っていけ」
「はいはい。行ってきましょう」
なにしろ、道具もなければ、金もないので、小屋がけをしたはいいが、はじめは電灯を引くことも出来なかった。天井《てんじょう》なしの、天気のいい日だけ、昼間興行で打切りというすこぶる能率のわるいやり方で、がまんしなければならない新興ミマツ曲馬団だった。
だが、蓋《ふた》をあけると、どやどやとお客が押しよせてきて、たちまちしわだらけの札が、団長の帽子の中に一ぱいになってしまった。
二日目には、客からお届けものの栗まんじゅうの入っていたボールの箱を、臨時金庫にしたが、たちまちこの箱も、札で一ぱいになって、箱はとうとうこわれてしまうというさわぎであった。そこで、仕方なくそばやさんから、乾《ほし》うどんの入っていた木箱をゆずってもらって、これを三代目の金庫としたが、この金庫も、三日目には、札で、すっかり底が浅くなってしまい、うっかり持ちあげると、板底から釘がぬけだすというわけで、夢みたいに金が集まってきた。こうなれば、電灯工事費なんかなんでもない。
房枝の出し物は、もともと小馬ポニーを使って、身軽な馬術をやるのが一座の呼びものになっていたが、そのポニーは、雷洋丸とともに、太平洋の底に沈んでしまった。だから、この出し物はだめとなって、初日、二日は、仕方なく、上は洋髪の頭のままで、からだには、紙でつくったかみしも[#「かみしも」に傍点]をつけ、博多今小蝶《はかたいまこちょう》と名乗って、水芸の太夫娘となって客の前に現れた。それでも、なにもしらない客たちは大よろこびで、小屋が割れそうなくらい手をたたいた。
房枝は、うすい板敷《いたじき》の舞台の上で、そっと涙をのんだ。
(ポニーほしい)
と思ったが、それは、どうにも、急場の間にあうはずがなかった。
「じゃあ一つ、空中サーカス道具を手に入れ、ついでに、天井の高い天幕《テント》も、借りちまうか、これなら、ごうせいな番組となって、お客は、またうんとふえるにちがいない」
と、楽屋の草原の上に、あぐらをかいている黒川新団長は、ものすごく気前がよかった。
五日目は、徹夜で、大天幕張り、次の日から、見ちがえるような新興ミマツ大曲馬団超満員御礼大興行と、長たらしい名前の旗を出し、「お礼のため、特に料金は二割引」とわけのわからぬ但し書をつけたが、これがまた大当りと来た。一座は、波間に沈んでいく雷洋丸から、命からがらのがれた後のしめっぽい思出なんか、どこかに忘れてしまって、たいへんな張切りぶりを見せた。もう二、三箇月、東京各地で稼いだら、その次には一座そろって上海《シャンハイ》へ渡ろうと、黒川団長は、そんな先のことまでを口にした。
ちょうど、七日目の昼間興行のとき、房枝が、アパートを出て、楽屋入《がくやいり》をすると、黒川新団長が、にこにこ顔でそばへよってきた。
「おい、房枝。今日、お前のところへ、すばらしく大きな花環の贈物がとどいたよ。天幕の正面の柱に高くあげておいたよ」
「まあ、ほんとう? だれからかしら」
房枝は、大花環と聞いて、目をみはった。
「さあ、その贈主のことだが『一婦人より』としてあるだけで、名前はない」
「一婦人より、ですって。だれなんでしょうね」
「まあ、その幕の間から、ちょっとのぞいてごらん。実にすばらしい花環だ」
団長は、自分がその花環をもらったようによろこぶのであった。そこで房枝は、顔があかくなったが、団長にすすめられるままに、幕に手をかけてそっと覗《のぞ》いた。
「あーら、ほんとうね。まあ、きれいだこと」
房枝は、思わずおどろきのこえをあげた。
「どうだ、りっぱなものだろうがな。わしはちかごろ、あんな見事な大花環を見たことがない。房枝、お前は、今はおしもおされもせぬ一座の大花形だよ」
「だれが、贈ってくださったのでしょうね」
と、房枝は、小首をかしげたが、そのとき、ふと気がついて、
「ああひょっとしたら、部屋においてあるあの片っ方の草履《ぞうり》の奥さまがおくってくださったのではないかしら。でもまさか」
