなく、伝声管のなかに復誦した。そしてただちに給油|弁《バルブ》を開くために、ハンドルをぐるぐる廻しはじめた。
(十《とお》オ!)
 と、最後の数字をかぞえようとして、フランク大尉は、それを喉の奥にのみこんだ。すっかり気を奪われたのであろう。ピストルの銃口だけは、川上機関大尉の方に向いているが、引金にあたっている指にはもう力がはいっていない。
 気が臆したフランク分隊長は、こうなればもう銅像みたいなものだった。
「はい、二十五ノット、よろしい。エンジンはいずれも快調です。異常変動、全くみとめられず!」
 川上機関大尉の声は、いよいよ冴えた。
 その声がフランク大尉の鼓膜をうつと、彼は反射的にピストルの引金をぎゅっと握りしめた。
(十《とお》オ!)
 その瞬間、
「あっ、分隊長! な、なにをなさるんです」


   フランク分隊長の話


 左手の通路から、おどりこんできたのは、ケント兵曹だった。
「あっ、あぶない」
 と叫ぶのも口のうち、彼はフランク大尉と川上機関大尉との間に、すばやく立ちふさがった。
「おい、退け。なにをするんだ」
「フランク大尉、あなたこそ、何をなさるんです」
「ケント兵曹。のかんか!」
「お待ち下さい。――まちがいがあってはなりません」
「なに、まちがい? 何のまちがいだ」
「ああ、御存じないのですか。いまわが飛行島は試運転中で、それにつきまして、リット少将閣下は、わが機関部が最善の成績を上げるようにと訓令せられました」
「そんなことは、よく分かっている」
「ところが、さっきこの第四ディーゼル・エンジン班の一人の部員が急にめまいがしてぶっ倒れましたが、それにつづいてたおれる者続出、今では十六七名という多数にのぼっております」
「そ、そんなことがあるものか。俺は、そんな報告に接しておらぬぞ」
「あれ、フランク大尉は御存じなかったのですか」
 
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