から護送《ごそう》されて来た。青年は数日の懊悩《おうのう》にめっきり憔悴《しょうすい》して、極度の神経衰弱症に陥《おちい》っているらしく、簡単な訊問《じんもん》に対してもその答弁は案外手間がとれた。が、結局国太郎は前述の委細を全部自白させられたのである。そして直ちに問題となったのは土岐健助の行動であった。先ずその屍体遺棄の方法が咄嵯の手段として余りに計画的であった事。殊に、彼は国太郎に向って、
「喜多公が相棒だから――」と言っているが、事実その夜、田中技手補は非番であって、変電所の日記によってもそれは明らかな事であった。では何故土岐がこんな虚言《きょげん》を弄《ろう》したか?
 その時取調べ室の電話が突然響き渡ったのである。捜索主任は直ぐに受話器を取ったが、突然サッと顔色を変えた。そして国太郎の訊問を一時中止すると、二三の部下は何事か囁《ささや》いて、あたふたと一緒に自動車へ飛び乗った。
 夜は既に三更《さんこう》に近かった。
 自動車を棄てて主任が加藤牛肉店のくぐり戸を入ると、其処に張り込んでいた刑事が待っていて、直ちに奥の吉蔵の居間へ案内した。その部屋の一方の壁に仕掛けてあったのである。壁は刑事の手に依って扉《ドア》の如く左右に押し開けられ、忽ち間口《まぐち》一|間《けん》奥行《おくゆき》三尺ばかりの押入れが現われた。その押入れの中央に仏壇《ぶつだん》の様に設置してある大冷蔵庫。その扉《ドア》を開けて見せられた時、さすがの主任も「アッ」と顔を背けずにはいられなかった。中には若い女の太股のあたりから下の立ち姿、――草葡萄《くさぶどう》のくすんだ藍地《あいじ》に太い黒の格子《こうし》が入ったそれは非常に地味な着物であったが、膝頭《ひざがしら》のあたりから軽く自然に裾をさばいて、これは又眼も醒《さ》めるばかり真紅《まっか》の緋縮緬を文字通り蹴出《けだ》したあたりに、白い蝋《ろう》の様なふくら脛《ずね》がチラリと覗《のぞ》いている。何う見ても若い女の腰から下の立ち姿であった。言うまでも無くこれはお由の両脚で、同時に其処から両腕も発見された。これ等は時を移さず警察へ押収《おうしゅう》されたが、親分加藤吉蔵は既にお由殺しの有力な嫌疑者として、主任と入れ違いに拘引されていたのであった。
 やがて夜は明け放れた。世間は綻《ほころ》び初めた花の噂に浮き立っていたが、警察署内の取調べ室では、極度に緊張しきった吉蔵の訊問が続行されていた。然し彼は何処までも犯人は自分で無いと主張するのである。
「あっしはあの晩、玉の井へ行ったって事を申し上げましたが、実はお由と喜多公のことが気になって、寺島《てらじま》の喜多公の家へ様子を見に行ったんです。しかし、お由は愚《おろ》か喜多公も家にはいないらしいんで、それでは他所《よそ》で密会をしていやあがるんだと思い、白鬚橋を橋場の方へ戻って来ました。其時ふとこいつあ千住の方にいるんじゃないかと思ったんで、変電所へ踏込む積りで、橋の袂《たもと》を右へ、隅田《すみだ》駅への抜道をとりました。多分二時を少し廻った時刻でしたが、すると彼処《あそこ》に御存知の様に、何んとか言う情事《いろごと》の祠《ほこら》があるんで、そいつを一寸|拝《おが》んで行く気になったんです。そして、序《ついで》に小便をしようと思って、祠の裏手へ廻ると、其処でお由の死骸を見附けてしまったんで、あっしはびっくりしてしまいました。――旦那の前ですが、あの女には一寸変ったところがありましてね、詰り痛い目に会わされると喜ぶ様な性質《たち》なんでさ。だから、よくあっしに、そんなにお前さん妾《わたし》のことが心配なら、いっそ腕を切るなり耳を落すなりして置きゃいいじゃないか、どうせ妾はお前さんの物なんだからって、よく言っていたんです。それが本気なんだから驚くじゃありませんか。そいつをあっしはあの晩お由の屍体を見るなり思い出したんで、――こうして置けば厭《いや》でも灰にしてしまわなけりゃならねえ、そうすればもう二度とこの綺麗な手足は自分の物で無くなってしまうんだと思うと、へッへ、まあそんな気持からあっしは大急ぎで家へ取って返し、腕と脚を貰ったという訳なんです。仕事は血が飛ばねえように、あの小川の中でやりました。――あっしのやったのは只これだけで、お由を殺した犯人についちゃ、あっしだって判りゃとっくに殺しちまいまさあ……」
 然し主任に取っては、吉蔵が屍体を損壊したのも一時脱《いちじのが》れの口実を作る手段と思えぬことも無かった。
