いそいで下りてきた。
「おおニーナ。いまごろまで、なにをぐずぐずしていたんだ。下手《へた》なことをやったんじゃないかと、わしは気が気じゃなかったぞ」
 ターネフは、いつになく、落着をうしなっていた。
「だって、あなたから命じられた、偵察任務をおえるまでは、現場を引あげるわけにはいかないではありませんか」
 偵察任務と、ニーナはいった。房枝は、ニーナが、親切にも自動車で、現場までおくってくれたのだと思っていたが、そうばかりでもなく、ニーナは、偵察にいったのだという。
「ニーナ、二階へ来い」
 ターネフは、そういって、また階段をそそくさと、上へあがっていった。ニーナは、ワイコフ医師にガウンをなげつけるようにして、師父のあとを追った。
 二階に、ターネフの占領している広い部屋があった。南向きの窓からは、例の花畠が一目で見おろせる。
 ターネフは、安楽椅子《あんらくいす》に、どっかと身をなげかけた。その前に小さいテーブルがあって、酒の壜《びん》と盃《さかずき》とソーダ水の筒とがのっている。ターネフは、およそ師父らしくない態度で、足をくみ、そして、酒のはいったコップをとりあげると、ぐーっとあおった。
「おい、ニーナ。お前は、もっと、用心ぶかく、そしてもっと、すばしこくやってくれないと困るよ。こっちの正体を、相手にかぎつかせるようでは、役に立たない」
 ターネフは、きゅうくつな師父ターネフの仮面をかなぐりすてて、ターネフ首領をむきだしにしている。前にトラ十がずばりと指したように、ターネフは世界|骸骨化本部《がいこつかほんぶ》から特派された極東首領であり、ニーナは、その姪《めい》でもなんでもなく、彼の部下の一人であったのである。
「バラオバラコの名で、房枝と黒川とを、うまく丸ノ内へつれだす計画だって、お前の不注意のため、トラ十にかぎつけられたんだ。そして、あべこべに、われら二人が、トラ十のために逆襲され、ぐるぐるまきにされて、自動車の中へとじこめられたときには、わしは腹が立って、気が変になりそうだった」
 ターネフは、さかんにこぼすのだった。この話によってみると、バラオバラコは、ターネフとニーナのことであることがわかる。そして又、トラ十がとつぜん房枝たちを襲《おそ》ったわけもわかる。
 ニーナは唇をかんでいたが、このとき急に顔をあげ、
「あたくしばかりお責めになっては、不服ですわ。あなただって、ずいぶんまずいことをなさいましたわ」
「そうでもない」
「だって、そうですわ。けさ、現場からこの邸へおかえりになったところを、房枝に見つけられたことに気がついていらっしゃいませんの。現場で房枝を訊問《じんもん》した帆村探偵は、それをちゃんと悟ってしまったようですわ」
「えっ、そんなことがあるものか。探偵は、わしが、爆発事件の犯人だといったのかね」
「そこまで、はっきりいいませんが、部長の警官が『ターネフはあやしい、よくしらべなければ』といおうとするのを、あの探偵は、すばやくとめたんです。あなたにゆだんをさせておいたところを、ぴったりとおさえるつもりだと、あたしにらんだのですけれど。あなたは現場で、なにかまずいことをおやりになったのではないのですか」
「うむ」
 と、ターネフは、眉《まゆ》を八字によせ、
「じつは、ちょっとまずいことをやってきたんだ」
「ああ、やっぱり、そうなのね」
「それを、ごまかそうと、いろいろやっているうちに、時間をとってしまったんだ。だが、まず警官たちに気づかれることはないと思うが」
「思うが、どうしたんですか」
「うむ、万一、気がつかれたら、わしは日本の警察官に対し、あらためて敬意を表するよ。とにかく、トラ十をあそこへひっぱり出したところまでは、実にうまく筋書どおりにいったんだがなあ」
 そういって、ターネフ首領は、いまいましそうに舌打をした。
「万一、ここで分かってしまったら、かんじんの大仕事が出来なくなるではありませんか」
「ああ、そのこと、そのこと。じゃあ仕方がない。もう猶予《ゆうよ》はできないから、わしは荒療治《あらりょうじ》をやることにしよう。お前はわしとは別に、房枝をうまく丸めて、例の計画をすすめるのだ」
「ええ、あの子のことなら大丈夫、ワイコフさんも、手を貸してくれることになっていますわ」
 ターネフ首領、ニーナ嬢との密談は、近くなにか更に大事件をおこそうとしていることがうかがわれる。彼らは、いったい何をねらっているのであろうか。どんな陰謀を考えているのであろうか。しかもその日は遠くないようだ。気にかかる!

   いまわしい疑《うたが》い

 ニーナは現場から大手をふって、かえっていったが、房枝の方は、そこにとめておかれて、捜査本部の取りしらべをうけた。
 帆村探偵も、そばにいて、房枝の答えることをじっときいて
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