う。
それは外でもない。頭にぐるぐる繃帯をしたペンキ塗の中国人であった。リット少将とハバノフ氏の密談する塔の屋上で、檣《マスト》にペンキを塗っていたあの怪中国人であった。
彼はなぜ、命がけの冒険をしてまで杉田二等水兵を抱きとめたのだろう。
諸君! まことに不思議な怪中国人ではないか!
軍艦明石
練習艦隊須磨明石の二艦は、針路を北々東にとって、暗夜の南シナ海を航行してゆく。
もう夜はかなりふけていて、さっき午後十一時の時鐘が鳴りひびいた。
非番の水兵たちは、梁につりわたしたハンモックの中に、ぐっすり眠っていた。
ただ機関だけが、ごとんごとんと絶間なく力強い音をたてている。
明後日、香港につくまでは、こうして機関は鳴りつづけているだろう。
が、二番艦明石の艦長室では、加賀大佐が、きちんと机に向かっていられた。
机上には、十枚ばかりの同じ形の紙片が積みかさねてあった。艦長はその一番上の一枚に見入っているのだった。
「ふーむ、――」
軽い吐息が、洩れた。
一たい艦長は、なにを考えているのだろう。
そのとき入口の扉がこつこつと鳴った。
「おう」
やがて扉《ドア》が開いた。
扉の外に直立不動の姿勢で立っていたのは第三分隊長長谷部大尉だった。
「さっきお電話で、私の願をお聞きいれ下すってありがとうごさいました。そこで早速伺いましたが……入ってもお差支えありませんか」
と、長谷部大尉はすこし間のわるそうな顔をしている。
というのは、さっき大尉は、艦長へこんな風に電話をしたのであった。
(艦長、お寝みになっていませんければ、御迷惑でもしばらく私の相手になってくださいませんか)
すると艦長はおちついた口調で、
(よろしい。いつでもやって来たまえ)
とこたえられた。
大尉は大いに楽な気持で艦長のもとをたずねたのであるが、扉を開けてみると、艦長は形を崩しもせず、厳然と事務机に向かっていられるのである。
大尉は、艦長と一杯のむつもりで、片手に日本酒の一升壜をぶらさげているのであった。
「さあ、こっちへ入りたまえ」
艦長は、しずかにこたえた。
「はっ、――」
と大尉は嬉しそうな顔をしたものの、まだ具合がわるいのか、
「ありがとうございますが、私、ちょっと出直してまいります」
一升壜を置いて出直してこようと思った。
「まあ、いいじゃな
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