ーナは、どこで知ったか、そういって、愉快げに笑った。ワイコフの操縦する自動車は、町の辻をまがって、国道の方へすべりこんでいった。
自動車が見えなくなってしまうと、帆村探偵は、たばこをとりだして火をつけた。
「房枝さん、あんたは、とうとう本気でおこってしまったようだね。はははは」
と、彼は口の中で、つぶやくようにいった。なぜか彼の顔からは、近頃のあのいたましいかげが急に取れ、その目は希望にかがやいていた。
花の慰問隊《いもんたい》
それから一週間ほどしてのことだったが、都下の新聞やラジオのニュースによって、
「増産運動《ぞうさんうんどう》・花の慰問隊」
という風がわりな慰問隊が結成せられたことが伝えられ、国民をたいへんに感激させた。
その「花の慰問隊」というのは、うつくしい少女たちの集りで、そのうつくしい少女が、これはまた更にうつくしい花束をもって、東京にあるたくさんの生産工場その他を訪問し、朝から晩まで、機械と共働きをしている男女職工さんたちをなぐさめようというのであった。この「花の慰問隊」の訪問をうけた工場では、そこで働いている職工さんたちが、どんなに喜ぶかしれない。その結果、仕事の方もどんどんはかがいって、かならずいつもよりは、たくさんの品物ができることであろう。つまり花の慰問隊は、増産運動までをやろうというのであった。
この「花の慰問隊」結成のことは、ニュースがひろがっただけでも、たいへんなよい反響があった。
各新聞紙は、争うようにして、花の慰問団の写真をのせた。
そのときカメラの焦点は、つねに一人の明朗な、はつらつたる美少女に合わされていた。その少女こそ、ほかならぬ房枝であったのである。
花の慰問隊の少女たちは、はじめのうちは、数十名にすぎなかった。そして一日に、三、四箇所の工場をまわるにすぎなかったが、新聞や、ラジオでこのことが伝わると、日毎に参加の隊員がふえてきて、一週間たつかたたないうちに、隊員の少女たちは、三百余名という多数となった。
房枝は、いつとなしに、花の慰問隊長にあげられていた。
ニーナは、房枝の後援者であった。いや、もっとはっきりいうと、はじめから、この花の慰問隊をつくるのに力を入れていたのであった。しかしニーナのことは、どの新聞にも出なかった。それは全くふしぎなくらいであった。
だが、その理由は、ニーナと房枝との間に、かたい約束があったからである。即ち、慰問隊の結成は、すべて房枝がいい出したことにしておくことと、それからもう一つ、花の慰問隊のことを聞いて、ある富豪《ふごう》が、名前をかくしてかなりたくさんな金を、慰問隊のために寄附したこと、この二つのことを、ニーナは房枝にまもるように約束したのであった。その実、この寄附金は、すべてニーナのふところから出たのであった。といっても、ニーナのお小遣《こづかい》から出たのではなくて、もっとえらい筋から出ているのであった。今後も、入用なだけの金は、いくらでも房枝に渡されることに、ニーナとの話がついていた。
次の日曜日が、花の慰問隊の大会ときまった。これこそ表面はいかにもうつくしいが、一度その内幕をのぞくと、そこにはターネフ一派の実におそるべき陰謀がいままさに行われようとしているのであった。それは、どんな大事件をもたらすのであろうか。ターネフが「もはや荒療治のほかなし」と放言したが、その荒療治の日は、いよいよ近くに迫ったのであった。房枝は、そんなこととは、夢にも思っていない。ニーナたちをうたがうどころではない、ニーナのかくれた美挙《びきょ》にすっかり感激し、ニーナをすっかり信じかつうやまっているのであるからまことに困ったものであった。
帆村探偵は、今なにをしているのであろうか。
そしてついに、その日が来た。花の慰問隊の大行進! 東京の工場という工場が、うつくしい花束や、おそろしい爆薬を秘めた花籠で飾られる日が来たのであった。
あやしき見張《みはり》
いよいよ今日の日曜日は、花の慰問隊の大行進! 東京の工場という工場が、うつくしい花束、いや、おそろしい爆薬を秘めた花籠でもって飾られるのだ!
その早朝のこと、例の城南《じょうなん》の警察署へ、一台の帆自動車《ほろじどうしゃ》がすべりこんだ。
運転台にのっていた警官が、すばやく外へ下りて、自動車の扉《ドア》をあけると、中から、度のきつい近眼鏡をかけた紳士がひらりととび下り、階段をあがって、さっと警察署の中に姿を消した。
「おう、田所《たどころ》検事だ。いよいよ御入来だな」
そういったのは、署の前の、煙草店から出てきたあやしい黒眼鏡の男だった。
彼はそういうと、横を向いて、道路の傍《かたわら》で故障になった自動車をなおしている修繕工らしい長髪の男に目くばせした。
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