 この問題のお由の両腕と両脚は、大学の法医学教室に廻されて、熱心に犯行事実を研究されていた。その結果、吉蔵の申し立てた切断方法が肯定された以外に、不思議な傷口が別に四ヶ所発見されたのであった。第一は左手の拇指《おやゆび》と人差指《ひとさしゆび》の尖端《せんたん》二ヶ所に、喰いいったような探い傷があること、同様な傷が又両足の裏にもあるのであったが、極《ご》く小さい上に血のにじみ出た形跡もないので、或いはお由の死後吉蔵がつけたものかも知れぬ、とも考えられていた。ところが、丁度其処へ遊びに来た電気工学のW助教授が一目これを見るや、「君、これは高圧電気に感電した時受けた傷だよ」と助言した。

 警察署では主任が吉蔵の調べに手を焼いて、一先ず訊問を打切り、屍体遺棄のかどにより、変電所の土岐健助に拘引状を発しようとしていた。その申請書《しんせいしょ》を書き始めた時、パッと室内の電灯が消えた。そして、停電は珍しくも近来に無く一時間も続いたのである。
「どうしたと言うんだ、冗談じゃ無い」
 主任がついに堪《たま》りかねて、変電所へ電話で問い合せて見ようと立ち上った瞬間、電灯はサッと明るく室内へ流れた。同時にジリジリと電話のベルが鳴ったのである。それは大学の法医学教室から、お由の死因が高圧電気の感電であった事を知らせる電話であった。
 主任の横顔は極度に緊張して、受話器を掛けると一刻の猶予《ゆうよ》もなく土岐技手拘引の手続きにかかったが、それを追いかけて再び電話が鳴る。それは部下が変電所から掛けた長い報告であった。
 要《よう》は、今しがたの停電は二人の男が変電所の一千ヴォルトの電極に触れて感電死したことによるもので、二人共全身黒焼けとなり一見いずれが誰と識別《しきべつ》し難いが、一人は勤務中であった技手土岐健助、一人は喜多公こと田中技手補である事に相違ない。この惨事《さんじ》の原因は目下調査中であるが、両人の体がからみ合っている所から推して、一方が感電したのを一方が救いに行って仆れたとも見え、或《あるい》は両人の間に何か格闘があって組合ったまま感電したとも思われる節《ふし》がある、との事であった。
「到頭《とうとう》やったか。残念な事をしたな」
 受話器を離した主任は、誰にとも無く呟《つぶや》いて崩《くず》れるように椅子に腰を下した。
 猶《なお》、その後の報告によると、応急修理に高い所へ登った一技手は、奇怪な配線のあるのを発見した。それは故意か偶然か、変電所の壁を通って向いの家の廂《ひさし》へ渡り、其の端が錻力《ブリキ》で作った樋《とい》に触れていたのである。もしこの配線に高圧電気が供給されれば、言うまでもなく樋に触れた人間は即死しなければならない。そしてお由は丁度その樋の傍《そば》に仆れていたのであった。
 では、お由殺しの犯人は土岐健助か、それとも喜多公か?
 二人の過去を洗って見ると、土岐の方は変電所から開閉所《かいへいしょ》へとコツコツ転任されて歩いた外《ほか》、これと言って変化の無い単調な過去しか持っていないに反して、喜多公の方はいろいろな電気工生活をやって来ている。その上、お由がまだ工場にいたころ、そこの試験係を勤めていた事実もあって、当時仲間の一人が試験中に感電死した時、可溶片《ヒューズ》が早く切れた為に只指先と足の裏に小さな傷を受けたまま美しく死んだ事件を見たこともあるそうである。
 で、犯人が喜多公とすれば、親分とお由を張り合った結果、お由が思う様にならないので、あの夜自分が非番であるにも係わらず、忍んで行って、犯行の後、巧みに千往|遊廓《ゆうかく》へ現われたとも考えられた。
 しかし又、白蛇のお由を知っている四十男はこう言うのである。
「ああいう形の女は、私達年配の男に好かれる者ですよ。吉蔵親分だってそうでしょう。土岐さんも丁度|厄年《やくどし》位だったじゃありませんか。いくら懇意《こんい》にしていても、つい目の前で楽しんでいる所を見せられちゃ、一寸妙ないたずら気も起りまさあね。それに腕のいい人でしたからね――」
 いずれにしても二人が死んだ後、お由殺しの事件の捜索は即刻打切られてしまったので、これ等はただ苦労性の人々の臆説《おくせつ》にすぎないのである。



底本:「海野十三全集 第1巻 遺言状放送」三一書房
   1990(平成2)年10月15日第1版第1刷発行
初出:「新青年」博文館
   1929(昭和4)年6月号
入力:tatsuki
校正:土屋隆
2004年11月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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