ものと思わなければならない。
このままでは、トラ十は、箱をひったくって、中をあらためるであろう。しかしトラ十には、これが、そんなに貴重なものとはわからないから、中身をあらためると、なんだ、こんなきたならしいものと、海中へ捨ててしまうかもしれない。そんなことがあればたいへんだ。帆村探偵のこれまでの苦心も水の泡《あわ》だ。
ああ帆村探偵は、いかにして、このX塗料を守るであろうか。
洋上《ようじょう》の死闘《しとう》
「早くその箱をこっちへ出せ。なにをぐずぐずしとる!」
トラ十は、こわい顔をしてどなった。
帆村探偵は、進退極《しんたいきわ》まった。
「なぜ、出さん。命の恩人たるおれの命令に、そむく気だな。よーし、お前がそういうつもりなら、早いところ、片をつけてやる。かくごしろ」
言下《げんか》に、トラ十の手に、きらりと光ったものがある。
「あ、ピストル!」
「そうだ。お前の命はおれが助けた。この船に、助けてやったからなあ。ところで、お前は、おれのいうことを聞かない。そういう恩知らずのお前なんぞを、これ以上、だれが助けておくものか」
トラ十は、ピストルの狙《ねら》いを定めた。
帆村の命は、乱暴者のトラ十の前に、今や風前の灯《ともしび》同様である。彼の命と、貴重なX塗料とが同時に失われそうになってきた。
「兄《あに》い、そんなこわい顔をしなくてもいいじゃないか。おれは、この箱をお前に見せないとはいいはしないじゃないか。ほら、このまま兄いにまかせるよ」
がたん! と、音がして、四角い箱は、トラ十の前へ投げ出された。
帆村は気が変になったのか、あんなに大事にしていた箱を、とうとうトラ十に渡してしまったのである。
トラ十のきげんが、にわかに直った。
「なんだ、世話をやかせやがって、はじめから、おとなしくこうすればいいのだ」
トラ十は、それでもまだ油断なく、ピストルの銃口を、帆村の胸にむけたままである。そして左手で箱をあけにかかった。さあ、一大事である。
「おい、この中に入っているのは、一たい何だ。正直に申し上げろ」
トラ十の追及《ついきゅう》は、一向ゆるまない。帆村はいよいよ困って、ことばもない。帆村の困っているのをトラ十は横目で見て、ふふと鼻で笑った。
「ふふふ。どうやら説明も何もできないほど貴重な品物と見える。そうときまれば、ぜひとも中身を拝見せずにゃいられない。これは、福の神が、向こうからころげこんできたぞ」
トラ十は、にわかに上きげんになった。そして箱を拳《こぶし》でたたきこわすと、中から、白い布をまいた長いものを取り出した。
「おれが、あけてやろう」
「これ、お前は動くな。動くと、これがものをいうぞ」
トラ十はゆだんをしない。彼は右手にピストルをもち、左手で、その布をほどいた。中からは包紙《つつみがみ》が出て来た。
「いやに、ていねいに巻いてあるなあ。よほど大事なものと見えるが、厄介千万《やっかいせんばん》じゃないか。おや、まだ、その下に別な紙で包んである。これはかなわんなあ」
トラ十はだんだんじれながら、何重もの包を、つぎつぎにほごしていった。そのうちに最後の油紙包がとかれて、中からチョコレート色の、五十センチばかりの棒がでて来た。それこそ、X塗料を固めたものであった。それを、ある特殊な油を使って溶かすと、X塗料となるのだった。
「おや、へんなものが出て来やがった」
とつぜん、帆村は猛然と飛びこんだ。塗料の棒に見入るトラ十のからだに、わずかの隙《すき》を見出したのであった。帆村の鉄拳《てっけん》が、小気味よく、トラ十の顎《あご》をガーンと打った。
「えーッ!」
「しまった。うーん」
トラ十、顎をおさえた。
つづいて帆村は、ピストルをたたき落した。しかしトラ十は無類の豪《ごう》の者である。一、二度は、どうと艫《とも》にたたきつけられたようになったが、すぐさま、やっと、かけ声もろとも、はね起きた。
「小僧め、ひねりつぶすぞ」
「なにをッ」
せまい船内で、はげしい無茶苦茶な格闘がはじまった。勝敗は、いずれともはてしがつかない。船は、今にも、ひっくりかえりそうである。帆村は、そのたびに、船の重心を直さなければならなかった。
「これでもかッ!」
「ぎゃッ」
帆村の、猛烈な一撃が、ついに勝敗をけっした。トラ十はよろよろと、後によろめくと、足を舷《ふなばた》に払われ、あっという間に大きな水煙とともに、海中に墜落した。
帆村は、すぐさま艫へとんでいって、舵をとった。そして水面に気をくばった。
ところが、ふしぎなことに、懐中に落ちたトラ十は、いつまでたっても浮いてこなかった。二分たっても、三分たっても、とうとう十分間ばかり、水面を見ていたが、ついにトラ十は浮かんでこなかった。
「はて、落ちるとき
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