をみせて、その年若い婦人の裸体が不自然な姿態《したい》をその中に示しているのであった。――
赤羽司法主任は、たった一人でつかつかとその屍体《したい》に近づいて調べてみた。
女は、もはや夙《と》うにこと断《き》れていた。そして、左の頸と肩との附根《つけね》の所に、鋭い吹矢《ふきや》が深々と喰い込んで刺《ささ》っている。夥《おびただ》しい出血は、それがためのものであるらしい。が、その婦人の身体には、未だ幾分か温《あたたか》みが残っていた。肉附のよい、見るからに豊満な全身に亘《わた》って、まだ硬直の来《きた》していないことが、誰の眼にも生々しい事件を想像させた。恐らく此の女は、男湯の騒ぎの最中《さなか》に殺されたものであろう。そう想う人々の面に、何がなし深い恐怖と不安が漂《ただよ》い初めたのを、赤羽主任も一通り看取《かんしゅ》する余裕を持っていた。
だが、見渡したところ、浴室の窓が開いている訳でもなし、吹矢を打ち込む隙間があろうとも思われなかった。と、赤羽主任の頭にさっと閃《ひらめ》いたのは、由蔵が姿を見せないということである。
「君、ちょっと、釜場の上にある由蔵の部屋を捜索して呉れ給え。狭い梯子《はしご》で昇れるようになっている所だ」
部下の一人に耳打ちした赤羽主任は、次にも一人の部下に、容疑者《ようぎしゃ》として由蔵の逮捕|方《かた》並《ならび》に非常線を張ることを、本署に電話するように命じた。
直《すぐ》に、その二人はそれぞれの役目に就《つ》くべく其の場を去ると、赤羽主任は、向井湯の主人と女房を眼で呼び寄せた。
主人は、赭《あか》ら顔を全く恐怖で包んだまんま扉口《とぐち》の前列に立っていた。女房はというと、投げ出した蒲団の後に眼を据《す》えたまま口を開けて立ちつくしている。四囲《あたり》の人々がどうあろうと、そんな判別もつかぬらしく、ただ徒《いたず》らにその眼は執念《しつこ》く女の屍体に注がれていた。
「君たち夫婦の中で、この女の顔に見覚《みおぼ》えのある者はいないかね?」
赤羽主任の訊問《じんもん》に、はじめて我に返った両人は、再び指し示されたその女の屍体に眼をやったが、答は横に振った首でなされた。
次々と、その場に居合せた程の人々は、順に訊ねられたが、口数少く、いずれも女の身元に就《つい》ては未知《みち》との答ばかりであった。
と、何を思ったか
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