かあるのだ。今、手わけして、探してはいるがね。ねえ、ドクトル、あんたも、なにかいい智恵をひねりだしてくださいよ」
船長は、苦笑《くしょう》していった。
そのとき、房枝の手をひっぱるものがあった。房枝は、船長とドクトルの対話に、気をとられていたが、手をひっぱられたので、その方をみると、それは曾呂利がやったのだ。
「ねえ房枝さん。そこへ船長さんがもってきた花を、私に見せてください」
「まあ、あなたが見て、どうなさるの」といったが、房枝は、テーブルのうえから、花をとって、曾呂利に渡した。
曾呂利は、その花を手にとって自分の鼻に押しあてた。そのとき、彼の目が、急に生々と輝《かがや》きだした。
「ほう、この花は、非常に煙硝《えんしょう》くさい。おや、それに、なめてみると、塩辛《しおから》いぞ、海水に浸っていたんだ。すると、この花は、船の上にあった花ではない、海の中にあった花だ。これは、ふしぎだ」
曾呂利は、まるでなにか怪物につかれた人のようにぶつぶつと口の中でひとりごとをいった。しかし房枝は、その一言半句《いちげんはんく》も聞きのがさなかった。そして、曾呂利の顔を、穴のあくほど見つめていたが、はっとした面持で、
(この人は、どうしても、帆村荘六という名探偵にちがいないと思うんだけれど。なぜ、曾呂利本馬などと、名をかえているのでしょう)
と、ふしん顔。
そのとき、電話のベルが鳴った。看護婦が出ると、船長に急用だという。そこで船長が、かわって電話機をとりあげたが、一言二言《ひとことふたこと》いううちに、船長は、おどろきのこえをあげた。
「えっ、見つかったか。ふーん、そりゃ、たいへんだ。今すぐ、わしは、そこへいく」
なにが見つかったというのだろう。
それをきいて、曾呂利本馬が、すっくと立ち上った。松葉杖なしで、曾呂利がつっ立ったのである。
石炭庫《せきたんこ》の中
「おい、見つかったそうだ、ミマツ曲馬団の松ヶ谷団長が、石炭庫の中で」
船長は、おどろくべきことばをのこすと、すぐさま医務室をとびだした。
「えっ、団長さんが、見つかったんですって、まあ、よかったわ」
と、房枝は、よろこびの色をうかべて、曾呂利本馬の方をふりかえった。
行方不明をつたえられた二人のうち、一人は見つかったのだ。ことに、松ヶ谷団長が、このまま、行方不明だったら、このミマツ曲馬団は、これから満足な興行《こうぎょう》ができないであろう。やがて、一座は解散となって、団員たちは、ばらばらになってしまうにきまっている。ああ、そんなことになれば、房枝のような孤児《こじ》を、だれが面倒みてくれるであろうか。団長が見つかったという知らせに、房枝が、ほっと安心の吐息《といき》をもらしたのも、わけのあることだった。
「あ、曾呂利さん」
曾呂利の方をふりかえった房枝は、いぶかしそうに、彼にこえをかけた。
曾呂利本馬は、足がわるく、おまけに、ニーナ嬢につきあたられて、後頭部をいやというほどうったので、ふらふらの病人であるはずのところ、彼が、足もともしっかり、すっくと立ち上っていたのを見て、房枝は、たいへんふしぎに思ったのである。
「曾呂利さん。もうおなおりになったの」
「いや、あいかわらず痛むのですけれど、今、団長が見つかったときいたものだから、おどろいて、思わず立ち上がったんですよ」と、彼は、いいわけしながら苦笑した。
「いやな曾呂利さんね。そんならんぼうなことをなさると、いつまでも丈夫になれないわ。ねえ、ドクトルさん」
ドクトルは、看護婦相手に、船員赤石の容体を見守っていたが、