と、房枝は、自問自答をして、再びその花環へ、まぶしい視線を送ったが、そのとき、房枝は、とつぜん、「あっ」と、大きな叫びごえをあげておそろしそうに身をひいた。
「どうした、房枝。いきなり、そんな大きなこえを出して」
房枝は、そのとき、新団長の腕を、しっかととらえて、こえをふるわせた。
「ちょっと、あれを、あたしの大花環の横にならんで、気味のわるい花籠が」
「ええっ、気味のわるい花籠が?」
怪しき花籠《はなかご》
「気味のわるい花籠? あの花籠なら、たいへんきれいじゃないか」
と、黒川新団長は、房枝のことばを、むしろふしんに思っているようすだった。
房枝は、恐怖の色をうかべ、
「いいえ、あの花籠には、あたし見おぼえがあるのよ。あの雷洋丸事件の、そもそもはじまりは、あの花籠だったのよ」
「ええ、なんだって」
雷洋丸事件ときいて、黒川新団長は急に顔色をかえた。黒川はあのとき、トラ十の横に腰を下していたのだった。あのとき、電灯が一度消えて[#「一度消えて」は底本では「二度消えて」]、二度目についたときには、トラ十のすがたはなく、卓上は鮮血《せんけつ》でそまっていた。それから間もなく、雷洋丸は爆沈し、彼はもう少しで、命を失うところだったのだ。雷洋丸事件ということばをきくと、黒川は今でも、すぐ身ぶるいがはじまる。
「団長さん。あの事件のとき、あたしたちの食卓に、あのとおりの花籠がのっていたのよ。そして、一度停電して、二度目に電灯がついたときには、その花籠はなくなっていたのよ。そして、卓上には、あのおそろしい血が」
「ああ、それから先は、もういうな。わしは、それを思うと、身ぶるいが出るのだ」
「あたしは、あの花籠を見たとたんに、身ぶるいがおこりましたわ。あんな気味のわるい花籠は、すぐ下してくださらない。あたし、芸もなにも、できなくなりましたわ」
「まあ、そういうな。しかし、わしも、やっと思い出したぞ。そうだ。たしかあのとき、わしの目の前に、あのような花籠がおいてあったねえ」
「団長さん。あの花籠は、一たい、どなたが贈ってくださったのですか」
「ああ、あの花籠か。あれは、だれから贈られたのだったかなあ。そうそう、なにしろ大入満員でいそがしいものだから忘れていたが、さっき、お届物屋《とどけものや》さんが持ってきたといっていたが、そのとき手紙がついていたのを、読もうと思って、すっかり忘れていた」
「手紙がついていたんですか」
「そうなんじゃ、いそがしくて、すっかり忘れていたよ。あれは、どこへしまったかなあ」
黒川は、ポケットをさがしまわっていたが、やがてまっ白い角封筒を、ズボンのポケットからつまみだした。
「ああ、あったよ。これだ、この封筒だ。中の手紙を読めば、だれが贈ってくれたかわかるよ」
そういって、黒川は、その四角な封筒をやぶって、中から四つにたたんだ用箋《ようせん》をひっぱりだした。そして、それをひろげてみると、なんとそこには、電報のように、片かなばかりをつかった文章が、タイプライターで印刷してあった。
その文面は、次のようなものであった。
[#ここから1字下げ]
「――ライヨウマルノコトヲ、オモイダシテクダサイ。コノサーカスハ、イツデモ、ワタクシノテニヨッテ、バクハツシマス。ソレガコマルナラ、コンヤ十一ジニ、クロカワダンチョウト、ハナガタフサエト、マルノウチ、ネオン・ビルノマエニキナサイ。ケイサツニツゲタリ、コノハナカゴヲウゴカスト、スグバクハツサセマス、ワタクシタチノブカガ、イツモチャントミテイマス。バラオバラコ」
[#ここで字下げ終わり]
気味のわるい脅迫状《きょうはくじょう》であった。
――雷洋丸のことを、思い出してください。このサーカス(曲馬団のこと)は、いつでも、私の手によって爆発します。それが困るなら、今夜十一時に、黒川団長と、花形房枝と、丸ノ内、ネオン・ビルの前に来なさい。警察につげたり、この花籠をうごかすと、すぐ爆発させます。私たちの部下が、いつもちゃんと見ています。バラオバラコ――という文面であった。
