》へと変り、あられもない「白蛇のお由」と自分から名乗って伝法《でんぽう》を見習うようになったが、若いに似ずよく親分の世話をして、執念深く窺《うかが》いよる男共は手痛い目にあわされるという評判が専《もっぱ》らであった。
然し魔は何処に潜《ひそ》んでいるか計り知れぬ。それ程気の強いお由が、この正月頃から臆病《おくびょう》な大学生山名国太郎にすっかり魂を打ち込んでしまったのだから――。二人の甘い秘密は、幸《さいわ》い今日まで親分にも知れず、数々の歓楽《かんらく》を忍ばせて来たが、ここにもやっぱり悪魔は笑っていたのだ。若《も》しお由の死から国太郎との秘密が知れたが最後、深い中年者の恋の遺恨《いこん》で、どんな惨忍《ざんにん》な復讐《ふくしゅう》が加えられることであろう。
生きた心地も無いこの哀れな青年を前にして、技手は全く途方にくれたようであったが、一方空っぽにして来た変電所の事も気になるらしく、咄嵯《とっさ》に何《ど》うにか、後始末の手段を考えてくれた。
「ね君、今は何うしてお由さんが死んだのか、誰に殺されたのかなんて事は研究している場合じゃ無いよ。何より君自身の体を心配する必要があるんだ。いいかね、後三十分で僕の交代時間が来る。そうしたら兎《と》に角《かく》二人でお由さんの屍体《したい》を遠くへ運んで行こう。詰まり君とお由さんとの仲を嗅ぎ出されない為にだよ。そして君は、朝の一番列車で当分何処かへ姿を隠してしまうのだ。それが一番安全だからね。――後三十分だ。君はこの屍体を守って、変電所の物置の後で待っていて呉れ給え。忘れても声を立てちゃ駄目だぜ。相捧は喜多公なんだからね」
それは国太郎にとって非常に頼母《たのも》しく思われた程実に冷静な分別《ふんべつ》であった。ただ不安なのは技手の言う相棒の喜多公、即ち変電所の技手補|田中喜多一《たなかきたいち》で、これは吉蔵親分の一の乾分《こぶん》である上に、秘かにお由に想いを掛けているのだと、国太郎は何時かお由自身の口から聞かされた事もあるので、運悪くこうした所を見附かろうものなら、親分に告げるまでも無く半殺しの目にあわされるのは言うまでも無かった。
然し、幸い薄氷《はくひょう》を踏む思いの長い三十分は、どうやら無事に過ぎたらしい。やがて足音を忍ぶようにして土岐健助が物置のかげへ来てくれたのは、もう午前二時を少し廻った頃であった。
「じゃ、いいかい」
言葉少なに技手はこう言って、無雑作にお由の頭を抱きあげた。国太郎は夢中で足の方を持ったが、どっしりと重い死人の体は思ったより遥かに扱い難く、物の十|間《けん》と歩かぬ中《うち》にもう息切がして来た。そして揺《ゆす》りあげる度にしどけなく裾《すそ》が乱れて、お由好みの緋縮緬《ひぢりめん》がだらりと地へ垂れ下る。その度に彼等は立止って、そのむっちりと張切った白い太股《ふともも》のあたりを掻《か》き合《あわ》せてやらねばならなかった。
「これじゃ遣り切れ無い、両方から腕を担《かつ》いで見ようよ」
然し何《ど》うして見たところで硬張った死人を運ぶのは可成《かな》りの重荷であったが、他に工夫のしようもなかったのでその儘歩き続けた。この露路をぬけてドンドン橋を渡ると瓦斯会社の横に出る。それを真直ぐに、左手は深い小川をへだてて墓地、右手は石炭置場になっている暗い道を、何うにか大河畔《おおかわばた》まで忍んで行った。そこを左に折れて河添いに一丁ほど歩くと又左に折れて、間もなく百坪ばかりの空地《あきち》へ出る。空地の中央には何んとかいう小さな淫祠《ほこら》が祀《まつ》ってあるが、その後の闇の中へお由の屍体を下して、二人は初めてほっとした。
幸い途中で誰にも見られなかった事は、彼等にとって何よりであった。
「土岐さん、一寸土岐さん!」
大声で揺り起されて土岐健助が、宿直室の蒲団《ふとん》の中からスッポリと五分刈頭を出したのは、もう朝も大分日が高くなった頃であった。
「ヤア!」
土岐は其処に喜多公こと田中技手補が柔かいものをだらしなく着て、棒のように突っ立っているのを見出すと、渋い眼を無理に開けるようにして声を掛けた。然し喜多公の顔は緊張しきって蒼白《まっさお》だった。
「あの、今戸の姐御が殺されちゃってね。つい其処にむごたらしく殺《や》られているんでさ。あっしはこれから直ぐ今戸へ行かなけりゃならないんで、すみませんがあんた一つ、今日の当番をかわってくれませんか」
「へえッ!」
健助は瞬間どきりとしたが、その気持を隠さずに喜多公の顔を見詰めた。が、喜多公はそんな事に頓着《とんちゃく》なく、技手が当番の事を承諾すると、風の様に外へ飛び出して行った。
(むごたらしく殺られている)土岐は起きようともせずに、昨夜《ゆうべ》の生きている儘に死んでいたお由の美
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