であった。しかし人目を離れて二人っきりの世界になると、慎恚《しんい》[#「慎恚《しんい》」はママ]のほむらは天に冲《ちゅう》するかと思われ、相手の兇手《きょうしゅ》から脱れるために警戒の神経を注射針のように尖《とが》らせた。若い彼等二人は、仲睦《なかむつま》じそうに、一つ蒲団に抱き合って寝た。相手の腕が自分の肢態《したい》にしっかり、からみついている間は、安心して睡った。
「剣を抱《いだ》いて寝る」
 と春吉は在る夜ふとそうした文句を口の中で言ってみた。彼は只今の生活に、彼のあらゆる精力と神経とを消耗《しょうもう》しつくしていた。恐ろしい生活、しかし今日までさまざまの享楽《きょうらく》を求めてきた身にとって、一面に於て、これほど異常なエクスタシーを与えてくれるものはなかった。これほど生命の価値を感じたことはなかった。これほど神を想ったことはなかったのである。
「『剣を抱いて寝る』といったわね」機嫌のわるいと思っていた鈴江が、細い声で彼の耳元にしずかに囁《ささや》いた。鈴江の顔の下に重《かさな》っていた彼の頬に、ポタリポタリと、なま暖いものが落ちて来てくすぐるかのように、彼の唇の下をとお
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