こだろうね」
「ターネフさんのお邸ですわ」
「なに、ターネフさんのお邸? はてな、ターネフさんが何か重大な事件が起るといっていたのを、おれは耳にしたんだが、あれはどんな事件だったかしらんか」
「え、重大事件とは」
「ええと、待てよ。そうそう爆薬を仕掛けた花籠を、都下各生産工場へくばって、今夜何時だかに、一せいに爆発させるとか」
「ええっ、黒川団長。もっとくわしく聞かせてください」
そこで黒川は、はからずも、ターネフたちの会話を耳にした話を、房枝たちにしておどろかせた。しかしかんじんの爆発時刻が、いつだったか、黒川は思いだせないのであった。午後五時だったか、八時だったか、それとも九時だったか。
しかし、とにかく時刻は切迫《せっぱく》していることだし、事件が事件だから、すぐその筋へしらせなければたいへんであったから、黒川団長は重態の身をもかえりみず、房枝とスミ枝とを急がせて、ひそかにターネフ邸をぬけだしたのであった。
爆発の予定時刻は、午後九時だった。ターネフ首領たちは、その時刻、全市に捲《ま》きおこる連続爆音と天に冲《ちゅう》する幾百本の大火柱《だいひばしら》を見んものと、三階の窓ぎわで酒をのみながら、時刻の来るのを、たのしげに待っていたのである。
大団円《だいだんえん》
正確にいうと、午後九時一分前だった。
極東薬品工業株式会社の、社長研究室の入口の扉を蹴やぶるようにして、中へとびこんできたものがあった。
今夜は、めずらしくも、博士夫人道子が同じ室にいて、博士の仕事の終るのを待って、編物をしていた。夫人がびっくりして立ち上った。
「まあ、あなたは房枝さん」
とびこんできたのは房枝だった。髪はふりみだれ、顔は火のように赤く、胸は波をうっていた。
「花籠は? あっ、そこにあるのが、そうですね」
房枝は、卓子《テーブル》の上においてあった、例の花籠を見つけると、走りよって小脇に抱えた。
「あら、房枝さん」
「この花籠は、あと二、三十秒で爆発するのです」
房枝は駈けだしながら、
「お名残りおしゅうございますが、これが小雪の最後の孝行ですの。お父さま、お母さま、おたっしゃに」
「えっ、小雪。ああお待ちなさい。あなた、あの娘は、自分で小雪だと申しましたよ」
「ふーん、そういえば成程《なるほど》。おい、よびかえさなければ、おれにつづけ」
博士と道子夫人とは、房枝の後を追うため、つづいて走りだした。
だが、はたして、房枝に追いつくことが出来るであろうか。爆発の時刻は、午後九時、もうすぐそこに近づいている。房枝は、両親と大切な生産力の一つである工場とを救わんがために、一命を捨てる決心をし、今爆薬の花籠を抱いて、爆発しても被害のすくない安全な場所を求めて死の駈足《かけあし》をはじめたのであった。
ここではちょっと脇道へそれるが、青年探偵帆村荘六の姿を、読者のみなさんにお知らせしたい。
帆村荘六は、今、愛宕山《あたごやま》の上に立っている。そこには、警視総監をはじめ、例の田所検事やその他、要路のお歴々《れきれき》が十四、五名もあつまり、まっくらな山の上で、何ごとかを待っているのだった。
「おい、帆村君。時刻は、あと一分だが、ほんとうに大丈夫だろうね」
そういったのは田所検事であった。
「何度でも申しますが、大丈夫ですとも。彦田博士の発明した新X塗料は、十分信用してもいいのです。私は、この実験にも度々立ち合い、それが爆薬にはたらいて、無力にしてしまうところを、十分に見て知っています。だから心配なしです。今度こそ、彦田博士の新発明の爆発防止塗料が、いかにすばらしい力をもっているかを証明する大がかりな実験日ですよ」
「そうね[#「そうね」はママ]、とにかく、もうすぐ午後九時がくる。しかし万一博士の塗料が効目がなくて、都下の生産工場が一せいに爆発したとしたら、僕たちは申訳に切腹しても、追いつかないよ」
「大丈夫ですよ。科学の力を信じてください。ほら、もう九時を過ぎましたよ。一分過ぎになりました。どこからも、爆発の音がきこえてこないではありませんか」
「なるほど、定刻を一分以上すぎた。これは妙だ。君のいうとおりだ」
といっているとき、夜の静寂《せいじゃく》を破って、どどーんの一大音響が聞え、愛宕山《あたごやま》が、地震のように動いた。それと同時に、山手寄りの町に炎々《えんえん》たる火柱がぐんぐん立ちのぼって、天を焦《こ》がしはじめた。
検事は、顔の色を失った。
いや、総監はじめ、山上につめかけていた係官たちは、一せいに立ちすくんだのであった。
帆村の言葉は、ついにでたらめに終ったのであろうか。
ただ、爆音は、そのとき一回きりであったことと、皆がたちさわぐ中に、帆村一人が、平然とおちついていることが、敏感な田所検
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