「おお、これは、たいへんだ。あーあ、せっかく、こんなに大入満員になって、よろこんでいたのに」
と、黒川は、顔から血の気をなくして、そのばにしりもちをついてしまった。
房枝は、黒川から手紙をとってこれを読みくだしたが、もちろん彼女も、おどろいてしまった。
「やっぱり、そうだったのね。ミマツ曲馬団は、雷洋丸以来、ずっと何者かにねらわれているのね。バラオバラコというのは、何者なんでしょう。――団長さん、どうするつもり?」
黒川は、しばらくは、へんじもしないで呻《うな》っていたが、
「いきたかないが、ここはおとなしく相手のいうことをきいて、やっぱり、いってみるしかないだろうね。せっかくの小屋をこわされ、客の入りをじゃまされては、商売あがったりだよ」
といって、同意をもとめるように、房枝のかおを見上げた。
大蜘蛛《おおくも》
とつぜん、ふってわいた災難であった。
爆発などをやられては、たまったものではない。警察へ知らせたことがわかると、すぐ爆発させるというし、この花籠をうごかしてもいけないという。すると、相手のいうとおり、おとなしく従うよりほかはない。
「団長さん、なんとか、相手にしれないように、警察のたすけを借りることは出来ないものかしら」
房枝は、まだ何とかして、のがれたいと考えた。
「だめだよ。そんなことをして、相手にさからうと、この小屋もわたしたちの体も、めちゃめちゃに空中へふきとんでしまう。いやだよ、そんなあぶないことは」
「だって、わたしたちが、直接警察へ電話をかけないでも、警察へしらせる方法はあってよ。団員のだれかにそっといいつけて、しらせる方法があると思うわ」
「房枝、お前は、わしより気がつよいねえ」
「だって、バラオバラコって、どんな人だかしらないけれど、こんなわるいことをする人を、そのまま、ほっておけませんわ」
「命があぶない。およしよ。わしはもうこりているんだ」
「警察への手紙をかいて、それを、出入りのおそば屋さんかだれかに、そっと持っていってもらったら」
「なるほど、それならいいかもしれないが、やっぱり、後が気味がわるいねえ」
「でも、こんなわるいやつが、いるのをしっていて、だまっていられませんわ。そうすることが、たくさんの人のためになるんです。あたし、あとで一人になったとき、手紙を書きますわ」
房枝は、あくまで、悪者にたちむかおう[#「悪者にたちむかおう」は底本では「悪者たちにむかおう」]という決心をしめした。そのときであった。幕のむこうから、へんに、しわがれたこえでよびかけた者がある。
「房枝、きいているぞ。この小屋を、爆発させていいのだな」
「えっ!」
房枝は、びっくりして、うしろをふりかえった。そこには幕が下っているばかりであった。黒川にも、このへんなこえは耳に入った。
「ほら、みなさい、房枝。お前が、女のくせに、そんなむちゃなことをやろうとするからいけないのじゃ。もう、そんなことは、しませんと申し上げろ。さあ早く、申し上げんか」
「はい、じゃあ、やめます」
房枝は、そういわないわけにはいかなかった。
すると、幕のかげからは、例のしわがれたこえが、
「それを忘れるな。きっと忘れるな。おれたちは、いつでもお前たちを、にらんでいるのだ」
このしわがれたこえをきいていると、団長も房枝も、身の毛がよだつようにも感じるし、また曲馬団の前途を思って、なさけなさに、涙がこみあげてくるのをどうしようもなかった。
なぜ、ミマツ曲馬団は、こういうあやしい者にねらわれているのであろうか。団長と房枝が、おののいているうちに、その幕のむこうでは、一匹の大きな蜘蛛が、糸をたぐって、するすると、天井の方へのぼりつつあった。そのほか、誰もそこには立っていなかったのである。大きな蜘蛛が、幕ごしにものをいったとしか思われないのであった。
蜘蛛が、
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