ちが》いが起ろうというものだ。たとえば今日《こんにち》アメリカに於《お》ける自動車事故による惨死者《ざんししゃ》の数字をみるがいい。一年に三万人の生霊《せいれい》が、この便利な機械文明に喰《く》われてしまっている。日本に於ても浜尾子爵閣下《はまおししゃくかっか》が「自動車|轢殺《れきさつ》取締《とりしまり》をもっと峻厳《しゅんげん》にせよ」と叫んで居られる。機械文明だけではない。あらゆる科学文明は人類に生活の「便宜《コンビニエンス》」を与えると同時に、殺人の「便宜」までを景品として添《そ》えることを忘れはしなかった。これまでの日本人には大変科学知識が欠けていたし、今でも科学知識の摂取《せっしゅ》を非常に苦しがっている。だが、若い日本人には、科学知識の豊富なものが随分と沢山できてきた。少年少女の理科知識に驚かされることが、しばしばある。若い男子や女子で、工場で科学器械のお守りをしながら飯を食っているというのがたいへん多くなってきたようだ。若い人々にとって科学知識は武器である。彼等はなにか事があったときに、その科学知識を善用《ぜんよう》もするであろうが、同時にまた悪用《あくよう》の魅力《み
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