「そうですよ。若い人は、どうもらんぼうをするので、いかんですよ。いくら丈夫でも、人間の体力には、かぎりがある。それをふみこすと、体をこわしてしまう。曾呂利さん、房枝さんのいうのが、ほんとうだ」
曾呂利は、肘かけ椅子に腰をおろし、たいへんよわった顔で、あたまをかいた。
そこへ、また電話がかかってきた。看護婦が出ると、こんどは、船長のとこへかかってきたのではない。船長から船医のところへ、かかってきたのである。
「あ、ドクトルだね、たいへんだ。すぐ来てくれたまえ。場所は、第一石炭庫。見つけだした松ヶ谷団長は、顔にひどい怪我《けが》をしている。そして、なんだか[#「なんだか」は底本では「なんだが」]、様子がへんだ。妙なことを口走っている。うごかせそうもないから、すぐに来てくれたまえ」
と、船長のこえは、うわずっていた。
船医は、薬や注射器をもってすぐかけつけると返事をした。そして、看護婦をいそがせて、自分は鞄をもち、看護婦には、洗滌器《せんじょうき》などの道具をもたせて、あたふたと、医務室を出ていった。
あとには、赤石と曾呂利と房枝の三人きりとなってしまった。
そのとき房枝も、そわそわしていたが、団長の様子が気になるとみえ、彼女もまたそこを出ていった。あとには、赤石と曾呂利の二人きりとなった。
船員赤石は、死んだようになって、ベッドに寝ている。眼をあいているのは、曾呂利一人だった。
その曾呂利青年は、しばらくあたりの様子をうかがっていたが、誰も近づく者がないのを見すますと、肘かけ椅子から、すっくと立ち上った。彼の右足は、膝のうえから下を、板切《いたきれ》ではさみ、そのうえに、繃帯《ほうたい》でぐるぐるとまいていて、いかにも痛そうであったが、ふしぎにも、このとき、彼は、室内をすたすたと歩きだしたのであった。そして手をのばして、赤石の倒れていたという疑問の花をつかむと、部屋の片隅にある顕微鏡の前にいった。もしもこのとき、誰かが、この曾呂利青年のあやしい行動を見つけた者があったとしたら、きっと、部屋にとびこんで、このにせ怪我人の曾呂利を、やにわにとりおさえたことであろう。
彼は、爆薬で黒くよごれた花片《はなびら》をむしりとると、器用な手つきで、それを顕微鏡にかけて、のぞきこんだのであった。
数秒間、彼は、石像のようになって、顕微鏡をのぞいていたが、やがて顔をあげると、
「おお、これはたしかに、今大問題になっているBB火薬だ! これはたいへんだぞ」と、思わず、口走《くちばし》った。
いよいよ怪しき曾呂利青年だ。
今や、曾呂利青年の正体は、読者の前に、明らかにされなければならない。曾呂利本馬とは、真赤ないつわり、彼こそは、理学士の肩書のある青年探偵、帆村荘六その人だったのである。
おお、あの有名な名探偵、帆村荘六。
彼はなぜか一芸人として、このミマツ曲馬団に加わっていたが、雷洋丸上にしきりに起る怪事件にだまって見ていられず、ひそかに探偵の歩をすすめていたのだった。
そういうことが分かれば、曾呂利本馬として、これまでにたびたびおかしな振舞《ふるまい》があったが、それは探偵のための行動であったのだ。
BB火薬《かやく》
曾呂利本馬は、もう解消して、名探偵帆村荘六は、顕微鏡からはなれた。
彼は、きりりとした顔で、またしばらく、あたりの様子をうかがっていたが、まだ誰も、この医務室に近づく者がないことをたしかめると、後へふりむいて、卓子《テーブル》のうえから、一本の試験管をとった。
なにをするのであろうか?
