部こそ、およそ近代科学の驚異であった。
 一言でいいあらわせば、人間の脳の組織を顕微鏡下で見たとでもいうよりほかないであろう。
 飛行島の甲板、砲塔、格納庫、機関部、操縦室、監視所、弾薬庫、各士官室、無電室、その他ありとあらゆる島内の要所から、この司令塔内へ向かって、幾十万、幾百万の電線が集っているのであった。
 それは通信線もあれば、点火装置もあれば、速度調整装置、照準装置、そのほか飛行島のすべての働きが電流仕掛で司令塔内より至極手軽に動かされるようになっていた。そういう設備の末の端が円形のジャック孔となって、まるで電話交換台の展覧会というか、蜂の巣を壁いっぱいに貼りつけたというか、司令塔の壁という壁をあますところなく占領していた。
 その間に、幾段もの縞模様となって、丸形の計器や水平形の計器などが、ずらりと並んでいた。それ等はすべて夜光式になっていて、たとえ司令塔の電灯が消えても、ちゃんと計器の指針がどこを指しているかが分かるように造られてあった。
「速度、十五ノットか。よし、この辺で、もう五ノット上げてみい」
 リット少将は、飛行島の速度を、さらに注意ぶかく上げることを命じた。
 二十ノットに速度を上げよと、電話は機関部にとどいた。
「おう、二十ノット」
 命令は、伝声管や高声器でもって、半裸体で働いている部員に伝えられてゆく。
「二十ノット。よろしい、いま重油の弁《バルブ》をあけるよ」
 弁を預かっていた面長な男が、大きなハンドルをしずかにまわしながら、計器の針の動くのをじっとみつめている。と、突然、
「おや、お前は誰だ」
 そこへ監督にやってきた機関大尉フランクが、うしろから呼びかけた。
 面長な東洋人は、フランクの声が聞えないふりをして、なおもしずかにハンドルをまわしていた。
「ええ、二十ノット、出ました」
 彼は落着いた語調で、伝声管の中に報告をふきこんだ。
 諸君、このものしずかな東洋人は、一たい何者であったろうか。


   怪東洋人


 まっ暗な南シナ海の夜であった。
 文明の怪物ともいうべき飛行島は、いま波濤を蹴って、南へ南へと移動してゆく。
 飛行島の前後左右は、それをまもる艦艇がぐるっととりまき、一片の浮木も飛行島に近づけまいとしている。
 空には、空軍の精鋭が、かたい編隊をくんで、もし空から近よる敵機あらば、何国のものたるをとわず、一撃のもとに撃ちおとしてくれようと、ごうごうと飛びつづけている。
 飛行島は、だんだんにスピードを上げていって、いまや時速二十ノット!
 夜間のこととて、わずかにもれる光に、舷側の白い波浪や艦尾に沸くおびただしい水沫、それから艦内をゆるがす振動音などが乗組員たちの耳目をうばっているにすぎないが、昼間だったら、まさに言語に絶する壮観であったに違いない。
 飛行島を動かしている機関部の諸エンジンは、すこぶる好調であった。これでゆけば、最大スピードの三十五ノットを出すことも、さほど難しくはなかろうと思われた。
 ここはその飛行島の機関部――
 重油の弁《バルブ》を巧みに開いて、飛行島のスピードを今二十ノットに上げたばかりの機関部員は、面長の東洋人であった。
(二十ノット、出ました)
 と、伝声管のなかにおとした音声も、どっしりとおちついている。まことに頼もしい機関部員だ。
 それを傍から見下している機関大尉フランクの顔は、これはまた反対に、非常に険しい。彼の右手は、ピストルのサックを探っているではないか。
 東洋人にはフランクのこうした様子が見えないのか、彼は顔色一つかえないで、じっとメートルの面を見守っている。
「エンジンはつづいて好調」
 かの東洋人は、憎いほどものしずかな調子で、だが歯ぎれのよい英語で、伝声管から司令塔へ報告する。
「おい! 貴様は誰だ?」
 フランクは憤りをこらえかねて呶鳴りつけた。が、東洋人は、びくともしない。いや、自分のことと思っていないのか、
「はあ、はあ、リット少将閣下ですか。エンジンの調子は見込よりもむしろ実際の方がずっとよろしいようであります。――はあ、どのエンジンにつきましても、すでに検査をおえました。さすが大英帝国の機械だけあります。――はあ、はあ、承知いたしました。なお細心の注意をおこたらず、身命を賭して、エンジンをおあずかりいたします。どうか御安心ください」
 これを聞いていた機関大尉フランクの顔といったらなかった。まず真赤になり、眼をとび出すほど見開いて、やがて蒼白になっていった。
 司令官リット少将と、なれなれしく会話をとりかわしているこの東洋人は、一たい何者であろうか。
 フランク大尉は今まで見たこともない男が、自分が受けもっている機関部で、何の不思議もなく働いているのに、まずあっけにとられ、次の瞬間頭がくらくらとするほど驚い
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