帆村探偵は、そのガラスでつくった試験管の中へ、BB火薬らしいもので黒くなった花片を、しきりにむしりとって、つめこんだ。
それから、薬品のならんだ棚から、ある薬品の入った壜《びん》をとると、栓《せん》をぬいて、無色の液体をすこしばかり試験管につぎこんだ。
(こうしておけば、大丈夫、保つだろう――)
彼は、試験管にコルクの栓をした。それから、器用な手つきで、封蝋《ふうろう》を火のうえで軟かくすると、コルクの栓のうえを封じた。それで作業は終ったのであった。
それがすむと、こんどは肘かけ椅子のところへもどり、右足の繃帯を、くるくるとときはじめた。
足をはさんでいる板切が、むきだしにあらわれた。
(ここへ入れておけば、安心だ)
彼は、試験管を、板切の間にさしこんだ。それからふたたび繃帯を、元のように、ぐるぐると巻きつけたのであった。
それが終ると、彼はほっとしたような顔つきになって、肘かけ椅子に、ぐったりともたれて、大きな息をついた。
とたんに、廊下にあわただしい足音がしたと思ったら、医務室の扉があいて、看護婦がもどってきた。
あぶないところであった。
看護婦が、もうすこし早く、この部屋へもどってくれば帆村探偵は、たちまち、怪しい行動を、見られてしまうところだった。
「どうしたんですか、看護婦さん」
と、帆村探偵は、なにげない様子で肘かけ椅子にもたれたままたずねた。
「あら、あなたをほったらかしにしておいて、どうもすみません。松ヶ谷さんが、石炭庫の中でたいへんなのよ」
看護婦は、手術の道具を、下へおろすのにいそがしい。が、手よりも口の方は、もっとよく動く。
「あたし、こんなおどろいたこと、はじめてですわ。松ヶ谷団長さんの顔ったら、たいへんよ。顔中すっかり火傷《やけど》をしてしまって、それに眼が、ああ、もうよしましょう、こんなことをいうのは」
「眼が、どうしたのですか」
「あの様子では、もう永久に、物が見えませんわ、かわいそうに……。盲目になっては、猛獣をつかうことができないでしょう。お気の毒だわね。ミマツ曲馬団は、メキシコで見物にいって、とても冒険が多いので、感心しちゃったけれど、団長さんがあれでは、もうだめだわ」と、看護婦はしきりに残念がる。
「団長は、一体、石炭庫の中でなにをしていたのですか」と、帆村探偵は、こえをかけた。
「それが、たいへんなのよ。石炭の中に、団長さんが埋《うず》まっていたのよ。火夫《かふ》が、石炭をとりに来て、石炭の山にのぼると、真暗な奥から、うめきごえがきこえたんですって、びっくりして、仲間をよびあつめ、もう一度いって、奥をしらべてみると、誰だかわからない人間が、石炭の間から顔を出して歌をうたっていたんですって」
「歌をうたっていた?」
「そうなのよ、へんでしょう。顔がすっかり焼けただれているのに、歌をうたっているのよ。診察に行かれた先生もおどろいていらしたわ。普通の人間なら、もう死んでいるところですって」
「ひどいことをやったものですね。一体、誰が、そんなことをやったのでしょうね」
「さあ、あたし、そんなことは知らないわ。誰かにうらまれたのじゃないかしら、曲馬団の団長なんて、団員を、とてもいじめるのでしょう。ライオンや虎を打つ鞭《むち》でもってぴゅうぴゅうとたたくのでしょう」
「さあ、どうですかなあ」
帆村探偵は、松ヶ谷団長が、見かけによらない人情にあつい人であることを知っていた。だから、団長は団員からうらまれるようなことは、なかったであろうと思った。問題は、BB火薬にあるのではなかろうか。それから、もう一つ、彼の心に思い出されるのは、美人ニーナ嬢の怪行動だ。ニーナ嬢にぶつかったのは、石炭庫へ下る途中の通路であった。
BB火薬とニーナ嬢!
BB火薬というものは、昨年始めてメキシコのある化学研究所でつくられた、おそるべき強力なる爆薬であった。そのつくり方はもちろん、こういう火薬があるということまで極秘になっていたはずのものだった。それが、どうしたわけか、ある一部へ秘密が洩《も》れ、別なところで、製造が始められたと、帆村は聞いていた。その問題のBB火薬が、雷洋丸の上で発見されたのである。
帆村の眼底には、消せども消せども、なぜかBB火薬と並んでニーナ嬢の顔が浮かび上がってくるのであった。
虚報《きょほう》
「船長。今も申しましたとおり、防空無電局では、あの時刻に、そんな怪飛行機追跡中だなんて警報を出したおぼえはないといっているのです。嘘《うそ》ではなさそうです。するといよいよこれは、どうも、ただごとではありませんよ」
と、一等運転士がいった。船長室で、二人は向きあって額をあつめて、協議中であった。
船長は、海図《かいず》から頭をあげ、
「まったくおかしなこともあるものだな。あの警報
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